◇4◇ 田園
「だから、いつも荷物はちゃんと確認しとけってんだろ、この馬鹿が」
高松港で下船してすぐにカーナビをつけ、まだ神戸港上空にいるカーソルが現在地に飛んでくるのを待つため、路肩に車を停めた兄へ「タブレット充電して良い?」と尋ねた直後の第一声がこれ。
ただでさえ普段から寝起きが悪いのに、ジャンボフェリー名物のあの愉快(?)な歌に叩き起こされたものだから、機嫌が最悪だ。
確かに気持ち良く寝てたところをあのテンションで起こされたら、多少の殺意は湧くけども。しかもちょっとドラマ仕立て風なのもあって、聞き流しにくくて困るのだ。
「ごめんってばー。乗船時に入れ替えたと思ってたんだよ」
「お前は取り敢えず謝っときゃ良いと思ってるだろ? で、真面目に俺の話を聞いてないから次も同じ失敗するんだよ。そういうとこ親父とそっくりだぞ」
「待って、父さんと同じは言いすぎじゃない?」
「言いすぎじゃない。ただの事実。弟でなけりゃ死刑もんだよ」
「それだと父さん死刑になっちゃうじゃん……」
「あっちは親だから許す。他人なら死刑」
「怖っ。司法制度が息してない世界線すぎる。発想が独裁国家の指導者」
「なんとでも言え。母さんがいなくなった今は俺が法だ」
とんだ第三世界の発想である。ただぶちぶち文句は言いながらも、ちゃんと後部座席の荷物を退けて、オレの鞄の中から充電器を取り出し、車内電源で充電してくれる兄。その背中を拝んでいたら「大方またYouTubeでも見てたんだろ。目ぇ悪くするぞ」と言われた。決めつけが酷い。
家族の次に依存しているタブレットを後部席に残し、荷物を組み直して運転席と助手席に戻る。
「今日はどこから行くの?」
「地図も読めない、運転も出来ない奴が聞いてもな」
「仰る通りなんだけどさぁ、気にするくらい良いでしょ別に」
「じゃあ優しいお兄様が教えてやろう。休暇村瀬戸内東予の近くにキャンプ場あるだろ。あそこまで行く。金がないから高速道路を使わずに地道でな。大体ここからだと三時間〜三時間半くらいだ」
「所要時間がエグすぎる。運転大丈夫なの? 高速代くらいオレが出すよ?」
「旅行なんてのは地道で行ってこそだろうが。途中でちゃんと休憩もする」
「こだわりが強いねー」
とはいえ、オレも個人的には地道を使った旅行の方が好きだ。時間は倍近くかかるけど、自分達の住む街との景色の違いが分かるのは楽しいし、道の駅に寄って、その地域の美味いものを買ったり食べたりするのも良い。
今回の旅行は、兄がGWシーズンを全日イベント警備という過酷な労働に充てて、やっとぶんどってきた休みを利用している。それというのも大型連休のあとは、ほんの少しだけ観光地に静寂期間があるからだ。
リフレッシュというにも運転も支払いも全部兄任せという……本当にどうして誘ってくれるのか、我が兄ながら謎すぎる。
「そういえばこの辺にさぁ、船の体育館ってあったよね?」
「お前が言ってるのって旧香川県立体育館のことか? 戦後モダニズムで有名な丹下健三の設計した1964年竣工のやつ」
「相変わらずそういう情報量が多いな〜……でもたぶんそれ」
まずいスイッチを押してしまった。数学や英語みたいな実学は死んでるのに、歴史と雑学を語り始めたら止まることを知らないのが兄だ。家族でテレビのクイズ番組を観ていても、その分野ならあっさりと全問正解を叩き出す。
非公認記録でなら、数年前に惜しまれつつ終わったパネルクイズアタック25 で、十数回は世界旅行に行けたレベル。それくらい雑学が好きなので、人に教えるのも好きだ。昔から家族内でこの兄の雑学トークに付き合えるのは、オレだけだった。
さっきまで載っていた船で横切る島の中にも、源氏と平家由来のところがある。兄が起きていて暇を持て余している時は、その部分の説明をされてしまう。細かな年表まで暗記しているせいで、歴史の授業を受けているみたいな気分になるけど、動画で撮ってYouTubeに投稿したら、塾講師顔負けで結構良い線をいきそうではある。
「あれなら耐震不足で、四月からもう取り壊し作業始まってるぞ」
「え、一回くらい見とけば良かった」
「お前みたいな奴多いよなぁ。週間漫画の打ち切り決定が出た瞬間、SNSで〝ファンだったのにショック〟とか書くやつ」
「悪意が高い。また何か読んでたやつ打ち切りになったの?」
「いや、途中まで紙書籍だったのが電子書籍だけになった」
「それはそれは……ご愁傷さま。兄ちゃん本は紙派だもんね」
「お前だってそうだろ」
「うん。電子書籍って消えそうで怖いもん」
「同感だ」
そんな会話をしながらナビに沿って車を走らせる。中心地はしまむらや大型スーパー、病院や本屋が立ち並んで比較的便利そうな街だったものの、いつしか両側は広い田畑へと変わっていく。
五月最後の田んぼには薄く水が張られ、植え付けられたばかりの小さくてか細い稲が揺れている。時々、まだ鋤き込まれていないレンゲの絨毯が広がって、淡いピンク色の靄を作っていた。
そこで兄が休憩ついでに車を停めてくれたので、いそいそと鞄からチャミーとキッチを取り出して、レンゲ畑を背景にデジカメで写真を撮る。幸いオレのタブレットは絶滅危惧種のSDカードスロットがあるので、デジカメの写真はあとでカードリーダーを使って転送できる。
問題はクマの人形を二体片手で持っての撮影なんだけど……それは胡乱な表情をしつつ、兄が手伝ってくれた。何か言いたそうではあったものの、こちらから「最近の趣味でさ」と言うと、少し間をおいてから「楽しいなら良い。ただお前はドジだからなぁ。人形落とすなよ」と言われてしまう。気をつけよ。
辺りに人の姿はほとんどない。恐らくこの辺に限らず、農家さんはもっと早い時間帯に畑仕事をしてしまうのだろう。毎日不規則な生活をしている者としては、本当に頭が下がる。
休憩を終えて再度発進。窓は全開。運転席に落ちてくる陽射しは神戸よりもさらに強くて、肌を直にジリジリ焼く感じだ。でも窓から吹き込んでくる風は、向こうよりサラサラとしていて気持ちが良い。
「兄ちゃんオレさ、もうずっとここに住みたいわ」
「今は気候が良いからな。夏はエグイくらい暑いぞ。冬は寒いし。あとこういう土地の方が近所付き合いとか大変だぞ。来る時に見た病院もスーパーもここからだと遠いから、車を運転できないと確実に生活が詰む」
「ド正論で夢をへし折っていくスタイル。なら空き家買おう。下手したらキャンピングカーより安いよ」
「安いのは安いなりの理由があるだろ。たぶん家の修繕費で車買えるぞ。若かろうが働く場所の確保も難しいし。自然災害も結構厳しいけど大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃないッスね。でもちょっとは夢くらい見させてよ〜」
「旅行で来て楽しいところってのはな、便利な生活に慣れたやつが住むのが難しいってことだ」
クーラーをつけない低燃費走行のせいか、兄も口は悪いが上機嫌で車を走らせてくれる。たまに持ってきているお茶やお菓子を食べて、両親のコレクションだった懐メロのCDを聴く。
土の匂いと太陽の匂い。世界旅行は行ったことも、行くこともないだろうけど、たぶんこういうのを地中海気候と言うんだろう。過ごしやすくて……もう眠たくなってきた。
「二時間か。お前にしちゃ頑張ったな。もう目的地まで寝てて良いぞ」
「いや……待って、まだいける、あと一時間半でしょ」
「そんだけ頭を前後に揺らしててよく言うな。無理して首をやらないうちに、さっさと座席倒して寝ろ。それとお前寝る時に口開けてるから、喉傷めないようにマスクして寝ろよ」
「えぇ……嫌だよ。この陽射しだと……マスク焼けするじゃん」
「お前がマスク焼けしてても誰も気にしないだろ。それともあれか、お前職場で『実はマスク焼けしちゃって』とか話せる人いるのか?」
「……いないね。はい。マスクして寝ます」
目の前に差し出された新しい使い捨てマスクの封を切り、口にあてがってウトウトとし始めた頃、兄の「今のうちにしっかり寝とけよ。お前の今日の寝床はテントだからな」という声が聞こえた。そうだ、うっかり忘れてたけど、一泊目はキャンプだったんだ。体力温存しとこ。




