◆5◆ 海辺
十二時にフェリーを下りてから、ちょくちょく休憩を挟んで四時間半。今回の旅行一日目の宿泊地である、瀬戸内東予休暇村キャンプ場に到着した――らよかったのだが、繁忙期ではないので一度本館フロントに行き、駐車場ゲートを開閉するためのリモコンキーを受け取る。
助手席で爆睡していた弟は、俺が手続きと設備の説明を聞き終えて戻っても、まだ夢の中ときたものだ。
ここまでの道中は天気も気温も上々で、車を走らせるのにはそれなりに快適な時間だった。都会で窓を開けて運転しようものなら、あっという間に車内が排気ガス臭くなるが、それとも無縁。地道を運転していて楽しいのは、旅行先ならではだ。
ほぼ海沿いにあるキャンプエリアには、俺と同じようにGWを避けたらしい利用客が数組いたが、パッと見た感じ幸い騒がしい系の利用客はいないようだ。家族連れと個人のキャンパー、それとバイカー。
普段は予約した順からエリアを振り分けられるが、オフシーズンと今回のような大型連休明けは、予約する際に場所を選べる。区分も第一と第二で分かれており、海沿いで遊びたければ第一を。海風を避けてのんびりとしたいのであれば、高台にある第二を選べば良い。
第一の方ではそれぞれが絶妙な位置取りをして、思い思いに過ごしていた。今回の旅行が土日を避けたド平日だからか、そこまで人気は多くない。
キャンプサイト自体はこちらの方が大きいので、大型のテントはこちらの方が良いが、俺は車中泊でテントは愚弟だけのため第二だ。他にも細々とした仕様の違いはあるが、利用する用途によって調べればすぐに細かな情報が出てくる。便利な時代だ。
車を横付けできる第二キャンプサイトに移動すると、利用者は俺達だけだった。まぁまだ明るい時間帯なので、もう少ししたら来る可能性はある。予約した場所に停車し、助手席でぐっすり寝ている保を多少強引に起こして、自分が泊まる用のテントを組み立てさせたのだが――。
「ねぇ兄ちゃん……確かにこのテント、オレでも身体ちょっと折りたためば寝られるけどさ、そろそろ新しいのに買い換えようよ」
ぶ厚めのインナーマットを敷いて、寝心地確認のために寝転んだ開口一番がこれだ。我が弟ながら何たる惰弱。この程度で音を上げていたら、俺の職場の仮眠室で寝たら死ぬんじゃないか?
「馬鹿言え。毎回設営する時はグランドシートを使ってるから、まだどこも穴は空いてないだろ。使ったあとは毎回干してるから、汚れもないし、変な匂いだってしてないぞ」
「そうだけどさー、この一人用のテントは流石に狭すぎるよ。父さんが昔から登山で使ってたやつでしょ。絶対当時と日本人男性の平均身長変わってるから。荷物があったら寝返りうてない」
「それだとお前もとっくに成長期終わってるんだから、少し狭いくらい我慢しろ。不要な荷物は車に置いといたら良い」
「でもあんまり車に荷物があったら、兄ちゃんだって寝にくいでしょ。この間ネットで調べたら、小型の一人登山用のテントで良さそうなのあったよ? オレでも設営できそうなやつ」
「お前が言ってるのってムーンライト1型?」
「そうそう、なんかそういうお洒落な名前のやつ」
出たよ。こいつの生半可なネット情報。CD、DVD、本、ゲーム。毎回こいつが『面白そうだったんだけど、名前を忘れちゃってさ。◯◯とかって感じ? だった気がするんだけど……』という、謎のアイテム達を探してきて十数年。
ネットは確かに便利だが、基本的には探す人間の初動の記憶力が頼りな部分が強い。保はそこら辺が絶望的だ。いや、こいつのこの辺は母と親父に似ているのか。家族三人分のふんわりした情報を、俺が全部調べ直して買って来てしまった弊害だろう。
「あのなぁ……あれ結構高いぞ。三万超えだからな?」
「え、嘘ぉ、値段見てなかった! 一人用のあのサイズで三万超え? これより少し縦幅大きいくらいじゃない?」
「設営がこれより簡単なんだよ。ただでさえお前、俺が誘わなきゃほぼインドア派だろ。あれはゴリゴリのアウトドア派用。バイカーとかサイクリングが趣味な人が使うやつだ。普段滅多に使わない奴が買ったって、宝の持ち腐れだぞ。はい、この話は終了。それより温泉に行く前に軽く腹に入れとけ」
反論を許さず畳み掛けると、流石に素直に「三万かぁ、確かにオレが持ってても猫に小判だ」と頷きながら、もぞもぞとテントの中から出てきた。
愚弟が助手席で寝ていた間に、地域密着型みたいなコンビニ(?)で買っておいた、地元で採れた山菜のおにぎりと壺漬けを食べ……ようとしたら、保が急に「あ! 待って! ちょっと写真撮りたいから!」と騒いで、道中で見たあの二体のクマの人形を取り出してくる。
そして何だかんだ良い感じの夕焼けを背景にしたものを三、四枚撮るのに付き合わされた。三十路で強面の俺が、可愛いクマの人形を持って、輩臭が半端じゃない弟の写真撮影を手伝う光景は、きっと端から見たらさぞかし恐ろしかっただろう。
やっと解放されて食べたおにぎりは、普通に食べるよりも格別に美味く感じた。ボリュームもあるのに二個入りで三百円。コスパ最強で味も良い。
地道を使う利点はこういうところだ。ついでに今夜のツマミになりそうな佃煮も買っておいた。お店の人と軽く世間話をしたところ、地元のお婆ちゃん達が作っているらしい。
パックに貼られた製造者名は日によって変わるそうで、ご近所の人は製造者のところを見て購入するそうだ。商品の味付が違うのだろう。今食べているものは俺達好みの濃いめの味付けだ。
「前に食べためはり寿司も美味しかったけど、これも美味しいね」
「田んぼとか畑が多い地域って、食べ物も当たりが多いよな」
「やっぱり産地直送に敵うものってないんだねぇ」
そんな会話をしながら割と大きめなおにぎりをあっさり完食。一旦テントだけ置いて行くことになるので、テントを開けられないよう、チャックに結束バンドを通して固定しておく。
盗まれるようなものはないが、ここは利用しない一般人も入ってこられるキャンプ場なので、自衛はするに越したことはない。職業病みたいなものだ。
後ろで「またそれやってる。こんなボロいテント大丈夫だよ」と保が言うが、近年の犯罪率を鑑みて、中に潜まれて襲われるとか考えることがない暢気さに呆れる。今度一度実家の防犯を見直した方が良いかもしれん。
間抜けな愚弟を連れて車で三分の瀬戸内東予の温泉に向かう。大人一人の入湯料は七百円。使用できる時間帯が短いのが欠点といえば欠点だが、温泉な上に、風呂の設備自体も綺麗なのでその価値はある。
運が良いことにオレと保が行った時には、ちょうど前に入っていた人達が上がったところだったので、千四百円で貸し切り状態だった。
「うわー……朝からずっと移動してきた身体に沁みるぅ。キャンプ場の近くに温泉があるって良いねぇ。この設備も綺麗だし」
「海が見えるってのも追加な。そしてそこを予約しておいた俺を敬え」
「お兄様マジ最高。シゴデキ男。これで彼女ができないのが不思議」
「彼女ができたらお前と旅行なんかしねぇよ」
「だったら一生オレと旅行することにならない? あー……でもまだ三十四だし、希望を捨てちゃ駄目だよ兄ちゃん」
貸し切りだから誰の迷惑にもならずに、思い切り口の聞き方を知らない愚弟の顔面に水鉄砲を撃てる。若干腹立たしかったので、最終日はここに泊まるんだとは教えてやらん。
鼻に水が入ったと泣き言をいう愚弟を無視して、そこそこのんびり入浴を楽しんでからキャンプ場へと戻った。
あれから何組か利用客が来たのか、第一の方には人が増えて賑やかさが増していたものの、第二にはソロで楽しむバイカーが三組増えただけで、静かなものだ。テントのチャックの結束バンドも行きと変わりなし。
確認が済んだら、結束バンドを手持ちの梱包カッターで切り、中の空気を入れ替えてやる。夕日も落ちて空はもう暗いのに、第一の方は各テントに用意されたランタンと、バーベキューや他の料理をする火で仄明るい。
波の音に混じり、すでに酒も入っているのか、ご機嫌な人の歌声も聞こえたり、それを窘めている苦労人の声も聞こえた。仕事で歩く地下の飲み屋街の喧騒とは違い、どの声も総じて平和だ。旅行に来たことを実感するな。
湯上がりの火照りを冷ましてくれる海風に乗って、薪が燃える匂いや、肉が焼ける良い匂いが漂ってくる。周囲を見回せば、同じ第二のバイカー達も、各々のキャンプサイトで夕飯の準備を始めていた。
その時、目の前にいた保の腹から奇妙な音が。おにぎりだけでは、まぁこんなもんか。悲しげな目をした愚弟は「兄ちゃん、腹減った」と。昔から全然変わらない乏しい語彙でそう告げるのだ。




