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◆明日もそこそこ幸せであれば◆  作者: ナユタ


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3/9

◇3◇ 兄弟

 すっかり汗も引いて寒くなったので、そそくさと甲板から船内へと戻って客席のある階に移動する。来た時と同じく駅の改札口みたいなところを通れば、客席に戻る途中にあるペットルームのドアから可愛い柴犬が見えた。


 ドアからは死角になって見えないけど、どうも飼い主さんが一緒にいてくれているらしく、安心しきって寝そべっている。可愛い姿に癒されていると、その先にある喫茶スペースから珈琲の香りが漂ってきた。


 船内にも自販機はあるけど、挽いた豆で飲む珈琲は格別なので、客席にはほとんど戻らずここの椅子と机で仕事をする人もいる。ノマドワーカーっぽくて格好いい。まぁ席同士が近くて、コンフォート席を予約してる人なら誰でも座れるから、コミュ障なオレの居場所はないけど。


「俺は高松港に着くまで寝るから。トイレに行ったり甲板に出る時はQRコードの紙忘れるなよ。船室に入れなくなるぞ」


「うぃ、了解ッス」


「その返事職場でもやってみろよ。その格好なら許されるぞ」


「絶対無理。おやすみお兄様」


 ふざけて返事をしたら半笑いで返された。小さく「ヘタレめ」と言って寝始める兄。過保護すぎるな、この三十四歳。でも面と向かってそんなこと言ったら、オレがどれだけ頼りないかという説明が止まらなくなるから言わない。


 三日前に急に実家に来た時は、オレと親父が三週間も出し忘れてた廃プラの山を見て、一時間くらい怒られたけど……頼りないのとズボラなのってどっちがマシなんだろう。


 ちゃんと食品の入ってたトレーは洗ってたし、腐るものでもないんだからあんなにキレなくてもいいと思う。むしろ電子レンジの中を見て、何を温めたらこんなに匂いがつくのかとか、一回使うごとに拭けって言う方がどうかと。


 いちいち細かすぎ。そんなこと気にしてたらハゲるよ。言ったら鉄拳制裁されるから言わないけど。こっちの不満な視線に気付いたのか「何だよ」と、不機嫌そうに瞼を開ける兄。同じ血を分けてるけど目つき怖。


「あー、いやぁ……船内のお風呂は行かないの?」


「今日は寝る。お前が寝不足な俺の隣で暢気にぐーすか寝てたから、睡眠欲求が高まってるんだよ」


「あ、はい、ごめん。じゃあオレは橋が見えてくるまで隣か、そこの窓際の席で仕事してるから」


 慌ててそう返し、仕事道具が入った鞄を手にさっさと窓際のボックス席に退散する。ボックス席に座って備え付けのコンセントを見た途端、充電アダプターを車の鞄に忘れてきたことに気付いた。


 出航してしまったからもう取りに戻れない。あとで車の後部コンセントで充電させてって言ったら、また長々と準備不足だ注意散漫だと怒られるだろう。考えただけで憂鬱になりそうな気持ちを切り替えて、鞄から百均の透明な円筒形ケースと、型遅れのデジカメとタブレットを取り出す。


「えーと……今日の依頼者さんは、三島お婆ちゃんのお孫さんだったかな。お預かりしてるのは〝チャミー〟ちゃんと〝キッチ〟くんね」


 円筒形ケースの中から厳重にハンカチに包まれた二体のクマの人形と、付属されていた小さい机と椅子も取り出し、窓の後ろの景色が良いように入る角度で机に置く。チャミーが赤でキッチが青。この二体の設定はお友達。


 何人かの乗客と目があったものの、いい歳をした男がこういうものを取り出しても、昔ほど冷たい視線を送られないのは多様性の時代ってやつだろう。もしくは兄の助言でしたイメチェンのおかげか。


 あと兄に秘密にしているわけではないけど、オレはまた仕事を変えた。今の仕事は兄のおかげで趣味になった旅行を題材に、ネットサイトで細々と短い旅エッセイを連載して収益化している。


 旅行の日程や車の運転は兄に任せっぱなしなわけだが、一応現地まで旅行に出ているからコタツ記事ではない。昔から考えていることを言葉にするのは苦手だが、じっくり文章を考えて出力するのは好きなのだ。


 他にも有償依頼を請けるタイプのサイトで、オリジナルキャラの短編小説や、同人ゲームのシナリオを依頼してもらったりだとか。流石にプロには敵わないので、手頃な価格帯と早めの納期対応を掲げている。


 依頼数をこなせば評価も上がるし、この頃はやっと少しだけだけど、リピーターもついてきた。ずっと続けられる仕事かは分からないものの、今のところ深夜のコンビニバイトしか予定のないオレには合っている。ただ――。


「兄ちゃんが欲しがってるタイプのキャンピングカー買おうと思ったら、どれくらいかかるんだろ……」


 兄が使っているキャンピングカーはベースが商業車のエブリィだから、そこまで高額ではない。でもベースが同じ商業車でもワンボックスタイプとなると、このご時世そこそこ給料が高い会社の正社員でも年単位。


 学生時代からバイトで貯めた分と、社会人になってからこれまでの貯金では夢のまた夢だ。中古でも厳しい。でもいつか絶対オレが全額出して買う。たぶん。六十歳くらいまでには。


 ちなみに今回の依頼者である三島のお婆ちゃんとは、前までバイトしていたスーパーで知り合った。お客さんだったお婆ちゃんの荷物を、目の前のバス停まで運んであげているうちに会話を交わすようになったのだ。


 そんな彼女の小学生の孫が不登校になって、毎日その子の両親が仕事の間は預かっていること、日中は同級生に見つかるのを怖がって室内にいること、お人形遊びが好きなことを聞いている。


 お婆ちゃんからの依頼内容は、お孫さんのお気に入りの人形達を通して、学校の外にも世界はあって、学校の中にはないような楽しいものも、綺麗なものも、たくさんあると教えてあげたい――というもの。


 簡単に言えば〝ぬい活〟だ。この人形を貸してくれた女の子に、旅先で写真を撮って、簡単な旅行記フォトブックを作る。七十歳にしてスマホを駆使する最近のお婆ちゃんは、オレよりも感性が若い。何たってこのバイトのためにLINEの交換もしたし。


 机にガシャポンのティーセットを用意したら、椅子にチャミーとキッチを座らせる。向かい合わせよりお互いやや身体を斜めに、お茶を楽しみながら語らっている風にして――と。良い感じに緑が生い茂る島を背景に、窓を額縁に見立てて空と海も画角に入れる。


 デジカメとタブレットで写真を撮り、デジカメ分はあとで現像するか聞くとして、先にタブレット分の画像を確認。思いのほか窓ガラスに水滴と塩の汚れが目立つので、レタッチするついでに色味も整えていく。


 それが終わったらタブレットでデザインアプリを使って、日記帳に可愛いマステで写真を留めた風に。空いたスペースには、空と海、それからティーセットの写真を散りばめる。ここで大事なのはバランスだ。


 目指すのは絵本の世界観。あまりやりすぎると港区女子になってしまうから、少しだけ垢抜けないように。大事なのはチャミーとキッチの持ち主である、小学生の目で見た人形の世界だ。


「おぉ――……なかなか良いじゃん」


 仲の良さそうなクマ達を前に満足して頷いたら、それを見ていた外国人の女性客が、自分の鞄の中からアプリゲームの推しグッズらしきものを取り出し、こちらに向かって振ってくれる。推し文化も世界でだいぶ人権を得たな。


 ともかく無事に旅行記の一頁目が完成したので、ぬい活は一旦切り上げて自分の旅エッセイを書く。


 特別大した何かが起こるわけでもない、ただ持参したつまみを食べて酒を飲んだり、道の駅で土産物のつまみを購入したりするだけ。旅行費用の節約のために、極力高速道路は使わない地道旅。せめて旅費を少しでも出させてくれれば、もっと見せ場のある旅になるとは思うのに――と。


「あー……車で寝たのに、やっぱ眠くなってきたかぁ」


 アスファルトを走る車の振動とはまた違う、海上を進む船の揺らぎ。外洋の波よりも穏やかな内洋の波は、船酔いはしないけれど抗いがたい眠気を誘う。周囲を見回せば、ほとんどの人が気持ちよさそうに眠りについていた。兄に至っては小さくイビキまでかいている。


 船内アナウンスで明石海峡大橋が近くなってきたので、デッキから見学出来るよといった内容が流れた。別にデッキに出なくてもここから見えるし、ぬい撮りをするなら画角もちょうど良い。


 橋の近くは潮が速いため、船も絡め取られないよう速度を出す。船体がぐうぅっと橋の方角に舵を切ると、大窓の真ん中にある航海計器がカチカチと賑やかに音を立てた。


 橋脚が近付いてくるのを前にタブレットを構え、船が明石海峡大橋の腹側に入った瞬間、二体のクマの人形をあおりの角度で撮影する。橋の腹を背景に撮影したクマ達は、どこか少し自慢げに見えた。

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