◆2◆ 出航
QRコードの入ったペラ紙を手に改札口を通過して、コンフォートリクライニング席という、少し名前の長い洒落た席へ。ここは前面の窓が大きく取られていて、電車の運転席みたいな感じで船の進行方向がよく見える。子供と船旅好きに人気だ。
映画館の椅子と新幹線の椅子をかけて割ったみたいな作りで、リクライニング機能も脚、背もたれ、全身の三段階ある。後ろに他の客がいなければ思いっきり倒してもいい。
時々カチカチと音が聞こえるのは、大窓の真ん中に航海計器があるから。本職が使う双眼鏡もあるので楽しいのだが、音に敏感な人は窓から離れた後ろの座席を選ぶのが無難だろう。もしくは同じエリア内にある個室。値段は多少あがるけど、他人のイビキとかが気になる人には良い。
他にも自由席やファミリー層向け、プレミアム席などもあって、乗船時間こそ四時間と短いが、風呂もある。財布と応相談というところだ。
「おぉ〜、凄い! 窓のど真ん前の席取れたんだ!」
「他の席はいつでも座れるけど、ここすぐに埋まるからな。船が出てしばらくしたら、肉うどん食いに行くか」
「行く。この船の名物だけあって美味しいもんね」
「量もあって値段もそこまで高くないしな。あと食ったらいつも通り、火照りが冷めるまで甲板出るだろ。お前寒がりだから上着持ってけよ」
「上着はまぁ持っていくけど……オレが特別寒がりなんじゃなくて、兄ちゃんが暑がりすぎるだけね」
忘れてはいけないが、海上は風が強くて涼しい。けどその分直射日光は普通に街を歩いている時より暑く感じる。しかし船内は空調が効いていて、結構な寒がりのこいつでも眠っている間に汗をかく。
上着の見極めは意外と重要だ。席の確認もできたので、エントランスに戻って売店の隣の飲食ブースへ。
「あー……結構この船にも乗ってるけど、肉うどんしか食ったことないし、たまには冒険して塩レモンうどんとか、島せんべいうどんとか食べてみるか?」
「食べ物では冒険しない。いつも通り肉うどん一択」
謎のこだわりというか、その〝いつも通り〟は俺が教えてやったやつだろと思う。子供の頃から先に俺が試して美味かったものを教えてやるからか、味覚が完全に俺とかぶってるんだよな……。たまにはこいつが美味いと思ったものを教えてほしい。
結局いつも通り券売機で肉うどんを二つ注文し、海が見える側のうどん専用席に座る。男二人なのでボックス席でなく、カウンター席に横並び。一旦陽射しが出ると、海面の照り返しがかなり眩しくて暑いため、早朝から起きて運転してきた目に染みる――と。
「毎回思うんだけど、この時間帯しか新しい船が出てないのは罠だと思う」
「別に罠ってことはないだろ。ちゃんと二隻でダイヤを回してるぞ。神戸方面から高松行きだと、瀬戸内海航路の【あおい】が出るのはこの時間なんだよ。大体な、夜に出てる【りつりん】の設備が古くて嫌だって言ったのはお前だろ。俺だってあっちの方が時間帯的に身体が楽だよ」
「そうかもだけどさー……同じ金額なら新しい【あおい】に乗りたいよ。それに兄ちゃん前に【あおい】だって夜間があるって言ってたでしょ。何より【りつりん】は昭和の純喫茶か応接間っぽくて、特別感が薄い」
これについては、言いたいことが分からんではない。数年前から新造船が出るらしいとは噂があるものの、加藤汽船は歴史は古いが規模が小さいので、なかなか資金繰りが難しいのだろう。
ただ俺としては、学生時代に何度か一人旅で世話になった【りつりん】も、何だかんだで好きである。四十年という大ベテランではあるが。
「だからそれこそ前にも言った通り【あおい】の夜間は、出航七時半の到着深夜一時頃だ。そんな時間じゃ高松港に着いたって、どこの店も開いてないだろ。それにどっちにしたってお前の旅費を出すのは俺だぞ」
「あ、それ言う? 言っちゃう? オレだって本当は毎回出す気なの。それを出させないのは兄ちゃんでしょ」
「兄が弟に金を出させるわけないだろ。歳が近けりゃ考えるけど八歳差だぞ」
「たまにはセルフで突っ込むけど、オレのこと甘やかしすぎじゃない?」
「今更気付いたのか。昔から母さんがよく言ってたろ。俺がお前を甘やかすから、お前がいつまで経ってもしっかりしないってな。一番甘やかしてたくせによく言う。お前もそう思うなら最初から旅行について来なかったら良いだろ」
「じゃあ電話してきて一緒に行くか聞かないでよ。行きたいって答えるに決まってるんだからさぁ」
「聞かないで俺の留守中にお前が家に遊びに来たら、電話してきた挙句に拗ねて鬱陶しいだろ。まぁ、お前の何かよく分からん仕事が波に乗ったら、お兄様に大型キャンピングカーを買ってくれ」
「買うよ。買う。絶対買うから、その時は普通に出させてね。それでいっぱい色んなところに旅行連れてって」
「結局それだとほぼ現状と変わんねーだろ」
これも何年もずっと聞かされすぎて耳タコだ。俺はガタイと仏頂面を活かして警備員をやっているが、人とコミュニケーションを取るのは苦手じゃない。意外がられるがむしろ割と得意だ。
しかし悲しいかな、保はコミュニケーションを取るのが苦手な上に、転職の才能がまるでない。そのせいで初就職→ブラック企業→病む→退職→休養→転職→ブラック→病む→退職のくり返し。
よって、このやり取りは一生叶わない虚しい言葉遊びなのだ。ちなみにこいつは免許を持っているが運転がド下手なので、どのみち運転は俺になる。
無謀な将来の夢語りをするのをほっぽって、呼び出された番号の商品を取りに行き、まだ語り足りていなさそうな保の前に突き出せば、空腹には勝てないのか、あっさりと会話を打ち切ってうどんに陥落した。
「む……相変わらず美味いな。出汁が良い」
「玉ねぎが良いアクセントだよね。お肉も美味しいし。生姜をたっぷり乗せるのもポイントかなぁ」
「だな。あとこの船で窓際に座ってるから、旅行が始まった感がプラスされんのも美味く感じる理由だろ」
「分かる。それに日差しが大阪と神戸とで、陽射しがちょっと違うのも関係するかもね〜」
そんな適当な会話をしつつ完食し、客が増えてきたブースをあとにする。このところかなり増えてきた外国人観光客を避けて甲板に出れば、ブワッと潮風が汗ばんだ身体をすり抜けた。
「うははっ、風強いな〜!」
「ね〜、涼しい! あ、向こうに橋が見えてる」
「明石海峡大橋な。また帰りにでも真下通る時は見に来るか」
「この船に乗ったら恒例だもんね」
「まーなー。デカい橋の裏側なんか、こんな時くらいしか見れないだろ。神戸の六甲アイランドか、大阪の泉大津から新門司に行くカーフェリーだと結構見られるけどな」
「一本は通過する時刻が深夜だけどね。ていうか、前までこの展望デッキにいたオレンジ色の宇宙服猫、いなくなってない?」
さっきから妙にきょろきょろしていると思ったらそれか。展望デッキの柵に乗っていた謎のオブジェ。有名な現代アーティストの作品だったらしいけど、やけに首が長くて目がキマッてる猫だった。
「あれなら展示期間が終わったとかで、少し前に回収されたぞ」
「えー……じゃあ小豆島の船着場のもいなくなってるってこと?」
「まぁ、展示期間が同じならいないんじゃないか?」
保ほどではないが、最初は違和感満載だったあの宇宙猫に、俺も最近は何だか愛着を持っていた。人員の足りていない警備員の激務から解放されて、旅行に行く前後に見るからだろう。
ただホームページで見たところ、宇宙猫自体は元々貸し出しみたいな形で、今回も回収されただけで廃棄ではなく、何年かしたらまた展示するみたいなことが書かれていた。肝心のいつどこで展示するかは忘れたが。
心なしかしょんぼりしている保に、ふと「たまには外洋のカーフェリー乗るか?」と聞いたものの「いや、一回乗った時で懲りたからいい」と断られてしまった。確かあの時は台風のあとだったから波が荒くて、余計に揺れていたなと思い出す。
「お前船酔いしてたもんな。普段も波は荒いけど、あそこまでじゃないぞ」
「船旅は一生内洋で良い。行けて関門海峡の波レベルまで」
「それだと外洋航路を使った長距離の船旅は絶望的だな。【さんふらわあ】は飯も美味いし設備も良いけど外洋航路だし」
学生時分に一人旅していた時は、外洋フェリーにもたまに乗った。あっちは内洋よりも乗る時間が長いこともあり、船内が豪華だ。
そのぶん金額も高いが当時は一人で旅行していたし、若いからバイトもかけもちして、懐もそれなりに潤っていた。当時を思い出してそう口にしたが、保はさも嫌そうに首を横に振る。たった一回の地獄が忘れられないらしい。
「じゃあオレンジフェリーでまた四国に行くか? 船内綺麗だったし、ベッドも風呂も良かっただろ」
「あー……うん、あれは船は良かったよね。到着する港の周辺がちょっと、いや、だいぶ侘しかったけど」
「まぁ今は新幹線も飛行機もあるし、船旅が昔ほど流行ってないからなぁ」
地続きのままという安心感のある新幹線や、渋滞がない飛行機も便利だが、俺は船旅の航路という響きと、この海をぼーっと眺める時間が好きだ。隣にいるのが弟なのはともかくとして。
「家族旅行で初めて使った港、この前見に行ったら廃墟だったもんね」
「あれはな、寂しかったよ。航路どころか船会社すらなくなってたし。母さんが船酔い止めの薬買った薬局は辛うじて残ってたけど」
「やー、諸行無常だよねぇ」
「本当にな。だから出来るだけ元気で健康な間に旅行しとこうぜ。冥土の土産と走馬燈は豪華な方が良いだろ」
「それな〜! オレの土産話と走馬燈がどれぐらい豪華になるかは、兄ちゃんの旅行プランにかかってるよ」
「馬ぁ鹿。それだと俺が死んだら、一気に何もなくなるだろ」
「そうだよ。だからなるべく死ぬ時は、オレの死期と近い感じでお願い」
「八歳上の兄貴に無茶言うな」
「大丈夫、大丈夫。オレ達の酒量なら死期も同じくらいだって!」
「……確かに」
仕事熱心で家族旅行が好きだった母が少し前、長患いの末に病死した。俺達が小さい頃から共働きで、ずっと忙しいから二泊以上の旅行はほぼしたことがない。旅行はいつも早朝の出発で、親父が運転する車で行ける距離だった。
そんな親父はまだまだ元気だが、薄情なことに息子達との旅行には興味がないらしい。むしろ毎日友人達と楽しくカラオケに飲み会にと元気なので、少しも心配はしてない。下手したら俺と保より長生きしそうですらある。
だから俺達は俺達でダラダラ旅をする。綺麗なものも、美味いものも、少しくらい無理をしてでも、元気なうちに見られるのが一番だ。




