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氷の女帝の、震える肩を抱けるのは俺だけ 〜どん底の元エリートは、誠実さを牙に変えて彼女を守り抜く〜  作者: 寝不足魔王


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第7話:誠実なる報復

 運命の午前十時。

 アイリス・エッジの応接室には、勝者の余裕を全身に纏った柏木と、その隣で毒々しい笑みを浮かべる美咲が座っていた。

 テーブルの中央には、中央帝都銀行のロゴが入った重厚な契約書が置かれている。それはアイリス・エッジの自由を奪い、柏木たちの傀儡へと変えるための「隷属の証」だった。


「さあ、一ノ瀬社長。時間だ。判を押しなさい。拒否すれば、その瞬間に御社の資金ショートが確定する。……佐藤、お前も横で見ていろ。お前が縋り付いた最後の希望が、今ここで潰える瞬間をな」


 柏木は不敵に笑い、手元のタブレットをこれ見よがしに操作した。

「……今、銀行のシステムを通じて、御社のメイン口座に『保全措置』をかけた。これで一円も動かせない。チェックメイトだ」


 その言葉と同時に、俺のスマートフォンにアラートが届く。メイン口座の凍結通知。

 俺はわざとらしく顔を青ざめさせ、震える声で呟いた。

「……柏木、本当に……本当にやるのか。これでは、何百人という社員の生活が……」

「ははは! 今さら情に訴えるのか? 滑稽だなあ、佐藤! お前が俺をハメたからこうなったんだ。全部お前のせいだよ!」


 美咲も嘲笑を隠そうともせず、俺を冷たく見下ろした。

「本当に惨めね、誠君。そんな無能な男の下で震えている社長さんも、可哀想に。……さあ、早くサインして楽になったら?」


 凛は、机の下で拳を握りしめ、深く俯いていた。その肩が微かに震えている。

 柏木はそれを見て、勝利を確信した。彼は身を乗り出し、無理やり凛の手を取ろうとした。


「さあ、凛。僕の元へ来なさい。君のような美しい女性が、こんな泥船の船長を続ける必要はない――」


「……触らないで」


 凛の声は、低く、冷たかった。

 彼女はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、絶望など一分も宿っていなかった。

「佐藤。……もう、いいわよね?」


 俺は深く一礼し、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「はい。十分すぎるほど『不当な脅迫』の証拠は揃いました」


 俺の表情から、わざとらしい動揺が消える。

 柏木が「あ……?」と間抜けな声を上げた。

 俺は自分のタブレットを操作し、柏木の端末の画面を強制的に上書きした。


「柏木さん。僕が言ったはずですよ。誠実な人間は、嘘をつく時も徹底的に誠実だ、と」

「な、何を……何が起きた!?」


 柏木のタブレットに、赤い文字の警告が次々と表示される。

 【金融庁:特別監査実施通知】

 【中央帝都銀行:コンプライアンス違反による権限凍結】


「なっ……なんだ、これは!?」

「あなたが先ほど行った『口座凍結』のログ。それはリアルタイムで金融庁の監視サーバーと、銀行内部の監査部、さらには主要メディア数社の経済部へ自動送信されました。……名目は、『中央帝都銀行の役職者による、優越的地位の濫用および不正な私的買収工作の証拠』として、です」


 柏木の顔から血の気が引いていく。

 美咲も状況が飲み込めず、呆然と画面を見つめていた。


「バカな……! お前に、銀行の内部システムにアクセスできるはずが――」

「アクセスなんてしていません。あなたが『罠』だと思って操作したそのプログラム自体に、僕が事前にトラップを仕込んでおいただけです。あなたがアイリス・エッジの口座に干渉しようとした瞬間に、あなた自身の不正が公に晒されるようにね」


 俺は淡々と、彼らが陥った地獄の正体を説明した。


「さらに、あなたが買収資金として海外の投資組合から引き出した裏金。……あれは、僕が構築した資金還流システムによって、すべてアイリス・エッジへの『無条件の寄付金』として法的に処理が完了しました。……ありがとうございます、柏木さん。おかげで我が社の内部留保は、過去最高額になりましたよ」


「……う、嘘だ……。俺の、俺のキャリアが……!」

「キャリア? そんなもの、あの日僕に泥を塗った瞬間に捨てたはずですよ」


 その時、応接室の扉が勢いよく開かれた。

 入ってきたのは、警察官数名と、中央帝都銀行の法務部長だった。

「柏木健介。および、共謀者の美咲。特別背任容疑、および横領教唆の疑いで任意同行を求める」


 法務部長は、柏木を一瞥し、虫ケラを見るような目で言い放った。

「佐藤君に対する横領の濡れ衣も、すでに広瀬次長の自白によって全容が解明されている。柏木、お前はもう終わりだ。……佐藤君、当行として、君には最大級の謝罪と、復職の用意を――」


「お断りします」

 俺は部長の言葉を遮り、凛の隣に立った。

「僕の主は、一ノ瀬凛社長、ただ一人です。……あ、それから。広瀬次長の自白を引き出したのも、僕が送った『柏木との裏取引の証拠』ですから。ご安心ください」


 柏木は叫びながら警察官に取り押さえられ、美咲は「私は悪くない! 柏木君に命令されただけなの!」と見苦しく喚き散らしながら引きずられていった。

 かつて俺の人生を壊した二人の姿は、今や哀れな喜劇の登場人物にしか見えなかった。


 嵐が去り、応接室に静寂が戻る。

 重い空気の中で、凛がポツリと呟いた。


「……終わったのね。本当に」

「はい。完遂です。……お疲れ様でした、凛さん」


 凛はゆっくりと立ち上がると、俺の正面に立った。

 彼女の瞳には、安堵と、それから熱いものが溢れていた。

「……佐藤、あんた。……本当に、凄いわね。……私、怖かった。あんたが本当に裏切ったんじゃないかって、一瞬でも疑った自分を殺したいわ」


 凛はそう言うと、我慢できなくなったように俺の胸に顔を埋めた。

 震える細い肩。

 今までずっと一人で戦い、仮面を被り、孤独の深淵で震えていた女性。

 

 俺は少し躊躇い、そして、彼女の肩を優しく、だが力強く抱き寄せた。

 彼女の髪から、甘いシャンプーの香りがする。


「……約束したでしょう。僕は、あなたの味方です。……二度と、あなたを一人で震えさせたりしない」

「……う、ううっ……。佐藤……誠……っ!」


 凛は俺のスーツを掴み、子供のように声を上げて泣いた。

 対人恐怖症、人間不信。そんな彼女が、今、全身で俺を信頼し、寄り添っている。

 誠実さが仇となったあの日から、俺はこの瞬間のために生きてきたのかもしれない。


 復讐は終わった。

 だが、これはまだ終わりではない。

 

 泥の中から始まった物語は、ここから「公私混同」がさらに加速する、新たなステージへと進むのだ。

 

 窓の外、雨上がりの中を、眩しいほどの陽光が射し込んでいた。

 俺は凛の温もりを感じながら、新しく、そして確かな一歩を踏み出す覚悟を決めた。


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