池田騒動
播磨山崎藩で御家騒動の池田騒動が起きた。藩主の池田輝澄は池田輝政の四男。兄弟の死により所領が急激に拡大したが、それによって新たに召抱えた家臣団が古参の家臣団と対立するようになった。輝澄は江戸住まいで、国元は古参の上席家老・伊木伊織が預かっていた。
池田騒動の発端は寛永一五年(一六三八年)の小頭と足軽の金銭問題の対立である。これが古参の伊木と新参の家老・小河四郎右衛門の対立にエスカレーションした。輝澄が新参の家老を重用し、古参の家老が反発した。輝澄の側近の菅友伯が主君輝澄に事実を伝えず、偽書まで作成し小河家老に加担したことが騒ぎを拡大させた。
政長は調停を試みたが、失敗する。
「我らは殿の御命令に従ったまでだ」
「そうじゃとも」
「その通りだな」
「左様」
家臣達は口々に言い募る。
「それがおかしいと言うているのだ!」
政長の声が大きくなる。
「お主ら、余を愚弄しておるのか?」
「滅相もない」
「某はただ事実を申し上げただけでござる」
家臣達は平然としている。
「貴様らは主君に対する礼儀というものがないのか!」
「ないな」
「まったくありませんな」
「この痴れ者どもめ! 切腹させんぞ!」
「好きにせよ」
「どうせ死ぬなら腹を切るより毒でも飲んで死にたいですなあ」
「黙っておれ」
「申し訳ありませぬ」
元のように伊木を上席家老とするように申し入れたが、輝澄は聞き入れなかった。そのために伊木派の物頭衆らの藩士が多数脱藩した。
幕府の裁定により伊木伊織以下二十名が切腹、輝澄は寛永一七年(一六四〇年)に家中不取締りを理由に改易された。政長が城受け取りを務めた。
「殿」
政長は声をかけられて振り向いた。
「おお、力右衛門か」
思わず笑みを浮かべる。
「お呼びでしょうか」
「うむ。実はな……」
政長は林田藩の現状を語った。
「なるほど……それで、私にどうせよとおっしゃいますのか」
力右衛門が問うた。
「いや、何もせぬでも構わぬぞ。ただ、余の考えを話そうと思ったまでだ」
「左様ですか……。某は今のままでも十分幸せですからね。このままが良いと思いますよ」
「そうか?まあ、無理強いするつもりはないのだがな。ところで、力右衛門は何かやりたいことはないのか」
「やりたいことと言われましてもねえ……。あっ!そうだ!」
「何じゃ?」
「いえ、何でもありません」
力右衛門は首を振った。
政長は寛文元年(一六六一年)一二月二八日に丹波守に叙任する。政長は寛文七年(一六六七年)八月二八日、家督を三男の建部政明に譲って隠居した。寛文一二年(一六七二年)四月一八日に没した。




