林田藩
播磨国揖保郡林田への転封によって林田藩一万石が成立した。播磨国にあるため、播州林田藩と称する。林田藩成立後の建部氏は国替えがなく、幕末まで林田藩を治めた。林田藩主となった政長は窪山城の跡地を藩庁とし、林田陣屋と称した。林田陣屋は二重堀で囲まれ、石垣も築いた。尼崎城築城時の経験を活かした。幕府の制度上、三万石以下は無城主格であり、城を構えることは許されず、林田城ではなく林田陣屋となる。
林田藩の領地は三〇数村に分かれていた。政長は藩内を見て回った。
「この辺りには何があるのだ?」
「はい。ここは、米や麦などの穀物を栽培しております」
「ふむ……」
政長は顎に手を当てながら考える。
(確かに、農業に適した地だな)
「それにしても、これだけ広大な土地を開墾するのは大変だったのではないか?」
「いえ、それほどでもございません」
「そうなのか? 人手が多いからか?」
「はい。元々この地にいた者も多くおりましたが、中には他所から来た者もいました」
「他所から来た者もいるのか!?」
「はい。彼らの多くは、この地の領主に仕えていました」
「あー、そういうことか」
「彼らの多くは、領主の改易で行き場を失ってしまいました。そこで、わしらは彼らに声を掛けたのです」
「それが、土豪衆ということなのだな?」
「はい。彼らの多くは、農作業の経験がありましたので、すぐに仕事を見つけることができました」
「なるほど」
しかし、それだけ多くの者がいれば、当然争いも起きるだろう。
「揉め事などはなかったのか?」
「はい。争いごとが起きた場合は、わしらが仲裁に入りました」
「なるほど。それで上手くいったのだな?」
「えぇ、もちろんですとも」
「それならばよいのだが……やはり心配なので、今後は定期的に様子を見に来ることにしよう」
「ありがとうございまする」
政長は領地を四つの大庄屋組に分割し、豪農を各組に一名ずつ大庄屋として任命した。その一つが三木家である。大庄屋は農民ではあるが、名字帯刀を許し、特権を与えた。たとえ家老が来ても大庄屋の屋敷で勝手な真似はできなかった。新田開発によって林田藩は表高一万石以上の石高になった。林田藩では一万石の大名が五人存在する、藩主と大庄屋四人であるまでと言われた。豪農を世襲的に大庄屋として、委任行政事務を執行させる方式は他の小藩でも取り入れられた。
政長は灌漑用に西池を築造した。西池は林田川の水を引き、集落の用水として利用できるようにした。これによって天水の蓄水だけに依存しないで良くなった。西池は水面に空を映して風流な景色を作り出した。また、水の流れも感じられる。川のように流れる水が涼しげで心地よい。池の中に小島を築き、市杵島姫神を祀った。これは須濱神社となった。西池の南東には山があった。その山が湖面に映り、それが琵琶の形に見えることからその山は琵琶山と名付けた。




