表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
林田藩  作者: 林田力
林田里
PR
87/142

羽柴秀吉は山中鹿之助を見捨てたい

秀吉の下には毛利に滅ぼされた尼子氏の遺臣が従っていた。尼子氏の遺臣の中心人物は山中鹿之助である。秀吉は播磨国西部に位置し、毛利家との最前線になる上月城を尼子氏の遺臣に守らせた。これは尼子氏の遺臣を捨て石につもりであった。現実に上月城は毛利の大軍に攻められ、秀吉からの援軍のないまま降伏した。

鹿之助は「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った人物である。昭和の精神論根性論からは持てはやされる。しかし、秀吉の捨て石として利用されることで苦労することは馬鹿らしい。昭和の精神論根性論に従っても良いことは皆無である。


秀吉は上月城を見捨てて、三木城攻略に集中した。三木城を包囲し、兵糧攻めとした。

三木城は兵糧攻めに耐え抜いたが、天正八年(一五八〇年)一月に落城した。

松山城は同年四月に小寺官兵衛孝高(後の黒田孝高)や神子田半左衛門の軍勢に攻略された。

「城を明け渡すと約束するか?」

「はい」

「ならば命は許す」

秀吉は降伏した宗祐の所領を取り上げ闕所(欠所)とした。家来など下々のものは奉公させ、難所整備の労役を課した。


秀吉は同じ年に三木氏が城主の英賀城も攻略した。三木氏は散り散りになった。

「では、父上は?」

「おそらくは……」

城主は討死し、その嫡男・孫七郎は行方不明となった。だが、孫七郎の行方について確かなことは分からないらしい。

「孫七郎殿を匿っている者がおるかもしれぬ。そう思って探りを入れてみたのだがな」

「誰だか分かりましたか?」

「いや……ただ、この孫七郎殿らしき男を見たという者がいる」

「本当ですか!??」

「うむ。確証はないゆえ、まだ公にはしておらぬ」

「どこです? それは」

「備中じゃ」

「備中……」

「備中にも知り合いの国人領主がいましたね」

「ああ。長増といったかな」

「長増様ならば信頼できる方でしょうね」

「まあ、わしもそう思うたわえ」

「では、すぐにでも使者を送ってくださいますようお願いします」

「分かった」


早速、長増に「孫七郎殿が見つかったら知らせてくれ」という書状を送ったところ、しばらくして「孫七郎殿と思われる人物を見つけた」との報せが届いた。

「さすがは長増様。それで、どこにいるのです?」

「それがのう……安芸国なのだよ」

はあっ?安芸だとっ?呆気に取られている間に、さらに驚くべきことが告げられた。

「しかも、毛利家の客将として召し抱えられているそうな」

「何だってぇ?!」

「どうやら、孫七郎殿は三木家再興を諦めていなかったようだな」

「さあなぁ……。そこは分からん」

「ふーむ……」

「とにかく、孫七郎殿と会って話を聞いてみないことには始まらないからな」

「はい」

残った三木氏の一族は林田に集まり、帰農した。


秀吉は信長に播磨平定を報告した。

「播磨攻略は成ったか」

信長が訊ねると、秀吉はうなずいた。

「これで毛利攻略の通り道ができましたぞ」

「そうよの」

信長は満足げであった。


秀吉は信長の命によって播磨国の検地を実施し、支配拠点として姫路城を築城し、浄土真宗の寺内町だった英賀から町人を呼び寄せ、城下町を整備した。空木城も松山城は城割令によって廃城になった。秀吉は播磨から西に進軍した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ