長束正家は策を立てたい
西軍は伏見城を包囲した。宇喜多秀家、小早川秀秋、大谷吉継、毛利秀元、吉川広家、小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、鍋島勝茂、長束正家ら総勢四万である。建部光重も戦いに駆り出された。
慶長五年(一六〇〇年)七月一八日に総攻撃を開始した。
「我らはこれより伏見城を攻める。そして、この城を奪回し、再びこの地を治めるつもりである」
兵力差は圧倒的であったが、伏見城は難攻不落の大阪城に匹敵する名城であり、西軍は攻めあぐねた。城壁や堀、堅固な防御施設が西軍の進攻を阻んだ。建部光重も兵を率いて城攻めに加わったが、無謀な攻撃は避けた。熾烈な戦闘が続いたが、伏見城の堅牢な守りはなおも持ちこたえ、西軍の進撃を阻止していた。
豊臣五奉行の一人・長束正家が策を立てた。
「弓矢さえあればよいのです」
「弓矢だと!?」
光重は疑問の表情を浮かべたが、正家は説明を続けた。
「はい。矢文を書きましたら、それを城外に射ち出して下さい」
「何のために?」
「城内にいる者に読ませるためです。そしてそのあと火をつければ、敵は必ず慌てるはずです」
「なるほど」
正家の計画に納得した光重は、その指示に従い、矢文を次々と放った。
「これはいったいどういうことだ?」
伏見城では矢文の意図を訝しんだ。何が起こっているのかを知らないまま、突如として矢文が現れる光景は、彼らにとって予測不可能であった。
「分かりません。ただ一つ言えることは、敵が何か企んでいるということでしょう」
「それは分かっている。問題はその内容なのだ」
「私どもに読めということでしょうか?」
「読んでみようではないか」
二人は折り畳まれた矢文を開いた。そこにはこう書かれていた。
「当家には太閤殿下から拝領した名物が数多くある。これを全て差し上げるゆえ、どうか我等に味方されたし」
「何とも思い切った申し出だのう」
「どう思う?」
「罠かもしれんなあ」
「だがあえて乗るか? あれほどの名物をくれるというなら、乗らぬ手はないのではないか」
「まあ待て。まずはこの手紙の主を確かめることが先決だろう」
「それもそうだな」
意見が一致したところへ、さらにもう一通の矢文が届いた。
「これまた読めと書いてありますな」
「如何いたしましょう」
「読むしかなかろう」
目を通すうちに、みるみる顔色が変わってきた。
「こりゃたまげたわい」
「どうしたというのだ?」
「この書状によれば、この城のどこかに太閤殿下ゆかりの宝物があるとのことです」
「ほう……」
「しかも太閤殿下直筆の書もあるとか……」
「まさか!」
伏見城内は混乱し、八月に落城した。
島津義弘や小早川秀秋が伏見城攻めに加わったことは関ヶ原の合戦後は困ったことになった。彼らは伏見城に入城しようとしたが元忠に断られたことを強調することで正当化しようとした。ここから逆に伏見城に入城しようとした事実さえなく、関ヶ原の合戦後に仕方なく西軍についたと言い訳するための作り話とする見解も出たほどであった。




