建部光重
豊臣秀吉の死と前後して建部寿徳は隠居を考え始める。政務は息子の光重にシフトしていった。光重は上杉征伐の問題に直面することになる。
徳川家康は石田三成の失脚によって益々専横を強めた。家康は領地の会津にいた五大老・上杉景勝に「謀反の疑いあり」と言いがかりをつけた。上杉家執政の直江兼続は返書で毅然と反論した。これが有名な直江状である。
「景勝心中毛頭別心これなく候へども、讒人の申成し御糾明なく、逆心と思召す処是非に及ばず候、兼て又御等閑なき様に候はば、讒者御引合せ是非御尋ね然るべく候、左様これなく候内府様御表裏と存ずべく候事」
豊臣恩顧の大名でも天下の形勢を考えて家康になびく人が少なくない状況で、ここまで言い切る兼続には清々しさがある。
一方で直江状には「上方の武士は今焼・炭取・瓢べ以下人たらし道具御所持候、田舎武士は鉄砲弓箭の道具支度申し候」と茶道などの文化を軽視する文言がある。文化を重視する諸将には直江状が千利休を切腹に追い込んだ官僚的支配と同一のものに見えてしまう。官僚的支配を嫌う人々は家康の側に立った。しかし、家康に味方した人々にとって皮肉なことに、江戸幕府も個々の自由を尊重する体制ではなく、豊臣政権よりも締め付けが厳しい面もあった。
「この上は会津征伐しかあるまい」
そう決意した家康は上杉景勝を謀反と断定し、上杉征伐を諸大名に号令した。
「会津攻めか……」
「会津ですか?しかしなぜ今頃になって急に……?」
「さあ? わしも詳しいことは知らぬよ」
寿徳は肩をすくめた。
「ただ、どうやら上杉を潰してしまおうという魂胆らしいのう」
「それはまた大胆なことでございますね」
「まあ、それだけ切羽詰まっているということじゃろうな」
「なるほど」
「それでだな、光重。おぬしに出陣願いたいのだ」
「私めが、でございましょうか?」
「そうだ」
「父上!某は病かもしれませぬ」
光重は寿徳に訴えたが、寿徳は取り合わなかった。
「何を弱気なことを申すか。お前はまだ若い。すぐに強くなるわ」
そう言って光重を戦場へ送り出した。
上杉征伐は豊臣家の事業として進めたが、家康は秀吉が行ったような統一的なロジスティックスは無理だと考えた。そこで上杉征伐ではロジスティックスは各大名に任せた。ロジスティックスを各大名に任せるならば、大名家毎に自己完結させる必要がある。諸大名は兵を出すだけでなく、ロジスティックスも考慮しなければならなくなった。
「いよいよだな! よし、出陣するぞ!」
「お待ちくださいませ」
「何じゃ? 」
「まずは兵糧の確保でございまする」
「おお、そうであったな。では、すぐに手配せよ」
「畏まりましてござる」
ロジスティックスの準備で出陣が遅れた大名家が出た。小早川家や長宗我部家、脇坂家らである。大名ではないが、建部家もその一つである。家康は彼らを待たず、見切り発車で出陣した。その間に上方で三成が挙兵し、出陣が遅れた大名は西軍に取り込まれてしまった。
「兵が少ないではないか」
三成は光重の率いた兵数に不満を述べた。
「これでも無理をして集めたのだぞ」
光重は答えた。
「会津への出陣は取りやめだ」
光重は三成に行軍を止められた。
「何故じゃ?」
「太閤殿下の御遺命で大坂城に詰めるのだ」
「何じゃそれは? 某は嫌じゃぞ」
「太閤殿下の御遺命を守ることこそ我ら武士の道ではござらぬか」
「そのような御遺命など聞いたこともない」
「これは命令である! 逆らうことは許さん」
「そんな無茶苦茶なことがあってたまるか」
「黙れ! とにかく、もう決まったことだ! よいか、決して奉行の面々に逆らうでないぞ。分かったな!?」
「……承知した」
光重は溜息を吐く。
(まさか、この様な事態になるとは)




