山上宗二の処刑
利休は秀吉の茶頭であったが、利休と秀吉には美をめぐる確執があった。秀吉は信長没後に秀吉の茶頭になった利休の変わり身の早さをなじる。
「茶の湯のため」
利休が答えた。
「茶の湯のためなら心を売るのか」
「茶の湯のためならば命も売る」
利休は、さらりと返した。利休は織田信長には心服していた。信長の影響を受けた利休にとって、秀吉は小者にしか映らなかっただろう。内心で見下す意識が秀吉にも分かり、二人の関係は抜き差しならなくなった。
利休の高弟に山上宗二がいる。利休は宗二に常々、茶の湯の極意を語っていた。
「茶の湯とは、ただ単にお茶を飲むことではない。それは道であり、生き方である。心静かに、相手を思いやり、自然と調和することだ。これが『茶』の精神である。お前は、これから、それを体得せよ」
人は生くるなりや、死ぬるなりや、また何によってか生きるなるぞや。「人間は何のために生きているのか」という意味である。人生はただ一度きりのものなれば、一生のうちに何をなすべきか、よくよく考えねばならぬ。
宗二は真面目に生きていたために秀吉の怒りを買い、追放となった。小田原に落ち着いたが、秀吉が小田原征伐を始めたことが不幸であった。秀吉は小田原にいた宗二を殺害した。耳と鼻を削いだ上で打ち首にした。宗二は利休以上に反骨精神旺盛な人物とのイメージがあるが、単に管理されることを嫌っただけであった。それが逆に支配者の秀吉には許せなかった。
「茶器を盗んだから殺したのだ」
秀吉は冤罪を作って処刑を正当化した。利休は表向き何事にも動じない風であるが、深く悲しむ。利休も宗二も丸くなった中で、この仕打ちは堪える。才能を潰すことほど腹立たしいことはない。秀吉の恐怖政治は普通に呼吸しているだけで息苦しさを感じてしまうほどであった。利休は覚悟を決めた。
秀吉は利休を呼び出した。
「茶の湯は、わしが死んだあとも続くのか?」
秀吉は利休に尋ねた。利休は答えた。
「私は、あなた様のお側で、この命ある限り働きたいと思っております。私どもの代では、まだ終わりません。次の世代、そのまた次へと、ずっと続いていくでしょう。私も、まだまだ未熟な身です。ご指導いただければ幸いです」
さらに秀吉は自分の死後の天下について利休の考えを聞き出そうとした。秀吉の死後に後継者争いが起き、誰が政権を握るか分からない。「自分が死んだら、どうする気だ!」と、秀吉は利休を恐れていた。
「もし私があなた様のお立場なら、私のような者をお側に置いておきますでしょうか?」
利休は秀吉の質問に対しては答えず、質問を返した。
「お前のような者は、どこにいても邪魔なだけだ」
「私のような凡人でも天下人のお役に立てるなら本望です」
利休はそう言って茶室から去った。
秀長は「兄上は利休を憎みすぎている」と危惧していた。秀吉と利休の仲を取り持つのが自分の役目と考えた。
「利休は兄上のために茶の湯を工夫している。茶の湯を通せば心を通わせることができます」
秀長は秀吉に語った。その秀長が亡くなった。秀長の死によって、豊臣政権の権力構造は大きく変容した。秀吉を止められる人物がいなくなる。利休は天正一九年(一五九一年)に堺への蟄居を命じられた。




