織田信長は四国政策を反故にしたい
「土佐と阿波の南半分以外の領地を放棄するよう要求する」
信長は元親に向けて厳しい要求を突きつけた。
「四国は信長殿からいただいたものではなく、私が実力で征服した土地です。信長殿が領土の放棄を命じる権限はない」
元親は驚きと怒りを隠せなかった。元親は自らの手で四国を征服し、それを誇りとしていた。信長の要求に抗えば、彼の怒りに触れ、信長との関係が一気に悪化することが予想された。
「このままでは信長と争う覚悟を決めなければならないのか」
信長の決定は、彼の視点では統一された天下を築くための一環だった。これに対して元親や光秀の視点では梯子を外されたようなものであった。
「四国攻略は丹羽長秀と織田信孝に任せる。光秀は山陰を攻略せよ」
光秀は信長から告げられた。
「元親には四国切り取り勝手の許可を出していました。それを反故にするならば天下人としての信頼を失います」
光秀は疑念と野心が入り混じった心情を抱えて反論した。
「元親に四国全体の支配権を認めたら、三好氏の立場がなくなるだろう」
「某は家臣の斎藤利三を通して元親と友好関係を築くことで元親を四国の主として上様に臣従させ、上様の天下統一に貢献しようとしていました。その努力が無駄になります」
信長からすると光秀に嫌がらせする意図はなく、単純に四国よりも山陰攻略が難しいと考えたから光秀に命じたのかもしれない。しかし、光秀からすれば既に準備に着手している四国攻略を進めた方がはるかに楽である。そこの理解がないことが問題になる。
信長の心変わりの原因には幾つかの理由がある。
第一に石山本願寺という強敵がなくなり、遠交近攻策で長宗我部を利用する価値が低下したことがある。これは不誠実であることに変わりないが、戦国大名としての冷徹な計算と評価できなくもない。
第二に三好一族の三好康長の降伏である。康長は信長に降伏して元親に対抗しようとした。信長は三好康長を支持した。
第三に信長は三男の神戸信孝に四国の土地を与えて、国持大名にしたいという身内贔屓の論理がある。これは光秀としては怒りたくなるだろう。
逆に信長の立場で考えてみる。当初案の通り、長宗我部の四国統一を認め、光秀の長宗我部の取次ぎを認めさせたらどうなるか。光秀の影響下に四国を統一した長宗我部という巨大な外様大名が存在することになり、脅威に感じるかもしれない。
しかし、毛利攻めを進める秀吉の勢力増大も危険である。四国を光秀の影響下に置いた方が勢力均衡になるだろう。それをしなかった理由として信長には秀吉の過小評価と、自分の息子に力を与えて有力家臣を押さえるという息子の器量への過大評価があったのだろう。
また、信長は明智家中の危険性を大きく評価していたのだろう。利三は長宗我部家と姻戚関係にあり、明智家中と長宗我部家は単なる取次以上の密接な関係にあった。加えて家臣引き抜き問題があり、明智家中は織田家中の中でも独自性が高かったのだろう。
長宗我部家の取次という光秀の努力が水泡に帰し、新たな選択を迫られる状況にあった。
「このままでは、信長と元親、どちらか一方を裏切らなければならなくなる」
光秀と元親は頻繁に連絡を取っていた。元親を救い、その軍事力を活用するためには織田信孝の四国攻撃軍が出陣する前に本能寺の変を起こす必要があった。




