パワハラ説
伝統的には領地替えは、羽柴秀吉が総司令官の毛利攻め担当と共に光秀が左遷や降格と感じて謀反を起こしたと説明される。確かに本能寺の変後の光秀の朝廷工作以外の動きの鈍さを考えると都と鄙の感覚が強そうである。
一方で光秀は惟任日向守の名乗りを与えられており、中国地方どころか九州攻めも担当することは認識していたのではないだろうか。また、現代では中国地方と一まとめになるが、当時は山陽道と山陰道は別の地方であった。
山陰道を過疎地と見ることは現代の視点である。山陰道は出雲大社があり、石見銀山もあり、貿易の拠点にもなる。文化的にも経済的にも重要な地方である。それ故に現代人の表日本と裏日本の感覚で左遷とすることは疑問である。
中国攻めで秀吉の配下に入ることも光秀が屈辱に感じたとする見解がある。しかし、出雲国と石見国の攻略を担当することが山陽道から毛利を攻略していた羽柴秀吉の指揮下になることを意味しない。
それどころか信長は中国方面軍の指揮権を、秀吉から光秀に移すことを計画していたという。信長は自分にとって有能な人物を重用する傾向にあった。秀吉は本能寺の変以前から毛利家と交渉を進めていたが、光秀に自分の立場が奪われる前に片付けたいという面があった。
伝統的な謀反理由として大きなものに怨恨説がある。信長は光秀を「金柑頭」と罵倒し、殴りつける。侮辱し、領地召し上げなど嫌がらせを繰り返す。光秀は信長に命じられて徳川家康や穴山梅雪を饗応したが、信長は光秀の出した料理が気に入らず、光秀を折檻した。二人の仲を決定的に悪化させる出来事が繰り返された。信長のような態度を続けていれば謀反を起こされても仕方がないと思わせるものがある。これは主君への謀反は余程のことであるという江戸時代の封建的価値観にマッチしていたために普及した。
現代では社会問題になっているブラック企業と重ね合わせて共感を集めている。信長の行為は現代的にはパワハラ(パワーハラスメント)である。光秀は屈辱のあまり、手の震えが止まらなくなる。これは現代的にはメンヘル(メンタルヘルス)に重なる。恨みが深まる要素として誰に対しても暴君ではないことがある。信長は千宗易には好きなことを言わせている。自らの美学を貫く宗易には寛容である。
これを光秀に期待しているために冷たい態度をとったと擁護するならば、パワハラ上司の事後的な言い訳と同じである。信長の真意が光秀に伝わることはないし、光秀が理解することもない。光秀は謀反を決意した瞬間に、手の震えが止まった。これは会社を休む、または辞めることを決意した途端、心身の不調から解放されるメンヘル患者に似ている。炎上する本能寺を見た光秀は「これで眠れる」と独語した。
現代人感覚では本能寺の変を過労死寸前の状態であったとする見方は理解しやすい。とは言え過労死寸前は物凄く追い込まれた状態である。謀反のような積極的なアクションを起こすことは考えにくい。そこまで疲弊しなくても、使い倒そうとする相手に強烈な反発心を抱くことはある。
光秀を使い倒さなければ気が済まない織田信長に愛想をつかしたことが動機になるのではないか。現実に疲弊しているか否かではない。もっと頑張れそうな人間に頑張らせようとすることを良いことと考えるような昭和の精神論根性論には敵意さえ抱きたくなる。




