本能寺の変
戦国最強を誇った武田家の滅亡により、織田家中のほとんどが遠からず織田家の天下統一が実現すると予測していた。それは身分が固定化し、槍働きによる立身出世が望めない時代になることを意味する。そうなる前に武功をあげたいという焦りを抱く家臣達も少なくなかった。
「上様は今年中に日ノ本を平定するおつもりだ」
「なっ!?」
「まだ戦の準備も整わぬうちにか」
「無謀ですぞ」
「我らにも出陣の命が下されますかな」
「さて……どうであろうな」
九州や東北では、これから大きな戦が起きる。これから伊達政宗や島津が活躍する。豊臣秀吉の天下統一事業は歴史書ではあっさり書かれがちであるが、実際は際どい戦いの連続であった。この時点で太平の世が近いと想像することは、上方武士の気の緩み、地方軽視がある。
その頃、明智光秀の本拠地の坂本城では光秀と家臣の斎藤利三の密談が行われていた。
「いよいよか……」
「はい。準備は全て整いました」
「うむ。それで例のものは用意できたか」
「はい。こちらにございます」
利三は懐より一通の手紙を取り出した。
「必ず届けよ」
「御意」
利三は立ち上がり、その場を後にする。その後ろ姿を見つめながら光秀は笑みを浮かべていた。ふっ……。これであの男も終わりだ。
光秀は天正一〇年六月二日(一五八二年七月一日)、京都の本能寺で宿泊中の信長を襲った。
「是非もない」
信長は光秀の謀反を知ると一言述べただけで感情をほとんど表に出さなかった。僅かに眉毛を上げ下げするだけで表情を変えていた。最後まで真意を秘め続けたままの不気味さを醸し出していた。
明智勢に攻撃された本能寺は炎上し、爆発した。本能寺は寺というものの堀と土塁に囲まれ、それなりの要塞であった。火薬も保管しており、それが引火した。信長の遺体も爆発で四散し、本能寺の焼け跡から見つからなかった。
本能寺の変は織田家中にとって青天の霹靂となる事件であった。
「信じられん」
「わしもそう思う」
「だが、これは確かなことらしい」
寿徳は若狭国で代官をしていた。若狭国では武田元明が光秀を支持し、若狭の国人を糾合した。元明は旧若狭国守護であったが、長秀の与力の小領主になっていた。若狭国の大名に返り咲くことを目指して光秀に味方した。元明は近江へ侵攻して丹羽長秀の本拠の佐和山城を陥落させた。
その間、寿徳は潜伏していた。寿徳には玉砕趣味はなかった。
「殿……」
「何じゃ?」
「よろしいのですか? 一戦もせずに隠れてしまわれて」
「構わん。どうせ一戦しても意味がない」
「ですが、もし丹羽家の者に見つかったなら……」
「その時はその時よ」
「御意」
一戦も戦わずに隠れていたことは主君の長秀からは評価されなかった。長秀は本能寺の変が起きた時は大阪で四国出陣の準備中であった。本能寺の変の衝撃で四国派遣軍は四散し、長秀は動けなかった。自身ができなかったことを家臣に要求されることは思うところがある。寿徳は長秀から去り、秀吉に引き抜かれて配下になる。




