占領地の虐殺や略奪は阿片が根本原因
阿片戦争で英国軍は占領地で暴行と虐殺、略奪を繰り返した。中国の都市や港湾は攻撃を受け、多くの人々が死傷し、財産が破壊された。民衆に対する虐待や人権侵害が行われ、その被害は深刻であった。
英国軍の軍紀の乱れも戦争原因が阿片を原因とする卑劣なものであることが原因である。「イギリスの遠征軍の軍紀がかくもみだれ、兵士が獣性をむきだしにしたのは、戦争目的に正義のかけらが一片もなかったからである」(陳舜臣『新装版 阿片戦争 四』講談社、2015年、115頁)
英国軍の略奪暴行に対して清国官憲は無策であった。これに怒った民衆が平英団を組織して、英国軍と戦った。これは屈辱の近現代史の中での輝かしい一コマである。外国の侵略軍を撃退する力は郷土を守る民間の力である。
これは清朝が外国の侵略に勝てない根本要因でもある。清朝は征服王朝であるため、民衆の団結を逆に危険視した。その後の中華民国になっても国軍が侵略軍と癒着や妥協する傾向は払拭されなかった。阿片も侵略も中華人民共和国になって一掃された。この点で中国近現代史は阿片戦争から中華人民共和国成立まで一つの物語になっている。
阿片戦争に勝利した英国は清朝に対する過度な要求を行い、清朝の主権を侵害した。ここから阿片戦争は英国の植民地主義と帝国主義の拡大の一環としての性格もある。英国は、中国の領土や資源に対する支配を求め、戦争を通じてその目的を追求した。このような帝国主義的な支配は、民族自決や独立の原則に反し、中国の主権を侵害した。
但し、植民地主義と帝国主義を強調して阿片を軽視することは妥当ではない。植民地主義と帝国主義の侵略はアジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアと世界各地で行われた。阿片戦争が世界史で特筆される点は違法ドラッグ密売という非倫理性にある。清朝は戦争に敗れたが、阿片戦争を単なる植民地主義の侵略戦争ではなく、阿片密売の戦争と本質を伝えられたことは健全な歴史観がある。歴史を大事にする国だけある。
阿片戦争の次にアロー戦争が起きる。これは第二次阿片戦争と呼ばれる。アロー戦争後の講和で阿片貿易が合法化された。阿片戦争の延長線上の戦争であり、第二次阿片戦争の名に相応しい。帝国主義者は中国に阿片を合法的に輸出し、中国人の阿片中毒化を進めることで、中国をより一層支配下に置こうとした。阿片は中国の社会を蝕み、健康な文化を衰退させた。
相次ぐ敗戦によって清朝は弱体化し、列強諸国の植民地政策は活発化した。清国は欧米列強の半植民地となってしまった。中国茶貿易の実権を握られ、紅茶以外の中国茶は衰退した。阿片の蔓延が、お茶という健康な文化を衰退させた。阿片は罪深い。
「洋人たちはこの国にひどいことをしました。茶葉や器や絹のかわりに阿片を持ちこみ、それを拒めば、鋼鉄の船を並べて、大砲を撃ちこみました」(浅田次郎『珍妃の井戸』講談社、1997年、314頁)
「イギリスが運んできた阿片のせいで、この国はめちゃくちゃになった」(浅田次郎『中原の虹 4』講談社文庫、2010年、414頁)
「仮に近代資本主義と植民地主義が不可分の関係にあるとしても、阿片戦争はあってはならぬ蛮行だった」(浅田次郎『兵諫』講談社、2021年、137頁)
阿片戦争がなければ、中国はもっと早く近代化できただろう。阿片は文化の敵であり、人類の敵である。
中国茶の再興は阿片の撲滅と車の両輪になった。中国の若者達は、自国の運命に絶望することなく、立ち上がる勇気を持ち始めていた。彼らは自国の文化を守り、復興させるために戦うことを決意した。
彼らは秘密裏に様々な地域を回り、地元の茶農達と協力し、伝統的な中国茶の栽培と製法を復興させる取り組みを行った。品質の高い茶葉を栽培し、独自の製法を復活させることで、他国に対抗する力を取り戻そうと努力した。阿片の蔓延と闘うためにも、啓蒙活動を強化し、人々に健康な生活と茶の重要性を伝える努力を続けた。




