英国は阿片密売の問題をすり替えたい
林則徐の阿片没収で即座に開戦したのではなく、英国人と清国の間のトラブルは続いた。酔っぱらった船員が農家の飼っているニワトリを勝手に食べてしまい、それを追及した村人達と喧嘩になり、村人を殺害する事件も起きた。清国の人々の英国人への感情は悪化していた。
英国は違法ドラッグの阿片を没収されたことを理由に戦争することはできない。そこで問題のすり替えを図った。「頑迷な清国の中華思想の打破。問題を『阿片』から、ここに移さなければならない」(陳舜臣『新装版 阿片戦争 二』講談社、2015年、388頁)
現代でも阿片戦争の原因を貿易や外交の問題とする見解がある。制限貿易と自由貿易、朝貢外交と対等外交の対立である。しかし、貿易や外交の対立をクローズアップする議論の背景に阿片密売の反倫理性を誤魔化そうとする動機がないか注意する必要がある。
「たしかに体制や文化の対立はあった。しかし、それが原因になるのなら、もっと早くにイギリスが武力行使に訴えてもおかしくなかった。結局、イギリスはアヘンのためにしか戦えなかったのである」(並木頼寿、井上裕正『世界の歴史19 中華帝国の危機』中公文庫、1997年、71頁)
阿片を販売し、侵略戦争の口実とした英国の反倫理性は明らかである。英国が阿片密輸を続けたことに対して、清朝は合法的な手段で対処したが、英国は軍事力を行使して阻止した。この上なく非倫理的な侵略である。とんでもない話である。
英国議会でもグラッドストーンは反対演説を行った。「その原因がかくも不正な戦争、かくも永続的な不名誉となる戦争を、私はかつて知らないし、読んだことさえない」
阿片戦争は軍事的には無謀な戦争と評価される傾向がある。しかし、林則徐は英国の実力を把握し、任地の広州では軍備を近代化し、戦争に備えていた。英国艦隊も林則徐の指揮する広州を攻めることは容易ではないと認識していた。そこで英国艦隊は北上して上海近傍の舟山群島を攻撃した。舟山群島には旧式の大砲しかなく、英軍の圧勝であった。舟山群島を占領した英軍は略奪暴行の限りを尽くした。
さらに英国艦隊は黄海に入り、首都北京に圧力をかけた。この結果、林則徐が罷免され、腐敗官僚に交代して広州の軍備が弱体化した。その後で英国は広州を攻撃した。阿片で開戦した英国は戦略的にも卑劣であるが、弱いところを叩く点で戦術的にも卑劣であった。
清朝は広州を英国から守るために広東省外からも兵を集結させた。この兵が広東省で略奪狼藉を繰り広げた。このため、広州の人々の憎悪は英国人よりも外部から来た兵士に向けられた。兵士に対する暴動が起きた。英国に清軍の動きを通報する市民も出た。英国は清国人を傭兵にした。清国人の貧しい民衆は兵士に搾取されており、清国軍と戦う動機はあった。
「おれたちゃ、兵隊野郎にさんざんいじめられてきたじゃねえか。その仕返しをしてやるんだ」(陳舜臣『新装版 阿片戦争 三』講談社、2015年、291頁)。
現代日本でも警察不祥事や横柄でタメ口の職務質問、点数稼ぎの交通違反取り締まり、恣意的な捜査など国民の警察官への不満は高まっている。日本が侵略されても同じような台詞が出てくるかもしれない。寺山修司は「身捨つるほどの祖国はありや」と詠んだ。ロシア連邦の侵略を憎み、ゼレンスキー大統領を支持するウクライナ人のようにはなれないかもしれない。




