建部政和
九代藩主・建部政和は建部政醇の子である。政和は自分を補佐する人材を探した。有能な人材を歓待して、協力を要請した。嘉永四年(一八五一年)に河野鉄兜を招聘した。鉄兜は文政八年(一八二五年)に医者の子として生まれた。五歳から漢籍を学ぶ。一五歳で一夜にして詩百篇を作り、神童と呼ばれた。本屋では立ち読みで内容を覚えてしまい、本を買わなかった。そのため、本屋の店主は鉄兜が来ると新刊書を隠した。
その後、上洛して梁川星巌について詩を学ぶ。松本奎堂や頼三樹三郎らの勤王の志士と交わった。本草学、仏教、絵画、和歌にも通じ、博学多能で知られた。鉄兜の名前は豊臣秀吉の播磨攻めで各地に散らばった河野氏の正統であることを示すため、鉄製の兜をその証として継承していたことから取られたものである。
「お主があの有名な鉄兜か」
「はい。ご存知いただけて光栄です」
「噂には聞いていたぞ。なんでも文武両道に秀でた人物だとな」
「恐れ入ります」
「その若さで大したものだ」
「恐縮です」
「ところで鉄兜よ」
「はい?」
「貴様はなぜそのような格好をしているのだ?」
「えっ!?あー……」
まさか自分の名前の由来である鉄兜を被っている理由を聞かれると思わなかったのか言葉に詰まった。
「それは……なんといいましょうか……」
「ふむ、まぁよい。深く詮索するつもりはないから安心しろ」
「時に鉄兜よ」
「はい」
「先日、余の弟を殺した賊がいるらしいのだが、何か知らぬか?」
「……いえ、何も知りません」
「ほう、では誰だと思う?」
「……分かりかねます」
「そうか。まぁ良い。いずれわかることであろうしな」
「……」
「時に鉄兜よ」
「はい」
「貴様に褒美を取らせようと思う」
「ありがたき幸せ!」
「うむ。だが、ただ与えるだけでは面白くない。そうだな……貴様の望みを言うがよい」
「私の願いですか?」
「ああ、何なりと言うが良い」
「……それならば一つお願いしたいことがございます」
「申してみろ」
「はい!実は私、かねてからやってみたいことがありまして」
「ほぅ、言ってみるがよい」
「はい!私はかねてより馬に乗ってみたいのです!!」
「…………」
「どうでしょう殿!!是非とも私めに馬をくだされませぬでしょうか!!!」
「………………」
「………………」
「………………ぷっ」
「くっくっくっ……」
沈黙の後、二人は同時に吹き出した。
「あっはっはっはっは!!!面白い奴じゃなお前は!!いいだろう、許す!思う存分乗馬を楽しむがよいわ!!」
「ありがとうございます!!」
「しかし、貴様もなかなかどうして肝の座った男ではないか。気に入ったぞ。これからもその調子で励め」
「はっ!!」
さらに鉄兜は「西国の高名な文人達と交流したいので、旅行のための休暇をいただきたい」との条件を付けた。政和は承諾して旅行費用も出した。
「鉄兜が帰って来ない」
家老からその知らせを受けた時、政和は愕然とした。
「いつまで待っても戻って来ぬとはどういうことだ?」
「それが……行き先も告げずに出て行ったままなのでございます」
「何だと?! そんな馬鹿なことがあるか!!」
政和は怒り狂った。
「あの男には前々から不満を抱いていたのだ!! 今こそ思い知らせてやるぞ!」
鉄兜の行方を探させたところ、ひょっこりと戻ってきた。
「おお、無事だったのか!一体どこへ行っていたのだ? どれほど心配していたと思う」
政和の顔に安堵の色が広がった。
林田に居を移した鉄兜は嘉永五年(一八五二年)、二八歳で林田藩に仕官した。藩校致道館の教授になり、尊王攘夷を説いた。全国から多くの志士・文人・学者が河野に会うために林田を訪れた。勝部貫一は島根から河野鉄兜に学んだ。その後に長崎で英語を学び、私費でアイルランドに留学した。帰国後は出雲の今市に私立英語学校の包蒙義塾で英語教育に携わった。
政和は安政三年(一八五七年)、大番頭となり二条城を警備した。文久三年(一八六三年)に詰めていた二条城で亡くなった。




