天明の打ちこわし
「殿! 大変です」
政賢のところに家臣の力房が慌ただしく駆け込んできた。
「どうしたというのだ?」
「大変ですぞ!」
力房の顔には血の気がなく、目は真っ赤で涙目になっている。
「何があった?」
「それが……それが……」
「落ち着け。ゆっくり話せ」
「打ちこわしが起こりました」
「何だと!?」
「真か!」
「暴徒が商家を壊して回っています。まるで鬼神のごとく暴れています。その数は三千人とも」
「馬鹿なっ! そのような数を集めるなど不可能だ」
「村々には廻状が送られ、打ちこわしに参加せず、人数を出さない村には火をかけると脅しているようです」
「まったく貧乏人という連中はどうしようもないな」
家老が口を挟む。
「…………」
政賢は無言のまま考え込んだ。
(彼らは飢えに耐えかねて立ち上がったのだろう)
「すぐに鎮圧せよ」
「畏まりましてございます」
「それと姫路藩と龍野藩にも助勢を依頼せよ」
林田藩は打ちこわしに独力では対処できず、姫路藩と龍野藩の力を借りた。しかし、それは事態を凄惨にしただけであった。米蔵を開放してようやく静まった。
「皆のもの聞けぃっ」
家老は集まった民衆達に呼びかけた。
「今より米蔵を開いて、米を放出しようと思うが如何であろうか!?」
ざわめきが起こった。
「まことであるか!?」
「ありがたい」
「これで生き延びることができるわ」
「さすがは建部様よ!」
民衆は口々に感謝の言葉を述べた。
「ただし、これは一時のこと。いずれまた同じことが起こるだろう。その時は再び米倉を開くつもりでいるが、先ずは耐えてくれぬだろうか?」
「もちろんですとも!」
「いやあ……、驚きましたねえ」
打ちこわしを阻止した時のことを思い出して、家老は感心したように言った。
「しかもですよ。それを見ていた他の連中まで、次々に『俺たちにも何か仕事をさせてくれ』って言ってきて……」
「ほう?」
「まあ、中には本当にただ働きしたいっていう変わり者もいたんですけどね。でも、そういう奴らはたいてい腕っぷしが強かったんで、用心棒として雇うことにしたんですよ」
「ふむ……」
「そしたらこれが大当たり! みんなよく働いてくれますからね。そりゃもう喜んで」
「なるほど……」
家老の話を聞きながら、政賢は思わず苦笑してしまった。まったく、世の中というのはわからないものである。
「それでは今日はこれにて失礼いたします」
「ああ、ご苦労であった」
一通りの話を終えたところで、家老は帰っていった。
林田藩を悩ませた民衆の抵抗は百姓一揆よりも、無宿の動きであった。百姓一揆は村や家に所属し、領主の御仁政にあずかるべき正統性のある運動であった。言わば既得権擁護の運動である。藩主が悪政をしなければ百姓一揆は起きない。
これに対して無宿は封建体制そのものを動揺させ、変革させる力を持つ。
「困っているおいら達に何もしてくれないお上なんざ、いらない」
「これ以上、民を苦しめるでない!」
疫病が流行し、餓死者や病死者が多数出た。農村が立ちいかなくなり、流人化して無宿になる農民が出た。封建的束縛を逃れるために、あえて無宿を選択する人々も出てきた。身分秩序が厳格と思われがちな江戸時代であるが、実はもっと流動的であった。無宿の世界はカオスであった。少数の支配階級と圧倒的多数の被支配階級という戦後日本で流布した通俗的マルクス主義的な世界観は現実社会の多様性を説明できない。




