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どうやら主様は日が落ちると住処に帰ってくるらしい。話している最中にそれに気が付いた。日中は食事も兼ねて湖を回っていると。
だからフランフィールは日中に睡蓮宮と交信をとることにした。
「どなたか、いらっしゃいますか」
何度か話しかければ間を置いて答えが帰る。焦りと喜びに満ちた、聞きなれた声だった。
「フランフィール。あなた、まだ生きていたの!」
「レーデシェスカ。私は無事。主様とお話をしたりしている」
「食事は」
「お腹が減らない」
それから導師へと話が通る。フランフィールは導師に懇願した。主様との話を、乙女たちにして欲しいと。フランフィールの短い人生では語れることは少ない。ただでさえ口下手なのだ。気を張ってしゃべっていたものの、話す内容がなくなってきている。
これには快い答えが返ってきた。
「当番制にして、睡蓮宮に泊まるよう指示を出しましょう」
「ありがとうございます、導師様。主様もお喜びになります」
「主様の喜びは湖岸の民の喜び。……あなたは、大丈夫なのですかフランフィール」
「最近は眠気も感じなくなって参りました。食事もいりません。気がかりは一つだけ。導師様、王城の交信器を盗み出した罪をお許しくださいますか?」
「当然です。あなたの罪を許します」
それは王の一言よりもずっと重い許しの言葉だった。ほう、と息が漏れる。
それならきっとシャイロックの罪も許されるだろう。子供のころから重いものを背負って生きてきた人。主様との契約という重荷を下ろして自由になった。これ以上背負わなくてすむなら、きっと身軽にどこまでもいける。
その隣にフランフィールはいないけれど。じわりと視界がにじんだ。
導師は続けていろいろと注意をした。主様に迷惑が掛からないように、というのがほとんどだったが、中にはフランフィールを心配するような言葉もかけてくれた。なにか異常があったならすぐに連絡なさい、さみしかったら声をかけなさいと。
フランフィールはなんだか大声で泣きたくなってきた。とても厳しい人だったのだ。犯罪者と罵られる覚悟すらあった。その人がこうして心を割いてくれている。それだけで、報われるものがある。
「導師様、あなたに感謝を。フランフィールは主様のもとへ赴いて幸せです」
心からの言葉だった。
導師は息をのみ、また連絡をするようにとだけ言って交信器は役割を終えた。
導師の言葉通り、次の晩から乙女たちとの交信が始まった。
主様は最初こそためらっていたものの、当番だという二人の乙女が喜びに泣き出してからはゆっくりと話すようになった。
乙女の片方が話をしていく。ときおりフランフィールが主様の代わりに合いの手を入れ、話がひと段落つくと主様が声をかけた。交信器の向こうから喜びが伝わってくる。結局この日は一人の乙女がしゃべるだけでいっぱいいっぱいだった。
「主様。ありがとうございます」
「フランフィール。なぜ感謝をする?」
「わたしの同僚たちが喜んでおります。この幸福を彼女らにも分けられたことを嬉しく思っているのです」
「そうか」
主様はそれだけ言って静かになってしまわれた。フランフィールも砂地に横になる。大事に大事に交信器を抱えながら、目を閉じた。
翌日の目覚めはまだ主様がいらっしゃるうちだった。日に日に目覚めが早くなっていっている。そうしていつか眠る必要もなくなるのだろうか。
この変化は早いものの、なぜかフランフィールはそれを当たり前のこととして受け止めていた。食事がいらない。睡眠もいらない。時間の感覚はもうない。その後にはいったい何になるんだろう。ぼんやりと主様を見送りながら考える。
巻き上げられた砂を払い、じっと思い出にひたる。
シャイロックを拾ったこと。求婚され続けた日々。彼は水底に帰っただろうか。あの主様との約束のしるしは消えたのだろうか。睡蓮の乙女たちには聞くに聞けないことばかりだ。
それから、湖からの客のこと。湖から人が来たのをもてなしていたが、つまらない嫉妬であるとき疎遠になり恵みも耐えた。湖からの人とは水底の民のことなんだろう。つまらない嫉妬も分かるような気がした。水底の民は主様にずっと近い。自慢されたら我慢できなくなる気持ちもわかる。恵みは知らないけれど。
シャイロックは結局どうしたのだろう。自由になればいいと思いながらも未だフランフィールに未練を残していてほしいと思っている自分がいる。あのささやかな波乱の日々を思い出す。今度主様に話してみようか。でも、主様が傷ついたら悲しいからそれはちょっと保留しておこう。
せめて笑い話になるくらいまで、そう。フランフィールの未練がなくなるまで。
ふと声が聞こえた気がした。顔を上げる。いつか見た青年が手を伸ばしている。確か名前をラウディと言ったはずだ。薄水色の髪をなびかせながらこちらによって来る。
「ラウディ、こんにちは?」
「こんにちは乙女さん。ちょっと水面まで来てもらえるかな」
「わたし、ここで主様を待つ」
「主様は日暮れまで帰られない。時間はかけないから」
ラウディは足になにかヒレのようなものをくっつけていた。彼と会った時のことを思い出す。あっさりずけずけとしゃべる姿に嘘はなかった。
ラウディに頷いて見せる。両手でしっかりと交信器を抱えれば、ラウディは後ろに回って脇をつかむ。驚く暇もなくフランフィールは浮かんでいく。
「シャイロックがさ、俺が行ったらさらって帰りたくなっちゃうからって人を呼び出して」
ラウディのおしゃべりにびくりと体が反応する。彼は気付かなかったようだ。
ヒレは特殊なものらしい。多分、湖の精霊の力を借りているのだろう。なぜシャイロックやラウディがここに来る必要があるのか。水面に出たら聞こう。
舌を噛みそうだったから黙って連れられて行った。
水面が近づいてくる。光の柱がいくつも降りてきている。主様の体とは違った眩しさを覚えて、目を細めた。久しぶりの水面は陽の光に満ちていて、思わず目を閉じてしまう。
「フランフィール!」
声の方に顔を動かす。なんだか懐かしくて、つい最近聞いた声だ。いつもの余裕はどこへ置いてきたんだろう。切羽詰まった姿なんて似合わない。
「レーデシェスカ。久しぶり」
ようやく目が慣れて開いたときに見たのは、泣きそうな親友の姿だった。どうしてそんな顔をするんだろう。
ラウディに連れられていつも使っている舟より長い舟に近寄る。交信器を持ち上げれば、レーデシェスカはしっかりと受け取ってくれた。
「こんなところでどうしたの?」
「あなたが精霊になっちゃうって聞いたから慌てて来たのよ、そこのマイペース男と一緒に」
「それって俺のことかな? まあよく言われるけどさ」
「ちょっと黙ってなさいラウディ。さあフランフィール。舟に上がって」
言われるままに舟に上がる。舟の上には食べ物でいっぱいだった。それからいくつもの花束や物と手紙の山。どうしてこんなものが積まれているか分からずに、レーデシェスカをじっと見つめた。




