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目が覚めれば真っ暗だった。ここはどこ、水底。手の中のものはなに、睡蓮宮との交信器。わたしはどうしてここに、主様ものとへ赴くために。あの美しい睡蓮を咲かせるために。そうしてそれは成った。
いまが朝かも分からない。背中に砂の感触を感じ、起き上がる。あちこちに砂は侵入しているみたいだけれど、交信器は離せないからちょっと気になるくらい仕方ない。そのままじっと、主様の帰りを待った。
不思議なことにお腹は減らなかった。
なんの話をしよう。なんの話を聞こう。フランフィールの頭の中はそれでいっぱいだ。
ときおりシャイロックの姿がよぎるものの、もうシャイロックは主様から解放された。フランフィールを助ける義理はない。真っ暗な中ではそれは当たり前のように思える。
胸元でかすかに光る首飾りを思う。湖を自在に泳ぎ回れるシャイロックがこんなものを作った理由。助けてくれと言うつもりだった理由。どちらも同じだろう。彼は、身代わりを求めてはるばる水面までやってきたのだ。
それなのに、必死になってフランフィールを留めようとしてくれた。
「ばかなひと」
それじゃあ身代わりらしく、睡蓮の乙女らしくずっと主様に仕えていよう。
片隅から黒く沈んでいく自分の心に気付かないふりをしながらフランフィールは決めた。
湖が揺れて、砂を巻き上げる。目に入らないようにぎゅっと閉じていると、流れを感じた。なにか大きなものがやってくる。主様だ。
そっと薄目を開ければ、真っ白に輝く流線型がこちらに向かってくる。避けようとして、それは不敬だと思いなおす。逃げたいと叫ぶ本能を押し殺し、座って待った。
静かに主様が寝床に収まる。しばらくすれば舞っていた砂も降りてきて、フランフィールの髪にも積もる。片手で簡単に払うと主様に向き合った。
「なんの話をしましょうか」
「娘、フランフィール。そなたの生きた道を知りたい」
「かしこまりました」
たどたどしい話が幕を上げる。
始まりは、孤児院だ。フランフィールと名だけ記された板を持たされて捨てられていたこと。少し大きくなってからは、孤児院になかなか馴染めずに辛い思いをしたこと。ひとり泣きそうになりながら湖岸まで逃げてきたら、ちょうど主様が跳ねるところを見たこと。
「主様は覚えていらっしゃらないと思いますが、わたしはあの日を忘れません。睡蓮宮から乙女たちが舟を漕いで帰ってくる、その真後ろで眩しい白の美しい主様が弧を描いていたことを」
見とれている間に波が押し寄せて大通りまで押し流されたこと。びしょびしょに濡れて帰ったら笑われてしまったこと。そうして、主様の跳ねる姿を見たことを羨ましがられてみんなの輪に入れたこと。
「みな主様のお姿をみようと、毎日湖岸に通いました」
「水面の民は、皆そうなのか」
「そう、とおっしゃいますと?」
「我の姿を見たがるのか、と言う意味だ」
「それはもちろん。影だけでも拝見できた日は幸せでございます。このように声を拝聴したとなればますます羨ましがられるでしょう」
主様はしばらく沈黙した。フランフィールも主様にならって沈黙する。この静けさはちっとも嫌ではなかった。
「水面の民は、かわいいものだ」
「みな主様を慕っております。シャイロックが驚いておりました。晴れの日は主様の機嫌がいいから、雨の日は主様の恵みとなんでもよくとらえると」
「さすがに我も天のことはどうにもならない」
主様が笑う。砂が巻き上がり、全身に笑い声が響き渡る。泳ぎ回る小魚の群れも驚いたらしく向きを変えて去っていった。幾重にも重なって聞こえるそれは温かい。
それから、フランフィールが睡蓮の乙女になるべく頑張ったこと。礼儀正しく、見眼にも気を使い、決して道理を外れないようにしていたことを伝える。主様にずっと慕っておりましたと伝えるのは簡単だった。いつもの祈りを口に出すだけなのだから。
「あの睡蓮の花は、水面の民にとってどんな場所だ?」
「われわれにとっては自慢であり、祈りの場でもあります」
「睡蓮の乙女たちはそこでなにをする」
そこでフランフィールは睡蓮の乙女になってからの話をした。祈りの最中に言葉の意味が分からずつっかえてしまったことなど、ささやかな失敗を織り交ぜながら睡蓮の乙女の日常を、フランフィールの過去を語っていく。
「フランフィールもその友も、名が長いな」
「レーデシェスカは、父と母の喧嘩の末になった名前だと聞きました。父はレーデと、母はシェスカと名付けたかったそうで、長い喧嘩をしたと。祈り手様に相談したところ、両方を合わせた名前を付ければいいと言われまして、レーデシェスカとなりました。長い名前友達です」
「ふふふはは。人は面白いことを考える」
「主様には名前があるのでしょうか」
「ない。湖の子らは等しくみな主様と呼ぶ」
少しさみしそうに主様が告げる。この方は、対等となる存在がいままでずっといなかったのだ。それを肌で感じる。さみしいと繰り返す訳も分かってしまう。
フランフィールにはレーデシェスカがいた。レーデシェスカはお姉さんぶるものの、歌が得意じゃなくて踊りが得意。フランフィールは歌が得意らしく踊りはいまいち。始めは衝突したものの、そうやって補ってきた。
「レーデシェスカの話をしましょう。わたしと彼女は最初とても仲が悪かったのです」
「ほう、人の子は不思議な縁の作り方をする」
「わたしもそう思います」
シャイロックのことを思い出す。不審と困惑で振り回された日々。それが協力関係にまでなった。一時は結婚を受け入れてもいいとすら思ったのだ。あの無邪気な笑顔を思い出してしくり胸が痛むものの、気付かないふりを続ける。
「レーデシェスカは乙女たちの中でも一番ものをはっきりといいます。これは乙女になってから全く変わっていません」
レーデシェスカについて思い出す。結婚活動の一環として睡蓮の乙女になったとはばからずに言った少女。フランフィールにとってそれは背信だった。一番遅くに睡蓮宮にたどり着くレーデシェスカを勝手に目の敵にしていた。
ある日、具合の悪いフランフィールを目にしたレーデシェスカの一言で二人の関係は変わる。そんな調子じゃあ主様にきちんと仕えられないわよ、と厚手の中着を貸してくれたのだ。
「レーデシェスカはわたしのことがすっかり分かっているようでした」
休めとは言わないのかと聞けば、フランフィールにはフランフィールのやり方があるんでしょうとあっさりと言った。レーデシェスカは良くも悪くも個人を尊重する子で、彼女なりの信仰も持って睡蓮の乙女をしている。
それが理解できた日から、ご飯を一緒に食べるようになったのだ。
「食事を共にするのが友好の証か」
「食事を共にする、というよりも食事とおしゃべりをする時間を共にするという方が正しいのかもしれません」
「かつてここに来た娘はよくしゃべった。娘たちもよくしゃべるのか」
「あまり大きな声を出すとしかられますから、ひっそりとお喋りをします」
そうして主様からはかつてここに来たという娘の話を聞いた。水底の民だったという彼女はたびたび主様のもとに訪れた。水中花が咲いたと目の前に持ってきたり、いいことがあったと報告に来たり。
「水中花は、私も見かけました。白い可憐な花でした」
「おそらく同じものだろう。白色が主様の色だと笑っていた」
そのうちにここに居座るようになり、ずっと話をしたと。
彼女も睡蓮宮が好きだったらしい。主様が戯れに作られたそれがいかに美しいのか、山ほどの言葉を尽くして訴えたそうだ。その気持ちはフランフィールにはよく分かる。
彼女はいつの間にか湖に溶けて消えてしまって、また静かな日々が戻ってきたのだと。それはさみしい日々だったのだろう。
フランフィールは交信器を撫でる。そう多くもないフランフィールの話が終われば、これの出番だ。乙女たちにかわるがわる話して貰えば華やかになるだろう。
予備を改造して。自分のわがままが耳に蘇る。きっとそんなことはできないだろう。交易品の、国宝に値する品だ。乙女一人とは釣り合わない。




