心願成就
────まぶし…くもないか…
エレハイムから放たれた光は、公太郎が目をほんのちょっぴり薄めれば直視できるくらいの淡いものだった。幾何学的なライン、まるで電子回路のような無数の線が彼女のおそらくは全身の肌を覆っている。瞬くような明滅を繰り返すのは、体を流れる血流のように胸の宝珠から断続的に光の塊が廻っているからだ。
気のせいではあるだろうが、公太郎からはそれが、体から離れる宝珠がエレハイムへ餞別のマナを供給しているかのように思えた。
「恩寵の宝珠の錠を解放シマス」
システム的な物言いでエレハイムが宣言すると、宝珠はいとも容易くあっさりと、思わせぶりな効果音もなにもなく、とうの昔に治った傷のかさぶたがはがれるみたいに、胸の前に添えられた彼女の両掌の中にポトリと落ちる。
「どうぞ、お受け取りクダサイ」
「あ…ああー」
差し出された宝珠を受け取りながら、公太郎は背筋に小虫の這うような震えを感じずにはいられなかった。今この手の中に、国を買えるとされる宝がある。ありえないが、無くしたり、ともすれば落として壊したりなんかしたりすればえらいことだ。そう思うと、責任が上乗せしされているのかズシっと実際よりも重たく感じてしまう。…ただのビー玉にしか見えないけど。
ともかく。
できれば早いとこリュナに譲渡してしまいたいものの、まずは約束を果たそう。
「エレハイムさんー。言った通り、俺は宝珠と引き換えに魂の契約を破棄し、君と新たなものを結ぶことにするー。条件は先ほどの通りだー」
「かしこまりマシタ。以後、変わらず、よろしくお願い申し上げマス」
契約を更新するにあたり、こちらも特にビジュアルやサウンド的なエフェクトはない。書面を交わしたわけでもないし、重要な事柄なので何かしらの手ごたえが欲しいところだが…
「…これで、終わりだろうかー?ちゃんと結ばれてるか、若干不安なんだがー」
「きちんと成されてイマス。ワタシのリレキショを確認なさいマスカ?」
「リレキショ…そういや、そんなもんもあったなー。いいよ、自分のを見るからー」
公太郎は頭で念じながら履歴書の画面を手元に展開した。エレハイムは見せてくれると言ったが、他人の、まして女性のものを軽々しく覗く趣味はない。
「どれどれー。………うーんー?あるにはあるけどー…」
なんとも歯切れ悪く公太郎はひとりごちた。開いたリレキショにはたしかにエレハイムとの項目が追加されている。だがそれは、『婚約者』の欄に名前が載ってるというものだった。
「契約内容の詳細とかは書いてないなー。そういうのは載らないのかー?」
考えてみればイリスとの契約内容、「日給1万エン」というも載ってない。まあ、日本の履歴書にだってそんなこと書く欄とかないけれど。
「労働契約に関しましては、わたくしの方で把握してございますので」
「ヒョッー!!」
不意に後ろから耳元でささやかれ、公太郎は飛び上がった。見回り兵の背後を取った烈海王ばりの近さに、見慣れたメイド服の女性が立っている。
「お…驚かさないでくれよ、ラピルさんー…。いつからそこにいたのー」
「今しがたでございます。わたくしの見立てでは、そろそろお話が終わるころでございましたから」
「もうー、びっくりして宝珠を落っことすかと思ったよー」
「申し訳ございません。早朝のハムタロ様の驚いた顔が、その…ちょっと、フフッ…可笑しく、つい…また見たくなってしまったのでございます。フフフッ」
「つい、じゃないってのー」
呆れる公太郎にもラピルはどこ吹く風だったが、すぐに襟を正し、真面目な表情となった。
「それよりも、ハムタロ様。宝珠をどうぞリュナ様にお早く」
「えっ…あ、ああ、そうだなー」
ラピルの指摘に公太郎が顔を上げると、壁に寄りかかっていたリュナとぱちっと目が合う。が、リュナはバツが悪そうにあわてて視線を逸らすと、ラピルをねめつけて恨みがましく口を開いた。
「ちょっとラピル、余計なこと言わないで。まるでアタシが今か今かとさもしく欲しがってるみたいじゃない」
「あら、ハムタロ様には見えない角度でしたが、わたくしからはそわそわと落ち着かないように見えましたが」
「してないっての!!なんか微妙にそれっぽく聞こえるからやめて。…ったく、アンタって本当に性格悪いんだから!!」
リュナは顔を背けて少し憤慨しながら、つま先でコツコツと床を蹴る。それは無意識の仕草なのだろうが、そわそわしてるかしてないかでいえば、正直ラピルの言う通りなんだろうなと公太郎は思った。
「いや、俺が待たせてしまったのが悪いー。リュナ、宝珠を受け取っ…グエッー」
放置プレイじゃあるまいし、焦らす趣味もないので、さっと宝珠を差しだしかけた公太郎の襟首が背後に引っ張られる。
「いけません、ハムタロ様」
下手人ははもちろんラピルで、その力は決して強くはなかったが、妙にイイ角度に引っ張られた襟で首がしまり、公太郎はあえいだ。
「な、なにすんの、ラピルさんー。ぐるじいー」
「宝珠をそのままでなど、無粋な真似はお控えください。宝珠は結婚指輪にも勝る、リュナ様の人生において大切な贈り物でございます」
「そ、そうだけど…俺、なんにも用意してないよー…」
ラピルの言うことはもっともだ、と公太郎も同意するところではある。エレハイムから受け取った宝珠をそのまま横流しに渡すのはたしかに芸がない。とはいえ、どうしろというのだ。準備不足と言われればそれまでだが、まさかこんな形で宝珠が手に入るとは考えもしなかったし、だからといって、箱を用意するから待ってね…などというのもリュナには酷だろうに。
「ご安心ください。わたくし、すでにご用意してございます」
ラピルはこそッと囁くと、公太郎の後ろ手に小箱を渡してきた。
「これはー」
「わたくしが密かにドンズ様へ発注しておりました。どうぞお使いください。それだけでは空箱というつまらないものでございますが、わたくしも今日という記念すべき日に、なにか形あるものをリュナ様へ贈りたいのです」
「さ、さすがラピルさんだなー」
示された気配り力の歴然とした差に、公太郎はたじたじとなった。つまらないものなど、とんでもない。手触りからして違う、上等な木材を使用したであろう小箱は、開くとやや硬めの手ごたえと共にビロードのクッションが顔を出す。中心には宝珠が測ったようにちょうどハマるくぼみがあり、飲めば無くなってしまう1回限りのものを収めるための箱とは思えない逸品だ。
「ありがとうー、使わせてもらうよー」
公太郎はラピルに礼を述べると、箱へ慎重に宝珠をつめた。
「礼など不要でございます。ですが、その代わり…と言いましては厚かましいことと存じますが、このままわたくしもリュナ様の想いが成就される場に立ち会ってもよろしいでしょうか?リュナ様はわたくしにとっても大切なお方。その時を見届けたいのでございます」
「そりゃ、もちろんー」
ラピルの願い出は別にいちいち断るほどのことではない。…というか、これまでリュナが苦しんできた呪熱からの解放だ、むしろ大人数で祝っても良いくらいな気さえする。…うん、そっちの方が絶対良い。
「…よしー、それならせっかくだー。イリスやグリちゃんも呼んでこようー」
「いいえ、ハムタロ様。それはおやめください」
だが公太郎の良かれと思った提案は、意外なことにはっきりとラピルに制止されてしまった。
「え、なんでー?」
「……リュナ様は常々、お二方の前では威厳ある長姉として振舞おうとしておいででございます。とりわけ、イリス様の前では」
「…ああ、はしゃぎたいのに思いっきりできないかも…みたいなことかー」
「左様でございます」
ほとんどあるかないか程度の微笑、アルカイックスマイルを浮かべたラピルに公太郎は得心してみせた。リュナにも体裁があるし、義妹たち(グリも似たようなもんだろう)にはカッコつけたいこともあるだろう。
だが、公太郎はそれで100%納得したかというと、実はそうでもなかった。ラピルはなにか嘘をついている。正確には嘘というより、限りなく真実だがちょっと違うというか、遠回しで婉曲で微妙な感じだ。根拠はないが、間の取り方とかにそんな気配を感じる。
しかしながら、仮にラピルの言葉通りを受け取るとしても、そう思うなら、いっそ二人っきりにしてほしいところだ。…といっても、ラピルの同席を受け入れたのは自分だし、ゼナやエレハイムだって興味深げにしてるから今更だけど。
まあ、それはそれとして、さっさとことを前に進めてしまおう。
「リュナ、待たせてしまってすまないー。宝珠をー…」
「………」
「リュナー…?」
公太郎はリュナへと歩み寄り、宝珠の入った箱を手渡そうとした。…が、リュナの反応は公太郎の想像したものより薄く…どころか、ちらりとこちらを一瞥したものの、それ以外はほとんど無反応である。
「どうかしたかー?待たせすぎて嫌になっちゃったかー?…そりゃ、悪いことをしたなー」
「…そうじゃないけど…」
「うんー?」
「それ、本当にアタシがもらってもいいの?」
「んんー?そりゃそうだろー。約束だしー」
「だって…」
────???どういうこと?
押し黙ってしまったリュナの姿に公太郎は頭上に「?」を浮かべてフリーズしてしまった。この土壇場でなにか「だって」なのか、まったく意味がわからない。といっても、もじもじするリュナを見るに、怒ってるとか、不機嫌だとか、まして宝珠が欲しくないとか、そういう感じではないようだ。
────…あれか?今までの自分と変わってしまうことに、心のどこかで躊躇いがあるってことか?
宝珠を飲めば恩寵が変化する。それは恩寵の良し悪しが、かなりのウェイトをもって評価されるこの世界の人々にとって、自分という存在の在り方が根本から覆されることを意味すると言っていい。そこには、たとえ気の強いリュナであろうとも抗いきれない根源的な恐怖があるに違いない。
そもそもリュナとてまさか今日この日この時に宝珠が手に入るなんて思ってなかったはず。心の準備をする時間もない中で躊躇するのも、せんないことだ。
ならば。
「今すぐ飲まなくてもいいよ、リュナー。無理強いするつもりはないー。というか、飲むか飲まないかまで含めて、リュナが決めていいー」
「…そうじゃないの。飲みたくないとか、そんなわけないじゃない」
「えー???」
リュナの引っ掛かりは、彼女自身の弁によると、どうも自分の想像したものとは異なるらしい。…じゃあ、なんなのか。誰か教えてくれ。
ここにきて公太郎はお手上げ状態だった。
「その宝珠、 どのくらいの 価値があるか ハムタロは 知ってるのかい?」
「ゼナさんー?」
手立てのないのを見かねたのだろうか、ゼナが肘掛けに頬杖をつきながらつぶやく。
「宝珠の…価値、ですかー?ええ、まあー。聞いたところでは国が買えるとかなんとか…くらいはー」
「そうだ。 大げさに 聞こえるかもしれないが 今 キミは その手に それほどの宝を 持っている」
「そうなりますねー」
「こう考えたら どうだろう。 宝珠を うまく活用すれば、 たとえば 売ってしまう とかだが、 そうすれば この街は もっと容易く 発展させられるんじゃ ないかい?」
「街をって、予算的な意味ですかー…」
「たとえば、 だよ。 ボクが 思うに リュナが 踏み切れないのは 自分の想いを 優先してしまって いいのかって 迷いがあるんだ」
「ああ…そういうことかー」
ゼナの解説は、なるほど納得のいくものだった。そしてリュナも否定しないことを考えると、それで正解のようだ。…そりゃあ、宝珠を売ったとなればイーロン・マスクすら凌駕する資金が手に入り、マイクラのクリエイティブモードよろしく、好き放題に街づくりにのぞめるに違いない。
そして、ラピルに感じた違和感も、これが正体だったのだろうか。たしかに、宝珠を手放せば街が良くなるという選択肢を捨て、自分を優先するなど、誇り高いリュナが義妹を前にしてできるはずもないが。
しかし。
迷いがあるのはリュナだけの話ではない。
「リュナ、いい機会だから聞いてほしいー。俺はイリスやキミと出会ってから、言えなかったけれど常々思ってたことがあるんだー」
公太郎はこれから自分が述べることを思い、少しばかり気が滅入った。情けないことを言うことになる。幻滅されるかもしれない。でも、言っておきたい。
「俺は、キミたちが想像してるような立派な人間じゃないー。キミたちが俺を評する時、一体それは誰の話をしてるんだって思うことがよくあるー。まるでみんなが知ってる歴史上の偉人や、聖人のようだー。でも俺がよく知る本当の俺は、なんの才能もとりえもない、ただの一般人なんだよー」
どうもこの世界の人たちは、自分に対して評価が甘すぎる…という思いが、公太郎を饒舌にしていく。
「これまで危機や困難を乗り越えるたび、キミたちは俺を褒めてくれたねー。俺からすれば、ちょっと過大なくらいにー。でもそれができたのはキミたちが力を貸してくれたからであって、俺がすごかったからじゃないー。俺がやれたのはちょっとした打開策の提案と後押しだけー。実際はそれすら俺が考えたことじゃないー。全部偉大な先人たちの築き上げた知恵をちょっぴり拝借しただけなんだー。
事実、俺はイリスに与えてもらうまで恩寵だってなかったー。そう考えれば、俺はただの一般人どころか、そこにすら入ってないー。この世に人間ランキングみたいなものがあるなら、最下層にいるのが俺だー」
────最下層ってか、たぶん下から1位か2位だけど…
その評価は自分で言うのもなんだが、かなり適格だという自負がある。だがしかし、一方でそれはどうなんだとならなくもない。せっかくいいところを見てくれる人たちに卑下するのは、ずいぶん失礼なことではないのか。…ええい、わからん。やぶれかぶれでも、もうこのままいくしかない。
「だからね、リュナー。俺はキミがいいー」
「ア…アタシが…?」
「俺は国より、どんな財宝なんかよりリュナがいいんだー。誤解しないでほしいんだがー、つまらない俺にはリュナが妥当…みたいなつもりはないんだがー、俺の器に国なんて手に余るんだー。……うーん、なんか、いい感じのうまい言葉が出てこないなー、リュナが国なんかより安っぽく聞こえてしまうのは嫌なんだがー。…ほら、こういうとこにも俺の才覚の度合いが出てるだろうー?我ながら情けないがー。だけど、そうじゃないんだー。俺にとってリュナは国よりもずっとすごい宝なんだー。俺の言いたいのは、そういうことなんだー」
知らずの内に握った拳がじっとりと手汗をにじませている。そこに公太郎はひどい羞恥心を感じた。このザマでは握りしめた宝珠の箱もべっとりしてしまってるだろう。なんてこった、くそ。
「だからもしも国とリュナかどちらか選べって言われたら、俺は必ずリュナを選ぶー。そこに迷いはない、絶対選ぶー」
「ハムタロは…アタシを…選んでくれるの…?」
「当たり前だろうー?むしろ、並べる選択肢ですらないねー。…大丈夫、イリスの街は宝珠がなくたってちゃんとやり遂げるさー。イリスと、みんなと力を合わせればきっとできるー。リュナだって力を貸してくれる、そうだろー?」
問いかけつつもリュナの返答を待つつもりはなく、公太郎は大きく息を吸い込んだ。これから一世一代の舞台となる。
「宝珠を受け取ってくれリュナー。それで、俺と…結婚してくれッださいっー!!」
…噛んだ。
恥ずかしさのあまり、公太郎はその場に崩れ落ちそうになった。緊張も重なって目をつぶり、頭を下げて両手で差しだした小箱はおそらく汗でべっとべと。すでに婚約してるはずなのに、その時プロポーズはしたはずなのに、二度目においてもかくも大変なことなのかと身に染みる。
ってか勢いと場の流れで口走っちゃったけど………これ、失敗したらどうしよう…
だが。
目を閉じた暗闇の中、しかしリュナは公太郎がいくら待っても動いてはくれなかった。
────…ダメなのか!?
それならそれでスパッと切り落としてほしい、そう思って待ってたのだが、いつまでたっても動きが無いので埒もあかず、公太郎は薄目でリュナの様子をうかがってみる。
「…リュナー?」
眉をつり上げ、力いっぱい歯を食いしばり、真っ赤になって、声もなくリュナが泣いていた。必死にこらえてみても抑えられない涙をどうしようもなくなった童女のような顔は、なんと言えばいいのか、その、リュナにしては…だが、かなり不細工な方である。
「ど、どうしたんだよリュナー…」
見たことないようなリュナの有様に、こちらもみっともなくうろたえる公太郎の背後で、その時「はぁ~」というあからさまなクソデカため息が聞こえるようにつかれた。主は言わずもがな、エレハイムかラピルのどちらかだが、はっきりとは定かでない。あるいは両者共に、だろうか。
「ラピルさん、ワタシには理解デキマセン。あれはわかってて言ってるのデショウカ?それとも無意識デスカ?どちらにせよ、ご主人様は存外、女の扱いに長けているようデス」
「わたくしの計算では無意識と出ております。ゆえに一層質が悪いと申しましょうか。ハムタロ様は生まれついての、いわゆる女の敵でございますので。イリス様たちに同席頂かなかったのも、このためでございます。リュナ様のこのようなお姿、とてもお見せするわけにはまいりませんから」
公太郎が肩越しに振り返ると、あれよあれよという間でエレハイムもラピルもこれみよがしに半ば呆れたというトーンで好き放題言いはじめてしまった。その内容は常時であれば噴飯ものだったが、この時の公太郎には反論する余裕などありはしない。
「いやいや ハムタロ、 やはりキミは 大層な大物だね。 国に等しい宝を 実際に手にしながら、 それより リュナがいいなんて さらりと言ってのけて しまうんだから。 そりゃあ 女なら誰だって リュナみたいに なってしまうよ。 ちょっと 妬けるくらいさ。 ボクにもいつか そんなことを 言ってほしい ものだね」
そうこうしてるうちに、今度はゼナまでもが流れに乗っかってきてしまった。無論彼女たちは本気でそう言ってるわけではない。…いや、まあ、半分から8割がたくらいは本気なのだろうが、主旨は冗談である。冗談でこの場を和ませようとしてくれてるのだ。
「う…へへぇー…」
わかってるからこそ、公太郎も傍目からすればキモい半笑いを返すくらいしかできなかった。そんな空気の緩んだ一瞬、公太郎の手から小箱の重みがフッと消え去る。
「あっー…」
反射的に手の平へ視線を戻したころには時すでに遅く、猛禽類が獲物を狩るような素早さで、リュナが小箱を奪い取った後だった。
「……後悔しても知らないわよ、ハムタロ」
奪った箱を体で隠すように半身になったリュナが挑戦的な物言いで続ける。
「もう、絶ッッ対…返さないんだから」
「あ、ああー。しないよ、後悔なんてー…」
「…そう。一応、礼は言っておくわ。…ありがとう」
リュナは長い指先で小箱を開くと、慈しむように宝珠を撫でてから取り出した。
「じゃあ、しっかり見てて。まばたきもしないで。アタシがアンタの妻になるところ、ちゃんと見届けてちょうだい」
「お、おぉー」
公太郎がうなずくのを待ってから、リュナは宝珠を口に含んだ。そのまま一気に飲みこむ…と思いきや、すかさず横から小洒落たティーカップが差しだされた。ラピルだ。
「どうぞ、リュナ様。お水でございます」
「ん。ありがと、ラピル」
リュナは当然のように用意されたカップを手に取ると、今度こそ優雅に飲み干した。
…飲み干した、のだが。
「これで終わり…かしら。効果は出てるの?」
自問自答するリュナに、その場の全員の頭の上に「?」が浮かぶ。エレハイムの魂の契約と同じように、こちらも効果音やそれらしいエフェクトがないのだ。
「効果はすでに発揮されているはず…と、わたくしの計算には出ております」
「ラピル、アンタにしては、歯切れが悪いじゃない」
「申し訳ございません。なにぶん…わたくしも初めて目にすることでございますので…」
「…でしょうね。ねぇ、ハムタロ。アンタの時はどうだったの?」
「俺かー?」
そう聞かれても、と公太郎は答えに窮した。
「すまんー、俺が飲んだ時はほとんど意識がなかったから、覚えてないんだー。たぶん効果はすぐ出たとは思うんだがー」
そうでなければイリスが宝珠を飲ませてくれたあの時、伊藤公太郎の冒険は終了していた。そういう理屈は成り立つのだが、ともかく覚えてないことには何ともあやふやなことしか言えない。
────せめて煙が出るとか、それっぽい演出をつけといてくれよ!!
公太郎は内心で、誰ともなしに毒づいた。…まったく、どうすんだ、この微妙な空気。
だがそんな中、明確な答えを出したのが、エレハイムであった。
「リレキショを確認すればいいのではないのデショウカ」
その一言に、周りの全員の目が丸くなる。言われてみればその通りで、さらに言うなら同じようなやり取りをさっきしたばかり。なんで気づかなかったんだと我ながらバカバカしくて公太郎は吹き出しそうになった。
が、リュナの真剣な表情を見て、そんなしょうもない笑いはすぐに吹き飛んだ。リュナにしてみれば恩寵が正常に変更されたか未だ手ごたえがなく、疑心暗鬼なのだ。気を緩めてる場合ではない。
「…そうね。そうしましょう。やるじゃない、エレハイム。名案ね。アンタ、褒めてあげるわ」
「ありがとうゴザイマス」
「いくわよ、リレキ…」
刹那、公太郎の頭に閃きが訪れた。
「いや、もっといい方法があるぞー」
公太郎はリレキショを呼びだそうとしていたリュナへと距離をつめると、そのまま体で押し込むようにして彼女を壁際へと追いやり、壁ドンした。
「な…なによ、ハムタロ。どうしたの?」
突然の強引さに、リュナが動揺しながら公太郎の顔を見上げる。女の本能がそうさせるのだろう。リュナの両手はそれほど力が入っておらず頼りなくはあるものの、胸の前で盾のように掲げられている。
「思いついたんだー。こうすれば、すぐにわかるー」
「あっ、バカ!やめなさいっ!!」
公太郎はリュナの制止をものともせず、彼女の手を包み込むように素手で握ってみせた。刹那、雷に打たれたように全身をビクつかせたのは…リュナであった。公太郎を傷つけることを恐れ、振りほどこうとする。しかし男の力でぎゅっと握られた手は離れずじまいであった。
「…どうやら、呪熱はもう無いらしいなー」
「…なんてことするのよ!!呪熱があったら、アンタどうなるか知ってるでしょう!?」
「2,3日寝込むだけだろー。覚悟の上だー。それに、無事だったからいいじゃないかー」
「…もう。たまに信じられなくらい、強引なんだから。アタシよりずっと弱いくせに…」
「つ…強いとか、弱いとかは関係ないだろー…」
恥ずかしげにうつむいたリュナに公太郎は苦笑いするしかない。今だってリュナがその気になれば、パンチ一発でぶっ飛ばされる。そういう絶望的な力の差が二人の間にはある。
それでも、ようやく触れたリュナの手は、細くしなやかで温かく、心地よい。
「リュナ、俺はリュナを抱きしめてみたいんだが…いいだろうかー?」
「す、好きにすればいいじゃない」
了承を得たので公太郎はリュナの背中に手を回し、むき出しの肩を抱いてみた。普段通りの、煽情的な、極端に布面積の少ない装いをしたリュナの体躯は、飛竜で触れた時のそれより、マントの厚みがない分だけ華奢だ。ゆえに…というわけではないだろうが、肩のラインを描く嫋やかな曲線が妙に手の平によく馴染む。まるで自分のためだけにあつらえられたと錯覚するようなフィット感だ。…そんなわけないけど。
そこから指を下げていくと、リュナの二の腕に到達し、しっとりと吸いつくような肌の下にひそむ鍛えられた筋肉がクセになる弾力を返してくる。柔らかくあるが、柔らかすぎず、適度な反発力があって飽きそうもない。
公太郎はしばらくその感触に病みつきになっていたが、そうこうしてる内に、胸に新たな欲求が生じはじめた。
────もっとリュナのことが知りたいな。
許されるならリュナの全身余すところなく触れ回り、彼女の感触を試してみたい。
それは説得力に欠けるかもしれないが、性的なところに基づくものというより、知的好奇心からだっ
た。端的に言うなら、女性の体ってこうなってるんだ、「へー」「ふーん」「ほー」みたいな。
「ほっぺたとかも触ってみていいー?」
「べ…別に、そんなの、いちいち聞かなくてもいいわよ。どこだって触ればいいでしょ!?あ…お、お腹以外なら…」
「お腹ー?」
「お腹は、その……カタいから…。ふ、腹筋で…」
もっとセンシティブな場所があるだろうに、リュナがNGを出したのは腹部であった。しかし、ダメと言われれば逆に火がつくのが世の常であり、公太郎もまた例外ではない。
「触ってみたいー」
「あっ、こらっ!ダメだって…ああ、もうっ!!」
まったく言うことを聞く気のない公太郎からリュナは身をよじって逃れようとしたが、公太郎の手が腹部に這うと、あきらめたようにされるがままとなった。
「カタくなんてないぞー。全然カタくなんてないー」
「いいから!そういうこと言わなくていいからっ!」
口では抗議しつつも受け入れてくれるリュナをいいことに、女体研究者と化した公太郎は、おへそ周りから横原にかけて入念に念入りに触感を確かめていく。なるほど二の腕とはまた違った味わいだ。だがこれは決してカタいなどではなく、ハリである。押せば返してくれる腹筋の弾力は、新品のトレーニングボールのそれに近い。もっとも、手触りの良さは雲泥だし、伝わってくる多幸感はボールなどでは味わえない。
────それにしても不思議な気分だ。
公太郎はリュナの腹をふにふにしながら陶酔の中にあった。いつしかリュナの全身から立ち上りはじめた甘い香りがそうさせるのか、腹の感触に大きな満足を得つつも、まだまだ足りないという飢餓感を覚える。ふにふにふにふに。
このまま手を上に沿わせれば乳房へ、下なら秘所へ到達できるわけで、きっとリュナならそれすら許してくれるだろうし、踏み込んでみたい。ふにふにふにふに。
だがそれでも、どれほど夢見心地にあろうと、公太郎は最後の理性が己にそうさせることはないんだろうと確信していた。ふにふにふにふに。
さっきから背中に痛いほど視線が刺さるのを感じる。ゼナが、ラピルが、エレハイムが、「一体どこまでいくんだろう」と固唾をのんで見守っているのだ。ふにふにふにふに。
さすがに衆目の中、リュナの深淵へと至るのは、たとえ彼女が許してくれるにせよ、遠慮したい。
「ハッー!」
そこでようやく公太郎は正気を取り戻した。腕の中でリュナが小さく震えている。眉間にしわを寄せて目をぎゅっとつむり、下唇をかんで羞恥に耐えているのだ。
「ご、ごめん、リュナー。嬉しくて、つい調子に乗ってしまったー」
「…いいのよ。アタシだってアンタにもっと触れてほしいから」
そう言いながらも身を固くするリュナが愛おしくて、公太郎はあらためて彼女を強く抱きしめる。
「やっと、リュナに触れられる日が来たんだなー」
「そうね。アタシはもっと先だと思ってたけど…嬉しいわ」
頬がこすれ、額が合わさる距離で見るリュナの瞳は熱に浮かされたようにゆらゆらと潤み、唇が妖しく深紅に光っている。
「ねぇ、ハムタロ。アタシも聞きたいことがあるんだけど」
「なんだー?」
「キスする時って、目を閉じるのがマナーって言うじゃない。でも口ってどうするのかしら。口も閉じるものなの?それともちょっと開けた方がいいの?…アンタ、知ってる?」
「えー…?いや、どうなん…ッ」
瞬間、公太郎の首に腕が回され、リュナが嚙みつくように唇を重ねてきた。
ガチンッ
柔らかな感触に「あっ」と思う間もなく、勢いのまま二人の前歯がぶつかり合う。
────…これ、へたくそなキスってやつだ…
恋人が初めてのキスで歯がぶつかり、照れ笑いをする…いつかなにかのマンガでそんなシーンを目にした記憶がある。
そんなどうでもいいことを考えながら、甘美と疼痛のさざ波の中、リュナに倣い、公太郎もゆっくり瞳を閉じた。
TIPS:この後、めちゃくちゃした




