伊藤公太郎はカッコがつけたい 3
「生命の保証をしてクダサイ」
居住まいを正したエレハイムは、短く要求を述べる。
「生命の…って誰のー?」
聞くまでもない、間抜けな質問だった。しかし。
「ワタシの、デス」
「エレハイムさんのー?」
公太郎の脳はフリーズしていた。どんな条件が飛び出してくるか、お金か、地位か、あるいは何らかの特別な待遇か、あらかじめ何通りかのパターンを想定したのだが、そのどれにも当てはまらない単純さに、むしろ頭が混乱する。
っていうか、そんなこと要求されたら、まるでこっちが悪の組織かなにかみたいじゃないか。
「…参考までに聞きたいんだけどー、それ…あえて契約として結ぶ必要あるのー?…というか、なんでそう考えたのかというところから聞かせてほしいんだがー」
「ワタシの絶対防御は、魂の契約の3番目、『自分の身を守らなければならない』に依拠し、ワタシの意思に関わらず自動で発動してイマス。また、それを支えるマナは宝珠によって供給されており、契約と宝珠の両方を失えば、ワタシは身を守る術を持たないということになるからデス」
「ふーむー」
「そうなればワタシは髪が動くだけの、かよわい人間の死体。そしてここは魔界であり、魔族の領域デス。人間の死体が生きていくための保証が欲しいと思うのは、おかしいことデショウカ」
「おかしい、とは言わないけどー」
胸に引っかかるものを感じて、公太郎は唇をかむように舐めた。
────そうか。この世界の人間はそう考えるのか。…そりゃそうか。
公太郎には実感のないことだが、種族関係の図式で考えるとエレハイムの言うことはわかる。人間は魔族の誰それと戦争してる状況で、関係はお世辞にもよろしくない。そもそも自分だって大魔王討伐のために呼び寄せられたのだから。
だからこれは別にエレハイムがおかしいわけではない。そういう偏見が生まれる、必然の土壌があるってだけだ。そんな事情を鑑みれば、この街で働いてくれようとしてくれてることだけでも、エレハイムがかなりの譲歩をしてくれてるといえる。
ただ、イリスをはじめとした善良な魔族の人々を思うと、複雑な気分がしてしまうのは正直なところだ。…だがエレハイムの偏見も、イリスたちと過ごす時間と実体験が解決してくれる、そう信じるのはお花畑だろうか。
「…わかったー。生命の保証も契約として盛り込もうー」
いろいろ思うところを飲み込んでうなずいた公太郎に、しかしエレハイムは首を横に振る。
「ワタシが契約してほしいのは、ご主人様ではアリマセン。…名前を覚えなくていいリュナ、あなたデス」
「…アタシ?」
部屋の隅で壁にもたれて遠巻きにやり取りを眺めていたリュナが、話を振られて顔を上げる。
「ワタシの見たところ、名前を覚えなくていいリュナ、あなたがこの街で一番強いデス」
「ふぅん?まぁね」
「ワタシの望みは、いつか穏やかに朽ち果てるコト。誰かに襲われるのはまっぴらごめんなのデス。ですから、絶対防御が無くなったワタシが生命の保証を求めるなら、あなたしかいないデショウ」
「まあ、そうでしょうね」
エレハイムの人物評は率直であり、決して媚びをを含んでいない。それゆえにリュナは上機嫌に前髪をかき上げてみせた。
だが。
「おあいにくさま。アタシは誰ともなにかの契約なんてするつもりはないの。未来永劫、ハムタロ以外とはね」
「誰ともデスカ」
「そう。でも安心なさい。同じイリスの街に暮らすよしみで、それなりには守ってあげるわ。可能な範限り、だけど」
「…そのような口約束だけで安心デキマセン」
「不満かしら?これでもかなり気を遣ってるほうよ。だってアンタ、人間なんでしょ?アタシ、ほんとは人間なんて、どうなろうと興味ないんだから」
「人間の死体デス」
「どっちでもいいわよそんなこと。けど…フフッ、死体なのに生命の保証って。アンタ人間にしてはちょっと面白いじゃない。そこだけは褒めてあげる」
「ワタシは冗談のつもりはアリマセンガ」
淡い表情に憤慨の色が差したエレハイムに、リュナはそれ以上を応えず、「話は終わり」と肩をすくめる。
────…これ、何気にまずくね?
忍び寄るように訪れていたピンチに公太郎の顔が曇った。
この街にエレハイムを害する者はいない、公太郎にしてみればわかりきったことだ。だからこそ生命の保証なんて容易いことだと軽く考えていたが、とんでもない。結構な難題だ。
そりゃあエレハイムにしてみれば、周囲は魔族だらけの環境で、彼らがどんな考えや文化を持ってるのかも定かではないのだ。極論、たとえばグルガたち獣人は人肉食を嗜むかも…なんて不安を抱えてても不思議ではない。実際、狼の頭を持つ彼らのギザギザの歯は、相当の迫力と説得力がある。…嗜まないけど。
しかし困ったことに、それを裏付ける具体的な手立てがこちらにはない。というか、気がつけば「ないものをないと証明する」、言わば悪魔の証明の状況だ。これでは話が前に進まないし、最悪、破綻する恐れすらある。
打開策をとすれば、エレハイムの求め通り、リュナによる武力の庇護の確約だが、どうもリュナにそんなつもりはないらしい。
────うーん、どうすんだこれ。
公太郎の眉間に深い皺が寄る。次善の案としてイリスに保護を頼むということならほぼ確実に可能だが、それでエレハイムは納得してくれるだろうか…
────まあ、聞くだけ聞いてみるか。
考えていても仕方ない、このままでは停滞するだけ。やれることはやってみよう。
純粋な戦闘力ではリュナに分があるだろうが、イリスはあれで魔王の冠にたがわぬ腕前だ。素直で優しく善性には疑いようがないし、一人で人間の王都にやって来る勇気とド根性もある。なにより、この街の君臨者であるから、後ろ盾という意味でも申し分ない。
…このあたりをプレゼンすれば、なんとかなる…かもしれない。
「少し 協力してあげたら いいんじゃないかな リュナ?」
だがその時、公太郎よりも先に場を動かしたのはゼナだった。ゼナは安楽椅子のひじ掛けに頬杖をつきながら、公太郎を指し示す。
「見なよ ハムタロが 難しい顔を してるじゃないか。 戦いという面で ハムタロに 才覚は ないからね。 この点において 彼には どうすることも できないんだ」
「ゼナ様…」
「内助の功 というやつだよ。 夫婦は 支え合うものさ」
「夫婦…ですか」
リュナから見えない角度で、「そうだろ?」とゼナがそっとウインクしてみせた。内助の功を説きながら、実践もしてみせる、ニクイ演出はさすがというべきだろうか。こんなことを言ってる場合ではないが、普段、禁足地の深奥に流れる清流のようなミステリアスさを湛える彼女のキュートな仕草は、助け舟を出してもらったことを差し引いても、中々胸にくるものがある。
「はぁ~。ったく、しょうがないわね。ゼナ様も上手なんだから。じゃあ、こうしましょ」
リュナはやれやれとため息をつくと、腰に手をあてながらエレハイムを睥睨する。
「エレハイム、アンタさっき『自分はハムタロの妻みたいなもの』とかそんなこと言ってたわよね。アレ、本当にそうなさい」
「本当に…とはどういうことデショウ」
「アンタもハムタロの妻になればいいって言ってんの。それならアンタはアタシの義妹。そうすればアンタが人間とかその死体とか関係ないわ。身内は全力で守る。アタシの誇りにかけて」
「義妹…デスカ」
エレハイムはおとがいに手をあて、飲める条件であるか慎重に考えはじめた…ように公太郎からは見えた。
「お…おいおい、待ってくれ、リュナー!」
話がすさまじくややこしい方向へ行きそうで、公太郎は慌てて割って入る。エレハイムが飲むか飲まないか以前に、こんな流れを見過ごすわけにはいかない。
「俺はエレハイムさんの意思とは無関係で、そういう関係を強いないために魂の契約を破棄するんだぞー」
「そうね。だからアタシは今、エレハイムの意思を確認してるの。これはアタシとエレハイムの交渉なのよ。ハムタロ、わかるでしょ?」
「わかるでしょってー…」
暗に口を出すなとぴしゃりと言われ、公太郎はもにょってしまう。
────こ…これが噂の、尻にしかれるってやつなのか…?
リュナの気性を考えれば、そうなるのは時間の問題ではあった。が、しかし、このままでは妻が増えるかどうかという一大事が、自分の関わりあいのないところで決まってしまいそうだ。さすがにそれは、どうなんだろう。あまりに不甲斐なさすぎやしないか。
…いや、そもそも妻が増えるってなんだ。増えるもんじゃないだろ、普通。あと、妻同士って義姉妹になるのか?もう意味がわからん、誰か教えてくれ。
だが無情なことに、公太郎の頭がこんがらがってる間にも、状況は動いていく。
「…わかりマシタ。それでお願いシマス」
「そう、いいコね。ならエレハイム、今日からアンタはアタシの義妹よ」
条件をあっさりと承諾したエレハイムに、リュナが満足そうに微笑む。
「でも…言ったそばからで悪いけど、ハムタロの妻になるのはもう少しだけ後にして。それはアタシが先。順番だから。アンタはとりあえず婚約ということにしておきなさい」
「承知シマシタ」
エレハイムはこくりと小さくうなずくと、公太郎へと向き直り、楚々と丁寧にお辞儀をしてみせた。
「不束者ではございマスガ、末永くよろしくお願い申し上げマス」
「い、いや、待って待ってー。おかしいでしょ、エレハイムさんー!!」
「なにがデショウカ」
事態の急展開にツッコむ公太郎に、エレハイムはキョトンする。
「せっかく誓約…魂の契約から解放されるんだからー、絶対服従とかご主人様とか、もういいんだよー?もっと自分の自由にしていいんだー。いくら生命の保証がっても、他に方法はあるだろうし、それが気に入らなくても俺だって良いのがないか一緒に考えるよー。だからさ、そんなに軽々しく、他人に言われて妻とかになっちゃダメだー。だって結婚だよー?自分で慎重に考えなきゃ…」
「ご主人様は、ワタシと結婚するのが嫌なのデスカ?」
「そうじゃないけど、そういうことを言ってるわけじゃないー。俺はなんかこう、エレハイムさんに自我っていうか、自由意志を持ってほしいんだー。エレハイムさんの人生の大切なことは、エレハイムさんが決めなきゃいけないと思うんだー!!」
そうでなければ、奴隷のような在り方から脱してくれなければ、魂の契約から解放されても意味がない。そんな信念からの言葉だったが、言いながら、公太郎は内心気恥ずかしくもあった。今、自分が言ってるのは、かつて社畜という奴隷であった頃の自分が言ってほしかった言葉でもある。
そんなつもりはないが、エレハイムをダシにして、エレハイムを通して、過去の自分を慰めているのだとしたら、かなり偽善的で、苦い。果たしてその程度の訴えが、エレハイムの心に響くだろうか。
葛藤する公太郎に、しかしエレハイムは見透かしてるのかいないのか、どちらともとれるような掴みどころのないトーンで続ける。
「…ご心配をおかけしているようデスネ。ですが、ご安心クダサイ。ワタシが妻になろうというのは、名前を覚えなくていいリュナお義姉様に言われたからでも、生命の保証のためでもアリマセン」
「えっー…」
「ワタシはあなたと『共に生きる』…昨日、申した通りデス。父のためだけに蘇り、もはや用済みの屍であると知りながら、ご主人様はワタシを必要だと言ってくれマシタ。あの一言がすべてデシタ。ワタシの心は、生まれて以来、一度とないほど晴れやかなものとなったのデス。きっと、あの一言がワタシの心にかかっていた深い霧を払ってくれたのデショウ」
「ええー?」
エレハイムの口調は変わらず淡々としていたが、その声には疑いようのない確かな熱が帯びはじめ、彼女の心境の変化を裏付けていた。
「正直に言いますと、お給金の有無などどうでもよかったのデス。働いてお金を頂くことには、あこがれていましたケド。父がいなくなり、為すべきことのないワタシが本当に欲しかったのは役割なのデス。地を行くアリのように、己の使命に一心不乱になりたかったのデス。実のところ魂の契約すら関係アリマセン。たとえそのようなものがなくとも、あの時からワタシの心は、どのような形であろうと、あなたと添い遂げると決まってイマシタカラ」
「マ…マジかー…」
金も契約もどうでもよかったという芯実は、言い換えるまでもなく愛の告白以外のなにものでもない。そんなエレハイムの想いの吐露に、公太郎は、率直に飾らずに忌憚なく言えば、ぶっちゃけ、ビビっていた。
────そんな大したことを言ったか?俺はー???
エレハイムの、もしかすると100年以上にわたる苦しい胸の内を救うような、まして添い遂げる気にさせるような、粋でイナセな言葉をかけたつもりはない。ただ普通に、欲しいものを欲しいと、必要だから必要だと述べたにすぎないのに。なんか、得られたものがちょっと大きすぎやしないか。
「…そういうわけですので、ワタシの求めた生命の保証は…お義姉様の出されたその条件は、結果からしますとワタシにしてみれば、なにも支払うことなく手に入った僥倖…と言っていいデショウ。お得、デシタネ」
薄く淡くはあったが、エレハイムはそれとはっきりとわかるくらいに、いたずらっぽく微笑んだ。棚からぼた餅、瓢箪から駒、微笑に含まれるのはそういった意味合いであろうが、それは公太郎にしてみても同じことである。
むしろ、あんな一言で一人の女性の心を得られたというのなら、ぼた餅どころか棚から年末ジャンボ一等賞である。そして、黙って享受されとけばいいものを、そんな転がり込んだだけの分不相応な幸運を前に、落ち着いていられないのが公太郎の小市民さであった。
「エレハイムさんー、エレハイムさんの気持ちは嬉しいー。望外の喜びってやつだー。…でも俺は、そうまで言ってもらえるほどのことをしたつもりはないー。『必要』とは言ったが、ただ本当にそう思っただけで、こう言っちゃなんだけど、エレハイムさんの想いに比べて釣り合わないというか、とにかく、なんか申し訳なくなるー…」
街の発展のためとはいえ、彼女への勧誘はほぼ打算的なところからはじまっている。そんなにありがたがってもらっては気が引けるというものだ。
しかし。
「それがイイのデス」
公太郎の逡巡に、エレハイムはきっぱりと言い切った。
「ご主人様は、さりとて大それたことを口にしたつもりはないのデショウ。ですが、それがイイのデス。父の没後、残された動く死体であるワタシを人々は気味悪がり、いたずらに遠ざけようとするばかりか、排斥しようとするばかりデシタ。もっとも、彼らに絶対防御を抜けるはずもありませんが、人間の社会においてワタシの居場所などあろうはずもなかったのデス。そうでなければ、ワタシは魔界の奥地になど流れ着いてイマセン」
「…誰も、本当に誰も、エレハイムさんを必要と言うことすらなかったのかよー」
「そんな方はイマセン。そもそも、死体を必要と言う方が特異デショウ。ご主人様はかなりの酔狂と言えマス」
「マジかー」
抑揚の薄い淡白な語り口の裏に潜んだ、エレハイムの経てきたであろう孤独を思い、公太郎は胸が痛んだ。物理的な攻撃は絶対防御で防げようとも、奇異なものを見る他人の目や、心無い言葉で、たやすく人は傷つくのだから。
そりゃあ、人知れず穏やかに終わりを迎えたいなんて、望んでしまうのも無理はない…かもしれない。
「ですから、ご主人様が気兼ねする必要はないのデス」
「気兼ねー?」
「ワタシにとって宝珠は忌むべきモノ。相応の見返りは、十分すぎるほど頂きマシタ。このような宝珠が役に立つのでしたら、ワタシに異論はアリマセン。ご自由にお使いクダサイ」
「エレハイムさんー」
「どうぞ、『渡せ』とワタシにご命令ヲ」
エレハイムは両手を胸に重ね、瞳を閉じてコマンドを待つような体勢をとった。
「…わかったよー。ありがたくそうさせてもらうー」
これ以上のやり取りは、エレハイムの想いに対し、あまりに無粋である。本心では、もっと彼女に報いたいところだったが、さすがに公太郎も腹を決めた。対等な取引は無理筋でも、こちら側の差しだすものが足りないと思うのであれば、今後の人生で差分を埋めていくしかない。
「エレハイムさんー、俺に宝珠を渡してくれー」
「ハイ、承知シマシタ」
公太郎の命令を受諾した瞬間、エレハイムの全身が、星の瞬きのように明滅しはじめた。
TIPS:エレハイムの体は錬金術の秘薬によって蘇ってるため、学術的に果てしない価値があり、調べようとする者も多かったが、そういう人々は絶対防御によって拒絶された。




