結ばれていた契約
地獄のような暑さの夏だったが、珍しいことに暦通りの秋がきた。
ここ数年、秋などほとんどなかったから驚きだ。
秋は良い。涼しいし、春と違って花粉があまり飛ばない。
ただ、台風がよく来る。今回は東京周辺に直撃するらしい。
被害が少しでも出ないことを祈っている。
窓から見える遠くの山麓から顔を出した朝の光が、夢見から覚めたゼナの白銀の髪をきらきらと神秘的に輝かせていた。近づきつつある冬を前に、朝焼けの光は柔らかなものだ。それでも、逆光であることと、ダークエルフ特有の褐色の肌のコントラストから、公太郎にはゼナの表情が今、どのようなものであるかを、うかがい知ることはできなかった。
この団地の最上階では、イリスとゼナが、あてがわれた一つの号室で暮らしている。現在イリスは食堂の仕込みのために不在だが、その室内には宝珠の入手法に関してゼナが口を開くのを固唾をのんで見守る公太郎とリュナ、そして他人事のように薄い存在感で、ソファ代わりの長椅子に腰かけるエレハイムの4人がいた。
「なにも することは ない」
愛用の安楽椅子から身を起こしたゼナのそっけない一言に、部屋の空気が冷やりと尖る。
「…どういうことでしょうか」
真っ先に反応したのはリュナだった。ゼナに対し、リュナはいつも敬語を使う。それはゼナの夢見が、この魔界において、かなりの敬意を払われている証左だろう。ただ、言い方はさて置くとして、リュナの声に込められた感情や言霊が、おだやかでないのは明らかだ。
「エレハイムの 宝珠を 手に入れる、 そのために できることは ない」
「できることが、ない…」
つぶやくように反芻するリュナの隣で公太郎の腕の毛がぞわりとそばだつ。こすったプラスチックの下敷きをあてられた感覚そのものだ。見たところリュナは努めて冷静さを保ち、抑え込んではいるが、秘められた複雑な感情がチリチリと静電気を発生させていた。
しかし。
「落ち着きなさい リュナ」
「……はい、申し訳ありません、ゼナ様」
ゼナが静かに諭すと、リュナの圧はたちまちかき消えた。そんなたった一言のやり取りに、公太郎は内心、話の主旨とは別のところで瞠目する。ちょっと信じがたい光景だった。静と動でいえば静そのもののゼナに、リュナを御するようなような振る舞いができるとは。ゼナは決して大声を張り上げたわけでもないのに、毅然と、有無を言わさぬ雰囲気を感じさせる。まるで母娘か教師と生徒のようだ。さすがは人を育てるという意味で、娘だけでなく孫をも手塩にかける歴戦の手腕といったところだろうか。
「大丈夫。 ボクの 夢見の 答は、 宝珠が 『手に入る』…だ」
「手に入る…宝珠が!?」
「ああ。 いつか…までは わからない けどね。 だけど そう遠くは ないはずだ」
「ああっ、ゼナ様、アタシはなんでもします!!1分でも1秒でも早く宝珠が手に入るなら、なんだってやります!!なにか、本当にないのですか!?アタシにできるなにか…」
「…リュナ キミの 気持ちは 理解している。 でも キミに できるのは 待つこと のみだ。 なぜなら これは エレハイムの意思で 決まること だから」
「エレハイムの意思……」
希望は目の前にあるというのに、あと少しのところで手が届かない。もどかしさにリュナは唇をかんだ。
「気落ちする ことはない。 宝珠の入手に 唯一関われる 者がいる。 それは キミだ、 ハムタロ」
「…え、俺…がー?」
うなずくゼナに公太郎は背筋がぞわりとした。
────プレッシャーだな…
公太郎は無意識に唾を飲み込んだ。リュナの人生を左右する重大な事案に、ともすれば気後れしそうになる。だがこれは愛する妻のため…などというと面映ゆいが、つまるところ自分事だ。ようし、気合いを入れてかからねば。
「それは俺の頭に浮かんでる、宝珠を取りだすいくつかの方法に正解があるってことですかー?」
「そこまでは わからない。 すまないが どうやってかなどは 聞かないでくれ。 ボクの 夢見は 漠然としたもの だからね」
「ふーむー」
公太郎は両腕を組んでうなった。肝心なところがわからないでは、リュナではないが、かなりもどかしい。
「ただ ボクの予感 …というか 女の勘 なんだけど、 『これかな』という 方向性は 見当が つく」
「…というとー?」
「エレハイムを 恋に落とす ことさ」
「こ、恋…ですかー」
天気の話をするような気軽さで言い放ったゼナに公太郎はひっくり返りそうになった。が、日の光の角度が変わってはっきりと見えるゼナの面立ちに、残念ながら、からかいや冗談の影はなかった。
「女…というのはね、 ハムタロ。 恋しい相手には 身も心も 全てを 捧げてみたくなるもの なんだよ。 そうだろ リュナ?」
「ええ…まぁ、はい。その通りです」
ゼナの前では借りてきた猫のようにおとなしいリュナが、ほんのわずかほど、公太郎に触れるか触れないかくらいで肩を寄せてくる。そんな服の表面がこすれるだけの感触に、自然とじれったさが募っていく。
────ああ、リュナのために、なんとかしたい…
公太郎は心の奥底から湧き出るようにそう思った。……そう思ったのだが。
「…なにかご用デスカ?」
横目でちらりと見たエレハイムは、話を聞いていたかどうかすら怪しいほど飄々と、我関せずといった風で、伸ばした髪の毛の先に絡めた布巾で窓を拭いていた。
「座っているだけというのも、時間のムダかと思ったのデス」
公太郎の視線をとがめられたと感じたのか、エレハイムは髪の先に持った(?)布巾を開いて、着いた汚れを見せてくる。昨日切ったはずの彼女の髪は、すでに床下へ届いて余りあるほど伸びており、よくよく見れば食卓や床の掃除まで同時にこなしていたようだ。
「いや別に注意してるわけじゃないよー。ただ…」
「宝珠のために、ワタシとハムタロという人が恋に落ちるという話デスネ」
「う…んー。まあ…そんな流れだがー、俺は正直、困っているー」
どうやらエレハイムは話を聞いてくれてたらしい。だがどうにも無理筋の話だ。なにせ道理が通らない。
宝珠がどれほど欲しいとはいえ、そのためにエレハイムの心を利用するようなことができようか。そもそも、人が恋に落ちるなんて、思惑通りに狙ってうまくいくものじゃない。
「安心してクダサイ。ワタシとハムタロという人が恋仲になることなどあり得マセン」
エレハイムもまた、淡々と、それでいてきっぱりと、そんな可能性を切り捨てた。
────そりゃそうなるよなー。
あっさりバッサリ切られようが、傷つくはずもない。むしろエレハイムの意見にシンパシーを感じてしまうくらいだ。やはりこういう反応こそ正常なのだという安心感すらある。たちどころに5人もの女性と婚約した身で言うのもあれだが、魔界は…なんというか、男女関係の閾値が低すぎやしないか。
「あら。アンタにはハムタロの良さがわからないってことなのかしら?」
エレハイムの拒絶にリュナは挑発的に、公太郎の腕をからめ取ってみせる。
「アタシはすぐわかったけど。こんなイイ男、他にいないって。アンタの目って節穴なのかしら?もっとよく見てみなさいよ」
服越しに腕に押しつけられたリュナの胸の弾力にドキリとしながら、公太郎は初めてリュナと出会った夜をフラッシュバックした。痛みと恐怖を伴う記憶だが、たしかにリュナは嘘を言っていない。すぐにお互い打ち解けたから。出会い頭にぼこぼこにされたけど。
「おかしいな。 ボクの 見たところ キミと ハムタロは 悪くない 相性 なんだが。 …まあ ボクと ハムタロほどでは ないけどね」
さらに意外そうなトーンでしゃべりつつ、ゼナも話に乗っかって来る。
「…ハムタロという人。この人たちは、何を言ってるのデスカ?話から察するに、名前を覚えなくていいリュナと、こちらのゼナ様は、あなたに好意を抱いてるらしい…というところまではわかるのデスガ」
「ぶ、文化の違いだよー。…たぶんー」
心底きょとんとするエレハイムの純粋な質問に公太郎の目が泳ぐ。…そうだよな、それが普通の、人間の感覚だよな。
「なによ、人間の女って、こんなことまでいちいち説明しないといけないの?…仕方ないわね」
リュナは面倒そうに眉根をよせ、やれやれというように息を吐いた。
「アンタの言う通り、アタシはハムタロを愛してるわ。アタシは愛した男が軽く見られるのが我慢できないの。ハムタロが恋愛する価値もないなんて、その辺の石ころみたいに扱われるのは絶対嫌。
そりゃあ、好みもあるでしょうけど、アンタとハムタロがあってからまだ1日でしょ?それで、この人の何がわかるっていうのよ。もっとよく知ってから言いなさい。…言っとくけど、宝珠が欲しいから言ってんじゃないわよ」
「????…ワタシの理解では、まるで浮気を進めているように聞こえるのデスガ」
「浮気?…人間のくだらない倫理観なんかで測らないで。アタシは、ハムタロを認める人が増えれば増えるほどうれしいの。幸せだって感じるわ。そうね、砂漠の砂に埋もれた透明な宝石を見つけたような、大手柄をあげた気分かしら。だって、世にうじゃうじゃいる気色悪い男たちの中から、ハムタロを最初に見出して、愛したのは、アタシなんだもの」
リュナの衒いのない愛を隣で黙って聞きながら、公太郎は口が波線のようになっていた。なんとも全身が申し訳なさでむずがゆくなる。リュナがそう想ってくれてるのは素直に嬉しい。ただ、魔界の倣いは人間の男にとって都合が良すやしないか。とてもエレハイムの同意を得られるとは思えない。
だが。
「名前を覚えなくていいリュナ、ワタシがハムタロという人と恋仲にならないのは、軽く見てるからではアリマセン。逆、デス。ワタシと彼は、すでにそれ以上の関係であり、恋仲になどなる必要がないのデス」
「…それ以上の関係、ですって?」
からめたリュナの腕に力が増したと思った瞬間、公太郎の髪が見えない力に引っ張られた。頭一つ分ほど背の低いリュナに向かって斜め下へ、磁石を近づけられた砂鉄のように髪がドラえもんのスネ夫になってしまっている。静電気だ。先ほどと同じくリュナから漏れ出した感情が、静電気となって彼女の周りを帯電している。
「…おかしいな。 相性が 悪くないとは 言ったけど そこまで 深く 進展してる はずもないんだが。 おかしいな。 どういうことか ボクも 詳しく 知りたいな」
おかしいな、おかしいなと繰り返しながら頤を指先でいじるゼナも、今度はリュナをたしなめることはない。一見、年長者らしく落ち着いた余裕を崩してない風だが、その質問はエレハイムにというより、こちらに向けられている気がする。…なんかジト目だし。
とはいえ、当然公太郎に思い当たるフシなどない。エレハイムとの関係と言われても、昨日が初対面で、ひと悶着あり、転移魔法で街に連れてきた、それで全てなのだから。…というか、そんなことリュナだって知ってるだろうに。現場にいたんだから。
「エ、エレハイムさんー、変な言い方はよしてくれよー」
身に覚えのないことで針の筵にされてはかなわない…と困惑する公太郎に、しかしエレハイムはふるふると首を横に振る。
「事実デショウ。ワタシとハムタロという人の間には、契約が結ばれているのデスカラ」
「契約ー…??」
そんな大仰なやりとりしたっけ…と記憶をたどると、公太郎は「あっ」となった。
「……それ以上の関係って、もしかして…アレのことー!?」
「ハイ。ワタシが街のために働き、ハムタロという人がお給金を支払う、雇用契約の関係デス」
「それかー」
雇用契約…たしかに、給金が出る出ないの話をした記憶がある。ようやっとエレハイムがなにを言わんとしてるか合点がいった。同時に、場の妙な緊張が解け、肩から力が抜ける。代わりにドッと疲れが来たが、どうやらそれは公太郎だけではないらしい。リュナもゼナも「そんなことか」と、頭の上にぐちゃぐちゃとした線が出てそうな顔でため息をついていた。大山鳴動して鼠一匹…とまでは言わないが、人騒がせなことだ。
「ワタシは、なにかおかしなことを言ったデショウカ?」
場の中でただ一人、エレハイムだけが「解せぬ」という様子であった。
「雇用契約とは、働いてお給金を得ることデス。恋仲という、あやふやで移ろいやすい心をよりどころにしたものよりも、お金が絡むだけ、きちっとした責任ある、強い関係だと思うのデスガ」
「うーむー…」
エレハイムの主張に公太郎は言葉が詰まった。
たしかに正論ではある。恋愛と雇用を比べれば、責任と制約と制限が課される分、後者の方が重たい。よくあるカップルのケンカネタ、「私と仕事、どっちが大事なの!?」の答が、問うまでもなく仕事なのは同じ理屈だ。
けれど正論と正答で世の中の全てが回ってるわけではない。心や感情というのは、常に、正しいことを正しいと感じられるほど単純ではないのだ。
だからこそ、この二つを比べてはいけないし、比べると…
「…ちょっと!!まるでアタシとハムタロの絆が弱いとか、アタシの心が、そこらの尻軽女みたいにコロコロ変わる、恥知らずなもののような言い方しないで!!」
…というリュナの反発を招くわけである。
「リュナー、わかってるよー。大丈夫、俺はわかってるからー」
「悪いけど、ハムタロは口を出さないで。これはアタシの、アタシ自身の誇りに関わることだから」
「お、おおー…」
リュナの声や表情は、いつも以上の、なんなら、これまで目にしたどの時よりも穏やかであったが、ひしひしと伝わってくる圧を前に公太郎は黙って引き下がるしかなかった。こりゃもう、行くとこまで行かないと収まらないだろう。
本当のところを言えば、雇用契約とは、自分とエレハイムではなく、イリスと結んだ形ではないのかという、そもそもなところを確認したいのだが、とてもそんなことで口をはさめそうもない。
「エレハイム、アンタの理屈は、お金をもらうから強い…だったかしら?」
「その通りデス」
「アンタ、ケンカ売ってんの?それのどこがアタシとハムタロの関係より上等なのよ。しょせんはビジネスじゃない。お金が無くなったらハイ、サヨナラ程度のもんでしょうが」
「その仮定は、ムダで無意味デス」
「はぁっ!?」
「昨晩、ワタシはメイド長のラピルさんと雇用契約の詳細の話をシマシタ。ワタシが聞きたかったのは、お給金の額、それ以上に『いつまで働けるか』デス。その時、ラピルさんは雇用期間についてこう言いマシタ。『あなたが望むだけ』」
エレハイムはカクッと首を傾げ、公太郎をのぞきこむ。
「ワタシの希望は、ワタシ…もしくはハムタロという人の生命がある限りの終身雇用デス。そう伝えたところ、ラピルさんは『余裕です』と笑ってイマシタ。一生ワタシのお給金を支払い続けても余りあるほど、ハムタロという人の資産は盤石…つまり、ワタシとハムタロという人は、半永久的に不変の主従関係だということなのデス」
「うおおー、そんな契約だったのかー」
自分の知らないところで、人の一生分を背負い込む契約が結ばれていた。その重大さに公太郎は慄然とする。…が、慄然としてみたものの、考えてみれば特にデメリットもないので、すぐに「まあいいか」となった。
むしろ気になるのはラピルが「余裕」とした資産額の方だ。資産と言えばグリモアの遺産のことだろうが、あれは全部イリスの街の予算に回したはずだ。ラピルの口ぶりからすると多少は個人資産として確保してくれてるようだが、エレハイムを終身雇用できるほどの額となるとどれくらいなのだろう。いや別に期待してるわけじゃないし、あまり大きいお金だと身に余るんだけど………一応、今度聞いてみよう。一応、ね。
「なにが半永久的に不変の関係よ。そんなのアンタの一存で、どうとでもなるじゃない。辞めようと思えば、いつでも辞められるんだから」
「イイエ。ワタシは辞めマセン。なぜなら、ワタシはハムタロという人と、共に生きると誓ったからデス」
「共に生きっ…!!?」
絶句するリュナの横で、個人資産のことでちょっぴり浮ついていた公太郎の背中に冷や汗が流れる。たしかに昨日、エレハイムは自分たちと「イキマス」とは言ったが、そのニュアンスは…
「…コホンッ。エレハイムさん、ちょっとよろしいでしょうかー」
「ハイ。なんデショウ」
「昨日エレハイムさんは、『イキマス』とおっしゃられたと記憶してるのですがー、それはGOを意味するのでしょうかー?それともLIVEー?」
「LIVEデス」
「LIVEかー」
きっぱりと即答したエレハイムに、公太郎は半笑いのままフリーズした。
なにか「まあいいか」なのか。重大どころか極大な事態だ。「共に生きると誓った」なんて、まさに結婚式で出てくるフレーズじゃないか。そういえば職場の同僚の女性が、「この度、終身雇用することになりました~」とかうかれながら寿退社したことがあったっけ。終身雇用ってのは、時に女性界隈では結婚を意味することらしい。というかエレハイムの口ぶりは完全にそれだ。どうしよう。自分の知らない内に、エレハイムと結婚してましたなんて。いいとか悪いとかの前に、どう受け止めればいいかわからないぞ。…そうか、ラピルが笑ってたって、こういうことになるって見通してたってことか、ちくしょうめ!!
…などと混乱した公太郎の髪は、さっきからちょっと痛みを伴うほど見えない力に引っ張られている。もはやリュナは言葉を発していない。ただ目を見開いて、激情のままに闘気を発している。唯一彼女を止められるであろうゼナもまた、「あとはリュナに任せた」というように頬杖をついて推移を見守ってるだけだ。
公太郎はすぐそばで巨大な竜巻が生まれはじめているような恐ろしさに、許されるならこの場からそっと消え去りたくなった。…許されるはずなどなかったが。
「ハムタロという人はワタシを必要とし、ワタシはそれを受け入れマシタ。この誓いは口約束ではアリマセン。魂の契約なのデス」
淡々とした口調でエレハイムがさらに薪をくべる。公太郎は涙がちょちょ切れそうになった。
「魂の…契約とはー?」
「お話しした通り、ワタシは父の遺した三つの誓約に今も縛られてイマス。ひとつ、父を傷つけてはならないコト。ひとつ、父の命令に服従するコト。ひとつ、前者二つに反しなければ、ワタシはワタシ自身を守るコト。一つ目と二つ目の誓約は父がこの世を去ったことで、長らく主体が不在となってイマシタ。そこに、この度、あなた…ハムタロという人が収まったのデス」
「な…なんだってー!?」
「よって、この契約は破棄デキマセン。ハムタロという人、あなたはワタシのご主人様となりマシタ。…かつて父がそうであったヨウニ。しかし、父にとってワタシは、誠に残念なことながら娘でありましたが、ハムタロという人は違いマス。ですから、この場合、あなたにとってワタシは…」
「も、もちろん、雇用者と被雇用者-…」
「妻…と呼ぶのが最適デショウ」
ブチィッ!!!!!!!!
瞬間、隣のリュナの血管がキレる音がした。そのあまりに予想通りの反応と、あまりに予想通りなエレハイムの回答に、公太郎は声も出ない。一触即発…などという単語などではなまっちょろい、一触既発こそが最適の状況だ。そんな言葉ないけど。
このせまい屋内において、もはやリュナとエレハイムの武力衝突は確定で、どこまでやるかの段階である。屋根と壁はぶっ飛ぶだろうが、果たしてそれで済むだろうか。そんなリュナの怒りを思うと、公太郎はおしっこがもれそうになった。
その時。
────…あれ?待てよ…???
全てがスローモーションに感じられる、1秒が何倍にも引き伸ばされた中で、公太郎の脳内にギリギリ、乾坤一擲、神の一手とも思える打開策が閃く。
「俺が、恩寵の宝珠を渡してくれと言ったら、どうなるんだー?」
公太郎のつぶやきに、激流のような空気がピタリと制止した。手刀を突き出そうとしていたリュナも、防御態勢に入ったエレハイムも、さもありなんと安楽椅子の背もたれに身を預けたゼナも、誰もが公太郎の顔を凝視する。
「それは…業務命令デショウカ」
「いや、命令とかそんなんじゃないがー…」
いたって平坦な声で問いかけるエレハイムに、公太郎は横に首を振った。
「でも、気になるから確認しときたいんだー。もし俺がそういうオーダーをしたらどうなるのかをー」
「可能デス」
当然で、なんでもないことのように、短く、シンプルにエレハイムが言い切る。
「えっー…!?」
そのあまりにも単純な返答に、公太郎は、だからこそ、すぐに理解が追いつかなかった。
それを主人が聞き取れなかったのだと判断したのだろう。エレハイムは極めて単調に、もう一度繰り返した。
「宝珠を渡すことは、可能デス」
TIPS:リュナとエレハイムが争った場合、団地は崩壊を免れなかった。




