交渉
涼しくなったと思ったら、また暑くなってきた。
この翻弄っぷり、まるで習近平のよう。
「それで…どうなのだ、ハムタロ。なにか手立てはありそうか?」
エレハイムを傷つけず、いかに宝珠を取り出すか。しばし黙って考え込んでいた公太郎をうかがうようにグリが声をかけてきた。
「グリとてエレハイムを傷つけたいわけではない。解放してやりたいのだ、人の身には長すぎる詮無き時間より」
「解放…ねー」
言いながら公太郎が空を見上げると、黒い雲は健在でありながらも、激しい雷雨は収まりつつあった。解放…と言えば、雨が上がればエレハイムの結界は解かれるのだろうか。
グリの言葉は本質をついているだろう。これはエレハイムを解き放つ話だ。いまだ彼女を捕らえたままの父親と誓約と宝珠から。そして…
「グリちゃんはどう思ったー?」
「どう、とは?」
「エレハイムさんの言うところの、先代のグリモアさんが、この件に責任なんて無いんじゃないかってやつー」
「母上の話か。そうだな、幸い、責任というほどのものは無いかもしれん。だが、因果はある。始末をつけたいというグリの気に変わりはない」
「因果かー」
グリも今さら下りる気はないらしい。
「アタシなら、仮に親父がなにやっても、知ったことじゃないけど。まして先代グリモアは宝珠を売っただけでしょう?グリちゃんが負い目に感じることじゃないわ」
「他の種族であれば、そういう考えが主流であろうな。だが竜は記憶をソウゾクする。リュナやハムタロとは少々勝手が違うのだ」
「ふぅん。竜も大変ね」
肩をすくめたリュナに、内心では公太郎も同感だった。この件において先代グリモアに責任など無い。まして娘であるグリならなおさらだ。しかし、だからこそグリにはエレハイムを殺すなどという手段を取らせるわけにはいかない。それこそ今後の人生の負い目となるだろう。
「…今、俺の頭には、思いついた方策がいくつかあるー」
「「「へぇ?」」」
右手の親指で下唇を押さえた公太郎に、その場の三者の視線が集まる。
「まあ、そう簡単にうまくいくかは正直わからんけどなー。というか、うまくいかなくても、それはそれで問題ないー」
「…どういうことかしら?」
訝しげに真意を測るリュナに公太郎はひとつうなずいた。
「どうにかできなくても、いずれ必ずなんとかするってことさー。でも別に、ここで今すぐじゃないとダメってわけでもないだろうー?」
「アタシは、できれば今すぐがいいのだけど」
「わかってるよ、俺だって早ければ早いほどいいー。最善は尽くすよー。ただ、たとえ宝珠の取り出しに失敗したとて、あきらめるつもりはないって意味だー。…それで、そこに関連してエレハイムさんに確かめたいことがあるんだがー…」
話を振られ、探るように顔を上げたエレハイムに公太郎は向き直った。非常に基本的で、根本的なところを確認しておかなければならない。
「エレハイムさんは、仮に宝珠が取れたとして、その後はどうするつもりなんだー?」
「その後…デスカ?」
「そうー。なにか行くアテみたいなのがあるのかってことー」
「アテなどアリマセン。必要もないのデス。宝珠が無くなったワタシは、そのまま天に召されるのデスカラ」
「いや、天に召されるとかそんなことになる方策を選ぶつもりはないー。それじゃ心臓を抉るのと同じだろうー」
「同じではアリマセン。穏やかに壊れるか、痛みや恐怖と共に壊れるか、これは大きな違いデス。過程こそが重要なのデス。宝珠を失えば壊れるという結果は同じでも、ワタシは穏やかに至りたいのデス」
「…言い方を変えようかー。たしかに、宝珠が外れれば、エレハイムさんは無限の生命ではなくなるだろうー。だけどそれはすぐに終わりがくるってことではないはずだー。だってさっき自分で言ってたじゃないかー、宝珠が埋まってからは元気いっぱいだってー。俺はそんな人に、お迎えがすぐ来るなんて思えないー」
「それは…そう、デスガ…」
「もちろんいつかはそういう時が来るだろうー。でも、それは10年先か20年か30年か、あるいはもっと先かもー。…だとしたら、もはや人の寿命と呼べる時間だよ、これはー。それまで、エレハイムさんはどうするんだー?」
「…ここで待つ…つもりデス」
「座ってアリを観察しながら…ってことー?」
「ハイ。アリを観察するのは楽しいデスカラ」
エレハイムは素直にうなずいたが、公太郎は彼女の本心だとは思わなかった。楽しい…というのは、単に他にやることがないというだけにすぎない。腰かけた場所から視界に入る範囲内で、もっとも興味を惹かれるのがアリの行列というだけだ。もしもエレハイムが本気でアリの研究をしたいというなら話は別だが、彼女の「楽しい」はその類ではない。そして、エレハイムにそんな不毛な時間を送らせるほど、言い換えるなら、彼女の恩寵を在野で腐らす余裕など、魔王イリスの台所事情にあろうはずもないのだ。
「…提案なんだが、エレハイムさんさえよければ、俺と共に来て、力を貸してくれないだろうかー」
「ワタシの…?」
「そうだー。実は俺、ここら一帯を統べる魔王イリス様に仕えていてー…」
公太郎はエレハイムに魔王イリスの為人と目的や夢、さらには置かれた苦しい状況までを包み隠さず説明した。エレハイムはぜひとも欲しい人材だが、スカウトするなら、やはりモノを言うのは誠意だからだ。後で話が違うと去られては意味が無い。…まあ、婚約うんぬんは省いたが。
「…というわけで、俺たちは魔王イリス様のもとで、冬までにどうしても街をつくらなければならないー。進捗については、正直言うと、微妙なとこだー。特に時間がまずいー。進んではいるが、冬まで…となると、まだまだ人手も住人も足りないからなー」
「街をつくる…冬マデニ?」
「仲間になってくれたドワーフたちも、最初は皆そんな顔をしたよー。それでも、どうにか協力してほしいー。アリの観察なら、そこでだってできるだろうー?」
「ワタシが必要…」
「必要だー」
「…ですが、そう…言われても、ワタシは人間…デス。魔族たちとは、相容れない…デショウ」
「相容れないってのは人間側の先入観だー。共に力を合わせて、歩めるよ、魔族と人間はー。魔王イリス様が、ご自身でおっしゃったわけじゃないけれど、あの方がつくるのは、きっとそういう街になるー。その実現に、エレハイムさんの手を貸してほしいー…」
────……うっ。なんか、我ながら白々しいってか、知ったようなことを言っちまってないか…
話の流れとはいえ、思わず口をついた言葉に、公太郎は若干赤面した。
ある程度の想像はつくとはいえ、この世界で魔族と人間がどんな歴史をたどってきたか、よく知りもしないのに。ものごとの背景を満足に学んでもいない者が口にする理想論ほど、うすら寒く軽々しいものはない。
だがそれでもなお、街の未来像はおそらく言った言葉と大きく乖離はしないとも思える。
考えてみれば当初、イリスの希望は、領地に花を咲かせることだった。それがなにゆえかは聞いたことがないが、あの年代の少女らしい優しい願いだ。そんなイリスが治める街が、「人間はお断り」のような偏狭なものであるはずがない。というか、イリスのそんな姿が想像できない。…事実、人間の自分と婚約までしてるし。
「そ…それに、宝珠の件にも絡むんだー。俺の考えた中で最も有力なプランは、エレハイムさんが俺たちのところに来てくれないとはじまらないー」
「……………」
話題の切り口を変えた公太郎に、しかしエレハイムはうつむき、なにかを考え込むように黙りこくってしまった。それゆえ、数えれば数秒にもすぎないが、気まずさを孕んだ沈黙が辺りへ下りてくる。
「…有力なプランってどんなのかしら」
「グリも知りたいぞ。教えろ、ハムタロ」
────その質問、ありがてぇ…
助け舟を出した…という意識ではないだろうが、結果として場をつないでくれたリュナとグリに公太郎の肩が軽くなった。
「…ゼナさんの夢見だよー」
現段階で、公太郎の頭の中には、宝珠に関して複数の案が思い浮かんでいる。そして厳密に言えば、ゼナの夢見は宝珠を取りだす方策そのものではない。とはいえ、手探り状態の現在では、方向性を探るという意味で、夢見に頼るのが最も確度の高い手法に違いない。
「夢見…ああ、そういうこと」
「なるほど、その手があるな」
二人もまた、『夢見』というワードに得心を得たようだ。ゼナの夢見は万能でないにせよ、二人からの信頼も高い。というか、夢見は建設のはじまったイリスの街のすでに一大コンテンツとなりつつある。実際、ドワーフたちの間でも好評で、ひっきりなしに依頼が来るため、順番待ちが発生してるくらいだ。
「…お給金は出るのデショウカ?」
「えっー…?」
不意に口を開いたエレハイムに、公太郎は少々虚を突かれた。公太郎が待っていたエレハイムの返答は、一緒に来るか来ないか、イエスかノーである。なのに、まさかそんな質問が彼女から来るとは。
「労働条件を聞いているのデス。新しい街のために働けば、人間のワタシにも、お給金が支払われるのデスカ?」
「も…もちろん。金額は…うちの財務担当、ラピルというメイドの女性と折衝しなきゃだけどー、出るよー。給料も出るし、住むとこと寝るとこ、食事や福利厚生だって…」
「食事を作るのは、得意デス。あとは掃除や洗濯、お裁縫も同じくらいデキマス」
「あ…そ、そりゃ…そうだよなー…。お父さんのお世話してたんだしー」
嬉しい誤算に公太郎は声が上ずってしまった。交渉事において、相手が条件を提示してきたフェーズというのは、話が半分まとまったようなものだからだ。……もちろん、常識的な範疇の条件なら、ではあるが。
「…わかりマシタ。いいデショウ。ハムタロという人、ワタシ…エレハイムは、あなたとイキマス」
…ほらね。
TIPS:宝珠が埋まっている限り、エレハイムには睡眠も食事も必要ない。しかし、できないわけではない。ただし、食べたらうんちが出る。とてもくさい。




