エレハイム 3
日本のW杯はブラジルに敗れて終わった。
ピッチ外で物議をかもすごたごたがあったり、スコア以外ですっきりしない試合だったのは残念だが、一番はやはり、伊東純也選手が前半で出なければならなかったという点。
2列目の選手にけが人が多発して、伊東選手を起用しなければならなかった台所事情が悔やまれる。
もちろん伊東選手がすべてではないにしろ、彼がスタミナの残る前半はどういう展開であったか。
監督も本来なら、前半は耐え抜き、後半にあの流れへ持っていきたかったはずだ。
加えて、後半のATでの田中選手を責めるつもりは毛頭ない。彼は交代した選手の中でも一番戦ってる選手だった。
そりゃあミスしたのは残念だが、相手はミスを誘発するためにプレッシャーをかけてきてるわけで、しかもそれが高いクオリティーを持つブラジルの選手なのだから、ミスをする時もあるってもんでしょう。彼の心には一生残る傷がついたと思うけれど、どうかくじけず頑張ってほしい。
あと次の大会のメンバーには習近平を選出してほしい。
パキィィン!!
金属が割れるような甲高い衝突音が響き、まばゆい火花が散った。それだけでグリの放った刺突に、嘘偽りなく本気の意思が込められていたことがわかる。
だがエレハイムの心臓を貫こうとした竜の爪は、目標を大きくそらし、天へと向かって伸びていた。
「ムダ、デス。たとえ竜であろうと、成体でもない二代目では、ワタシに触れることすらできないデショウ」
「むぅ…」
エレハイムの宣言に反論もなく、グリが忌々しそうに唸って下がる。
「繭」だった。エレハイムの髪が、彼女の体を、座った石ごと包んで繭を形成している。グリの、竜の、加減のない一撃をそらしてみせたのは、結界など比較にならないほど密度の高い、硬質化した髪の繭であった。
「ワタシの髪は、ワタシに害を成そうとする者からワタシを守ってイマス。ワタシの意思とは関係なく、自動的に、デス」
「知っている。脅威が貴様に近づけば近づくほど、その防御が強固となることも」
「そう、そしてこれより起きる現象も、ワタシの意思ではアリマセン。自動なのデス。すべては、自動で行われマス」
場の空気がひやりと冷たく、張りつめていく。エレハイムの長い髪が繭を解いて四方へ広がり、鼓動を打つように波打ち、蠢いた。
「ワタシにできることは忠告ダケ。お逃げなサイ。一歩でも遠く、ワタシから離れるのデス」
「リュナ!!ハムタロを連れて下がれ!!」
グリの叫んだ刹那、公太郎の腹にカタパルトで投射されるような強いGがかかった。
「ぐぇーっ!?」
「歯を食いしばりなさい。舌をかまないように」
目を白黒させる公太郎の腰を抱え、大きく飛びのいたリュナが耳元にささやく。もう一足飛べば結界から脱出できる地点に位置取りしながら、リュナが油断なく周囲を警戒する。しかし、結果から言えば、それは無意味であった。エレハイムの反撃は、グリへと集中していたからだ。
「「グリちゃんー!!」」
公太郎とリュナの視線の先で、グリも宙へと飛び退っていた。その軌跡をなぞるようにエレハイムから伸びた髪の束が、鋭く追撃していく。
「ふんっ」
どういう物理法則が働いているのか。グリが中空で体をひねるたび、ぐねぐねと軌道が変化する。回転しながら無数の髪を華麗に躱すさまは、マクロスのバルキリーによるミサイルの回避運動、有名な板野サーカスを公太郎に思い浮かべさせた。
だが。
「グリッ…上よっ!!」
リュナの発した警告は間に合わなかった。追従する触手のような髪とは別の、結界の天井より直下に放たれた一筋の束が、グリの意識外から襲いかかる。
「本体からの髪は囮か。見事だ」
死角からの攻撃に、しかしグリもまた、人外の超反応を見せた。四肢を折りたたみ、体にかかった跳躍の慣性のベクトルを強引に捻じ曲げ,、物理的に無理筋な鋭角の回避運動をとる。
それでも。
チッという小さな擦過音を立て、直上からの髪の束がグリの卵の殻をかすめた。瞬間、束がほどかれ、グリを包むように展開する。
「これは…網!?いや、檻だ!!チッ」
髪の織りなした格子は完全にグリを捕らえていた。全方位を包まれ、逃げ場を失ったグリが、格子を引きちぎろうと手を伸ばす。が、即座に無駄と見切りをつけ、グリは手足を亀のように卵の殻の中へ引っ込める。この間、わずか1秒弱。そこへ、元々追尾していた滂沱の髪が、獲物をめがけて突っ込んだ。
トトトトトトトトトトトトトトッ!!
膨大な質量となった髪が衝突したわりには、あまりにも軽く、いっそ間抜けな音が響く。だが、実際に目の前で広がった映像のショックで、公太郎は目を見開いた。
「グリーッ!!!!」
全身を突き刺され、空中でハリネズミになったグリの姿に、公太郎の心臓が止まる。仕留めた、と満足したのだろう。髪はそれ以上いたずらにグリをもてあそぶことなく、引き伸ばされたゴムが縮むように、ぎりぎり肉眼で追える速度でエレハイムの元へと戻っていく。
そこからは、やけにスローモーションだった。力を失い、ビルの10階ほどの高さから自由落下をはじめるグリが、公太郎には冗談のようにゆっくりと見えた。
「リュ…リュナッー!!」
────俺のことはいい、グリをたのむっ!!
万感を込めて公太郎は叫んだが、しかしリュナは身を固くするだけだった。
「ダメよ。次はアタシたちが攻撃されるかもしれない。この結界内は危険よ。まずはここからアンタを出さないと」
「そんなー!!」
冷酷ともいえるリュナの判断に公太郎は目いっぱいの抗議をしようとする。が、抗議は言葉にできなかった。腰に回されたリュナの腕に、苦渋の力が込められていたからだ。
────俺が、足手まといになってるんだ!!
リュナだって、すぐにでもグリを助けに走にたいに決まってる。だけど、伊藤公太郎という自分の身すら守れもしない情けない男が、足かせとなって動けないのだ。
いざ戦闘となると一気にお荷物になる、厳然たる事実に、自分への怒りでめまいがする。そんな公太郎の視線の先で、グリが頭から叩きつけられるように墜落……しなかった。
「問題ない。グリは大丈夫だ」
地面に衝突する寸前、グリの両手足が卵からにょきっと生える。地に手をつき、肘をたわませ、柔らかく衝撃を吸収すると、そのままグリはオリンピックの体操選手のように華麗にバク宙を繰り返し、公太郎たちのすぐ脇へと着地した。
「無事だったのかー、グリちゃんー!!」
「ふん、この程度、他愛もないことよ。竜の卵が早々易々と貫かれるものか。グリは無傷だ」
「よ…よかったー…」
「…とはいえ、表面はちょっとばかり削られたようだな。見ろ、白くピカピカになってしまったわ。ハムタロの書いてくれた”へのへのもへじ”とやらがきれいさっぱり消えてしまっておる。手間をかけるが、後でもう一度書いてくれ」
「あんなの、いくらでも書くよー」
いくばくか申し訳なさそうにグリが殻を手でぺたぺたとなでる様に、公太郎はほっと息をつく。本人の申告通り、目立ったケガはないようだ。さすがは竜の娘といったところだが、まったく、心臓に悪いったらありゃしない。
一方、気げ抜けてへたり込みそうになる公太郎とは異なり、しかしリュナは戦闘態勢の厳しい表情を崩してはいなかった。
「…結界内は不利よ。撤退するわ。グリちゃん、殿をまかせてもいいかしら」
「その必要はない。エレハイムの結界は、ハチの巣のようなものだ。害意ある者、エレハイムがそう認めた者が触れさえしなければ、何事もない」
「信じられない…とは言わないけれど、安心はできないわ。現に攻撃は受けたし、アタシはハムタロを守らないと」
「あれはグリが迂闊であった。すまぬ、心がはやり、先走って闇雲に始めてしまったのだ。そうだな、リュナはハムタロを連れて下がっていろ」
「グリちゃんは?」
「グリはエレハイムの始末を着けねばならん」
「…いいわ」
グリは公太郎たちの前に盾のように立ちはだかると、結界外に去れと指をさす。その決意を感じたリュナもここはそれを良しとするつもりのようだ。だが公太郎にとってみれば、そんなことはとても納得のいくものではない。
「ちょっと待ってくれー、事情を説明してくれないかー?まあ、いくらか察することはあるけれど、ちゃんとグリちゃんの口から聞きたいー」
「ハムタロ、ちょっと!!」
結界から脱出しようとするリュナを制止し、公太郎は説明を求めた。
「そもそも、エレハイムさんは敵なのかー?なんか俺には、そこからして疑問なんだがー」
「敵ではない。…敵ではないが、心臓を抉ってやる必要がある。グリはエレハイムを救ってやりたいのだ。アレが望まぬ不死となったのは、誠に無念だが、母上が関与している。その責任を取りたいのだ」
「それだよー、そこを詳しくー」
「言えぬ」
「何も言ってくれなければ、俺だって、はいわかりましたって素直に引き下がれないよー」
「そうではない。言いたくないわけでは…いや、身内の恥に関わることだ。ゆえに、言いたくはないが、正直なところ、記憶が完全ではないグリも断片的にしかわからないのだ。たしかなのは、エレハイムをどうにかしてやりたいという焦燥だけ。そんな身で、軽々と憶測でものを口にし、母上の名誉を傷つけるわけにはいかん。わかってくれ、ハムタロ」
「グリちゃんー…」
竜の記憶のソウゾクとは、かようにままならないものかと、公太郎は肩がずっしりと重たくなった。先代の暴凶竜グリモアが何をやらかしたか知らないが、本当に後始末を娘が負う必要があるのか。しかもグリはその内容を正確に把握すらしてないというのに。
「ワタシがご説明シマショウ」
しかし次に口をはさんだのは、意外なことに、こちらには一切の興味を示さず、アリを観察していたエレハイムであった。
「このままでは、いつまでもワタシをひとりにしていただけないようデスノデ。それに、アナタ方が暴れてアリが踏まれてしまうと、ワタシは困ってシマイマス」
「エ…エレハイムさんー」
「ですから、説明の上、ご納得いただけマシタラ、その際はどうぞ、お帰りクダサイ」
「うー…」
石の上にきちっと座りなおしたエレハイムに、公太郎は少々たじろいだ。エレハイムの淡々とした物言いには明らかに苛立ちが混じっている。さながら、深夜の迷惑電話など、安眠を妨害する厄介者に相対する時のようだ。
「ご説明の前に、グリちゃんという二代目の方、アナタに2点、認識を改めてほしいとお願いシマス」
「…グリにか?」
「繰り返しになりマスガ、ワタシの不死について、暴凶竜グリモアさんに非は一切アリマセン。ワタシが恨みに思ったことも、一度としてゴザイマセン」
エレハイムは右手をそっと自分の心臓あたりに当てて続ける。
「先代のグリモアさんは、ただ、ワタシの心臓に埋め込まれた、恩寵の宝珠を提供されただけなのデスカラ」
TIPS:エレハイムの心臓には恩寵の宝珠がそっくりそのまま原形をとどめて埋まっているのだ。




