エレハイム 2
サッカーワールドカップは無事グループリーグを突破となった。
次戦はブラジル。
ブ ラ ジ ルの文字列だけでめまいがするが、本気の彼らと試合ができるというのは、これ以上ない経験となるに違いない。
…みたいなことをアジアカップで日本と当たった習近平も考えてたのだろうか。
なんにせよ、どれくらいやれるのか、実際楽しみだ。
「これで、よろしいデスカ?」
あれから公太郎の必死の説得もあり、結局、エレハイムはきちんとしたワンピースを作り上げた。もっともそれは説得に納得した上でというより、問答が面倒になって渋々というのが正しいが。
「うんー。かわいいワンピースじゃないかー。よく似合ってるー」
我ながら、親戚のおじさんみたいな言い草だな…と公太郎は自分に辟易した。もっと気の利いたことが言えればいいのだが、いかんせん、そういった引き出しは公太郎に存在しない。
とはいえ、お世辞ではなく本心である。実際、シンプルな白のワンピースは、白髪で色白のエレハイムにピタリとよく似合う。全身が真っ白なので、この薄暗い今日の天気では、ちょっと輝いて見えるというか、神秘的な感すらあるのだ。
そして神秘的と言えば、彼女の髪もそれに値する。エレハイムは耳の前にひたたれる、ひと房でワンピースを織ってみせたのだが、当然、消費され、短くなったはずの髪は、あれよあれよという内に伸びはじめ、今ではすっかり元通りだ。
────エレハイムさん、仲間になってくれれば助かるんだけどな…
神秘はさておき、公太郎の胸には、やや打算的な思いが去来していた。エレハイムがイリス麾下となり、力を振るってくれれば、どれほどありがたいことか。いともたやすく布を作り出す能力は、衣食住を満たす宝となるだろう。
それでなくともイリスやゼナの普段の装いは、機能的と言えば聞こえはいいが、いたってシンプルな麻の貫頭衣だ。戦士グルガをはじめとする獣人だって、自前の毛皮があるからか胸当てと腰布くらいな簡素さだし、ドワーフたちも当て布ばかりの服を繕って大事に着ている。
そんな彼女、彼らにもっと良い服を…とかそういう話よりも、単純に、今のままでは訪れる冬に対してあまりにも心もとない。
…だから、なんとか協力を取り付けたいのだが。
「それでは、あちらへドウゾ」
「いや、帰らせようとしないでー?」
しかし公太郎の思いなど知る由もなく、エレハイムは結界の出口を指し示した。「お前たちには用はない。さっさと帰れ」という拒絶の意思が、こちらとは視線も合わさず、じっと地面を見つめる頑なな姿からありありと伝わってくる。
「聞きたいんだけど」
取り付く島を探る公太郎へ助け舟を出すよう、やおらリュナが口をはさんだ。
「アンタ、ここで何やってんの?」
「…地面を見ていマス」
「地面?」
「地面をアリが歩いているのデス。彼らが行列を成して、巣穴にエサを運ぶのを観察していマス。ワタシは、アリが好きなのデス。羨望を感じていると言ってもいいでショウ。彼らには目的がありマス。目標がありマス。獲物を狩るモノ、運ぶモノ、周囲を警戒をするモノ…一つの個体ごとに役割を持ち、社会を作っていマス。行列には秩序と規則があり、有機的に統制された彼らを見ていると、ワタシは時間を忘れられるのデス」
「ふぅん、よほどアリが好きなんだ。いいんじゃない?わかるわ、好きなものに夢中になる感じ」
淡々とした口調でありながらも多弁となったエレハイムに理解を示しつつ、リュナが公太郎へ、そっと半歩ほど体を寄せる。
「…でも、アタシが聞いてるのは、『今』アンタがしてることじゃないの。もっと大きな、『どうして』アンタが魔界にいるのか、ってことよ」
「…待っているのデス」
「待つ?」
「いつかワタシが、壊れる日を」
物騒なことを平たんに口にしたエレハイムは、無機質な顔のまま空を見上げた。天気は変わらず雷鳴が轟く荒れ模様だが、結界内には雨粒のひとしずくも落ちてきていない。
しかし。
「壊れるー…とは、どういう意味ー?」
エレハイムの選択した語彙の違和感に、公太郎は彼女の意図を図りかねた。
────死にたい、ということだろうか?
順当に受け取れば、それで正解だろう。ショッキングな内容ではあるが、エレハイムの意がたとえそうだったとしても、特段、それ自体に大きな驚きは公太郎には無かった。なにせ人間の少女が、危険な魔界でひとり、全裸でいるのだ。その理由が、そうそう前向きなものであるはずがあるまい。
ただ、それを『壊れる』と表現するのは、エレハイムにしては、叙情が過ぎるというか、婉曲というか、回りくどい感がある。たしかにエレハイムは雰囲気に透明感があり、どこか浮世離れしてるが、その方向性は無機質で、機械的で、冷めているという意味である。
そんな彼女が『死』を『壊れる』などと、わざわざ湿度を高く置き換えたのは妙だった。そういうのは『自分こそは悲劇のヒロインだ』というような、己に酔った人間が使う言い草ではないか。
だが、エレハイムにはそういう自己陶酔を持ち合わせているようには思えない。本当にその日を、自分が終わるXデーを、恐れや忌避や嫌悪など一切の感情もなく、単純に、機械的に、ベルトコンベヤーで運ばれていくように、冷徹に見据え、待っているだけの少女に見える。
そんなドライなエレハイムと、『壊れる』というウェットな死の表現が、いまいち公太郎の中でリンクしなかった。
もちろん、多少の言葉尻など気にせず、もっとこう、「なにか辛い事でもあったのかい?」など、会話を広げ、ヒアリングやメンタルケアに移った方がいいのは重々承知なのだが、エレハイムのキャラに似合わない言葉のチョイスの違和感が、歯の隙間に引っかかって張り付いて気になってしまう。
…まあ、出会ってからのこの短い時間で、彼女の何がわかるんだという話なのだが。
「エレハイムは幽霊なのだ」
公太郎に答えを示したのは、しかしエレハイム当人ではなく、グリだった。結界に足を踏み入れてからこれまで、妙におとなしく黙りこくっていたグリがずいっと前に出てくる。
「昨日グリが述べた通り、エレハイムはただの人間ではない。その正体は、肉体がとうに滅びた、人間の魂だ」
「ど…「どういうこと?」ー?」
期せずして公太郎とリュナがハモる。けれど、同じセリフでも、リュナの方が戸惑いの色が濃い。
「この娘の結界…髪の毛の手ごたえは、実体のそれだったじゃない。ハムタロも触ったでしょ?」
「あ…ああ、斧についてたやつだなー。この世界の幽霊ってのは触れられるものなのかー?」
「アタシの知る限り、そんなのはいないわ。もし、おばけが触れられるなら、アタシだって怖くないもの」
「そ…そうだよなー」
同調しつつ、公太郎はリュナの苦手なものを偶然知ったことで、ちょっぴり「ふーん」となった。
だがそれはともかく、目の前のエレハイムが幽霊だと言われてもまったくピンとこない。存在が薄く、儚げで幽霊っぽいってのは、まあ…そうかもしれないが、あくまで「ぽい」だけで、エレハイムにはしっかりとした両足がある。そしてなにより、地面には彼女の影がしっかり落ちていた。実体がない幽霊であれば光を遮ることもなく、影なんかできないはずだ。
「ハムタロとリュナの疑問は当然だな。けれど、その解答はいたって単純なものだ。エレハイムは、自身の骸に本人の魂がとりつき、操り、動かしている。ゆえに、実体を持つ」
「むくろー…?」
「礼を失することを承知で、忌憚なく言ってしまえば不死者、生ける屍である。エレハイムの死後からどれほどか、グリも正確なところは知らん。それでも、人間の一生よりは、はるかに長い時間だろう。だが、未だこうして魂が骸にとりついているのは、彼女がそう望んだからではない。むしろ、とある術式によって魂を束縛されているのだ。憐れなものよ」
「ど…どうしてー」
そんなややこしいことになってるんだ────とは思ったが、公太郎は口に出さなかった。それくらいの良識は持ち合わせている。「ややこしい」など、エレハイム本人を前にして。軽薄が過ぎるだろう。…しかし実際、ややこしいのはややこしい。
エレハイムは、彼女の遺体に本人の魂が憑依している。…なんだそりゃ。なんでそんなことになってんの。それは「生きている」とどう違うんだ。
「グリちゃん…という人。ワタシに、お詳しいようデスネ」
公太郎が頭をこんがらがせている最中、空を見上げていたエレハイムが、こちらを迷惑な闖入者くらいにしか考えてないであろう彼女が、グリにいくばくかの興味を示した。
「グリは人ではない。我が名はグリモア。暴凶竜グリモアの娘にして、二代目の竜である」
「二代目…」
「竜は記憶をソウゾクする。よれば、貴様もグリモアの名には聞き覚えがあるはずだ」
「もちろん、知ってイマス。父と、取引をされた方デスネ」
「然り。そして今日、グリがここにあるのは、母に代わり、貴様に詫びたいと思ったからだ」
先代グリモアとエレハイムはやはり何かしらの因縁があるらしい。普段は尊大なグリが、きっちりと足をそろえ、頭(?)を下げて謝罪の意を示している。
「…やはり、暴凶竜グリモアさんは亡くなったのデスネ」
「そうだ」
「最近、空気に含まれる魔素が急に薄くなっていたので、まさか…とは思ってイマシタガ」
深く深く嘆息したエレハイムが、グリに急速に興味を失ったように、再び地面へと視線を落とした。
「残念デス。グリモアさんだけが、暴凶竜の魔素だけが、ワタシの心のよりどころでしたカラ」
一見するとエレハイムはアリの観察に戻ったようだが、おそらくは何も見てないだろう。その硬い表情には隠せない失意がにじんでいる。
「エレハイムよ、ひとつだけ弁明させてはくれまいか。当時の母は、思いもよらなかったのだ。父君との取引が、まさか貴様を苦しい運命へと陥れるとは」
「…二代目さんが謝ることはありまセン。ワタシの身の上、すべては父のしでかしなのデス。したがって、先代のグリモアさんも関係アリマセン。どうぞお気になさらなくて結構デス」
変わらず淡々とはしているが、失望の深い声色で、こちらを見もしないまま、エレハイムが公太郎にしたのと同じように結界の外を指し示した。
「ご用が済みましたのなら、お帰りクダサイ。ワタシは今、ひとりになりたい気分なのデス」
「用は済んでいない。グリは母の代わりに詫びに来た、と言ったはずだ」
「必要アリマセン」
「そうはいかん。詫びるとは、行動によってのみ誠となる。グリは偉大なる先代、暴凶竜グリモアの名誉のために、行動を起こさねばならん。なにより、グリの中の母上の記憶が、そうしろとささやいている」
「行動…?」
「エレハイムよ、母上に代わり、貴様の望み、グリが叶えるぞ」
何事かと顔を上げたエレハイムに対し、グリが半身になって腰を深く落とし、構えをつくる。
「その呪われた心の蔵、抉り、壊してやる。人の身に戻り、冥府へと往くがいい」
手の指をそろえて伸ばし、刺突用の剣となったグリの手刀が、雷の速度で放たれた。
TIPS:エレハイムは心臓にかけられた魔法により、滅びることができない。長く伸びた髪は、彼女が生きた(?)年数ゆえ。




