エレハイム 1
サッカーワールドカップが開幕した。
オランダ相手にからくも引き分けに持ち込めて何よりだった。
しかしガクポとデヨングがえぐかったという印象が強い。土壇場で追いつけたのは、ガクポを交代してくれたおかげで、オランダの推進力が低減し、圧が下がったからと思ってるのだがどうだろうか。
ガクポが交代したのは疲れてきたからだろうが、消耗させたのは堂安さんと久保さんの献身的な守備の結果で、個人的には彼らが影のMVPな気がしている。
ところで、ここからどうやって習近平につなげようかと考えているのだが、出てくるのはせいぜい、次戦のチュニジアと中国って頭がチュでちょっと似てるね、くらいのものしかなかった。
そんな習近平もワールドカップを見ているのだろうか。
展開された結界は、薄皮のような表面を切り裂いて踏み込んでしまえば、内部は何事もなく、侵入者が攻撃を受けることもなく、いたって普通の空間であった。
「アンタがエレハイム?」
リュナが無遠慮に、無警戒に、一直線につかつかと歩を進め、石に腰かける女の真正面に立ち、上からじっと見据える。
「ねぇ、聞こえてるんでしょう?」
女はしかしリュナの声など耳にも届いてないといった感じで反応もなく、見向きもしなかった。
「もしかして、結界を破ったからアタシを敵だと思ってビビってるのかしら?なら安心なさい。これ以上、何かするつもりはないわ。アンタが何もしなければ、だけど」
挑発的なリュナの呼びかけに、女がようやく、焦点の合ってるのかいまいち定かでない視線を上げる。
「ナンの…ご用…デスカ?」
応えた女の声は、掠れ、酒焼けした老婆のようにしゃがれていた。だが見た感じは若い女だ。事前に聞いていた通り全裸のようなので、公太郎は配慮してかなり後方に控えてるため正確な年頃はわからないが、ともすればリュナよりも若年かもしれない。そうであるならこのしゃがれは単に、声を出すのが相当に久しぶりのことなのだろう。ゴールデンウィークや正月休みなど、連休中に他人とまったくしゃべらないとこんな風になるのは覚えがある。
「アンタがエレハイムかどうか知りたいんだけど」
「…かつて、そう呼ばれていたこともアリマス」
ぎこちない動きでエレハイムがうなずく。そのカクカクした様子は、まるで音に反応して動くひまわりのおもちゃみたいだ。
「まどろっこしい言い方をするわね。はっきりなさい、どっちなの」
「ハイ、ワタシはエレハイム…デス」
「そう。アタシはリュナ、別に覚えてくれなくていいけど。後ろにいるのはハムタロとグリちゃんよ」
「覚えなくていいリュナに…ハムタロとグリちゃん…覚え…マシタ。それで…皆さんはエレハイムにナンのご用デスカ?」
「用…」
少々失礼なエレハイムには気を留めず、リュナが指で髪先をつまみながら公太郎たちに振り向いた。
「ねぇ、ハムタロ。…アタシたち、何でエレハイムに会いに来たんだっけ?」
「おいおいー」
リュナのいまさらな問いに、公太郎は脱力するフリを見せつつ、内心ではほっと一息をつく。どうやら結界に接触した時のように、いきなり攻撃を受けたり戦闘になったりはしなさそうだ。話が通じるのは単純にありがたい。
「はるばるエレハイムさんに会いに来たのは、そりゃあー…」
言いかけて、しかし「…なんでだっけ」と公太郎も頭にハテナが浮かんだ。そういえばここに来た動機は、魔界で全裸の女がいるので様子を見に…くらいのものしかない。
まあ…少々悪しざまに言う形にはなってしまうが、イリスの領地にいる不審者への職質…みたいなのが目的だろうか。
────それにしても…
初対面の相手に必要以上の警戒心を与えないよう、意識的にゆっくりと近づきながら、公太郎はあらためてエレハイムの外見にたじろいだ。
エレハイムは遠目からそう感じた通り、やはりだいぶ若く、少女と言っても差し支えがない。イリスよりは年長であろうが、それでもせいぜい3つか4つ上ほどだろう。日本なら高校に上がりたてくらいか。
そんな彼女の印象を一言で表すなら、「透明」がしっくりくる。新雪にも似た純白の髪色を持つ美しい少女だ。どういうわけで生まれたままの姿なのかは定かではないが、魔界の荒れ地には場違いな、風が吹けば消え去りそうな儚さと危うさを感じさせる。
だが、はっきり言って、全裸かどうかなどどうでもいい。そんなことが些末に思えるほど、エレハイムの髪は、本人の纏う希薄な雰囲気とは反比例して、やはり…とんでもない存在感だった。
エレハイムを扇の要として、髪は地面へ放射状に広がり、結界の壁面まで伸びている。さらには結界も構成してるのだから、果たして全長はどれほどなのか。
よく図鑑などで、恐竜や絶滅した古代の生物がどれほど大きかったかを表現するため、スケールモデルとして横に人間が描かれてたりするけれど、そこにエレハイムを並べたら、あくまで数値上であるが、それらのどれよりも巨大となり、興ざめとなってしまうことだろう。
ただ、そんな圧倒的な質量を前にして最初に公太郎の脳裏をよぎったのは、シャンプーとかリンスとか、きっとえぐい量を使うんだろうな…というどうでもいい事だった。
…ともかく、この場には来てないが、イリスはこのエレハイムを領民として保護するつもりだったはずだ。ならば「エレハイムに何用か」といまいち個人的にはっきりしなくとも、イリスの代役として主の意に沿うのが、従者の役目であり、主目的ってもんだろう。
「あのー、エレハイム…さんー」
「ハイ」
「とりあえず、ここに服を持ってきてるから、そのー…着てもらえないだろうかー。裸だともう寒い時期だしー、目のやり場に困るのでー」
公太郎は魔法鞄より簡素な貫頭衣を取り出した。なにしろ、このままではまともに話もできない。ゼナから借り受けてきたものだからサイズは合わないだろうが、無いよりはずっとましだ。
「服………ああ…ワタシ、裸デスネ」
だが公太郎の配慮はよそに、エレハイム自身は裸であることを失念していたのか、気にもしてないのか、まるで他人事のように自分の肢体を見回しはじめた。
しかし。
「それ以上、近寄らないでで…クダサイ。妊娠しマス」
「……ええー…」
気を使い、あえて頭を背けながら服を手渡そうとした公太郎を、エレハイムがぴしゃりと制止した。それまでよりやや低い声で、にべもなく、取り付く島もないという感じである。露出に無関心で、別段、恥ずかしそうという風でもないにもかかわらず、公太郎の接近には断固とした拒絶の意思があった。
「ハムタロという人、アナタは今、ワタシのスペースに入ろうとしてマス」
「スペースー…?」
「パーソナルスペース…デス。昔、父が言ってマシタ。男がスペースに入ると女は妊娠スル…ワタシは妊娠したくアリマセン。ですから、それ以上、近づいてはいけないのデス」
「な、なるほどー…」
正直「なんだそりゃ」とは思ったが、めんどくさい気配を感じて公太郎はとりあえずうなずいた。ジョークにしては笑えない部類だし、まして初対面の相手にかます種類でもない。なんとも反応に困る。
だがエレハイムの方は声のトーン的に、どうやら冗談や特異な婉曲の一種で「妊娠する」などと表現してるわけではなく、いたって大真面目のようだ。子供はコウノトリが運んでくるとか、キャベツ畑からとれるとか、さすがにそれらよりはマシであるものの、この年代の少女にしては性の知識が欠落しているらしい。
だとすると、その父親なる人物はいったいどんな教育を彼女に吹き込んだのだろうか…と公太郎は眉間を押さえたが、考えてみれば男親が娘に子供の作り方を聞かれたら、まあそんな感じで返すかもしれないとも思い至り、一応の納得を得た。
子作りの生々しい真相など、サンタクロースの正体のように、黙っていてもいずれどこかで知ることになる、きっと父親はそんな風に考えたに違いない。…どうやらそんな機会はまだ来てないようだが。
だからといって、自分がわざわざその役割を務めることもない。
「…ならリュナー。代わりにこの服を着せてやっ…」
やれやれ、それなら同じ女性であれば問題なかろうと貫頭衣を手渡そうとした公太郎の横で、しかしリュナがは何かに感心したような短いため息を漏らした。
「へぇ…?人間って近づくと妊娠するのね。アタシ、人間なんか興味無さすぎて知らなかったわ」
「シマス」
「ふぅん…変わってるけど、それってすごく便利ね。ちょっとうらやましいかも。アタシもそうだったら、苦労しないのに」
ふたりのやり取りに公太郎は「まじかー…」と目が点になった。冗談を飛ばしてる素振りではない。リュナはリュナで突拍子もないエレハイムの論を素で信じてしまっている。こちらもいたって大真面目の様相だ。
「…どうかしたかしら、ハムタロ?」
公太郎の微妙な表情に、リュナが不思議そうな顔をする。
「い…いやー、さすがに近づいたくらいじゃ、子供なんてできないよー」
「あら…そうなの?やっぱりね、なんだかおかしいとは思ったのよ。でも、あれだけ王都とかに気持ち悪いほどうじゃうじゃいるから、そういうものなのかな…っていうのもあって。アタシ、人間の生態なんて少しも知らないから、信じちゃうとこだったわ」
「は…ははー…うじゃうじゃー…」
悪びれなく肩をすくめるリュナに公太郎は苦笑いになった。
薄々わかってはいたが、リュナにとって人間など、湿った石の裏に蠢く虫と大差ないのだ。そういえば、公太郎と出会った時もそうだった。ほとんど出会い頭で、思いっきりぶん殴られたっけ。まあ、その後の彼女の戦闘力から考えれば、頭がつぶれたトマトにならなかっただけ、あれでも手加減してくれた方なんだろうけど。
とはいえ、リュナの反応も、さもありなんというところもある。王都の人間だって、人畜無害そうなイリスに対する扱いはひどいものだった。リュナのようなゴリゴリの魔族ならばなおのこと、人間と良い関係を築いてきたわけがない。
そしてここは魔界で、魔族の支配地域で、人間など忌み嫌われる対象でしかないわけで、そんなところに独りで佇むエレハイムの異様さと言ったら────
公太郎が改めて目をやると、エレハイムは石の上に姿勢よく腰かけたまま、自分のコミュニケーションはもう終わったとばかりに、何もない地面の一点をじっと眺めていた。
「あ、あのー…エレハイムさんー?」
「ハイ、まだワタシになにかご用デスカ、ハムタロという人」
「まだ…もなにも、用は始まってすらないんだがー」
「…あぁ。服、デシタネ。ご心配には及びまセン」
気だるげに答えたエレハイムが無造作に、無防備に立ち上がろうとする。
「ちょっ…おいー!!」
「ご心配には及ばない、と言いマシタ」
女性のセンシティブな部分がもろ見えになりそうで公太郎は焦ったが、裸体の全てが視界に捉われるよりも早く、エレハイムの髪がひと房、彼女の体に巻きついた。
「前の服は、そういえば、ずいぶん前に痛んで破れて、どこかに飛んでいきマシタ。今度のはどうしまショウ。…単純なものがいいデスネ。考えるのは、面倒くさいデスカラ」
エレハイムがぶつぶつ独り言を並べる間に、巻き付いた髪が縦横に重なり合って編み込まれていく。
「ぬ…布を作ってるのかー?髪でー!?」
繊細な極細の髪が凄まじい速度で、みるみるうちに織り上げはじめたのは、布というより、つややかな光沢のあるシルクに近い。色白のエレハイムの肌が、さらに白く、シルクの輝きに包まれる。
────プリキュアかセーラームーンかよ…
高度にシステム化された規則正しい動きというのは、人間の心に訴えかけてくるものがあるらしい。壮観な光景に、公太郎はアニメの魔法少女たちの変身バンクを思い出した。さすがに魔法少女のようにカメラの前で回転したり、ポーズを取ったりすることはなく、色気もへったくれもない棒立ちではあったが、あっという間にエレハイムの体に服が形成されていく。
「できマシタ。これで、ご用は済みマシタネ」
髪色と同じ真っ白のワンピースを纏ったエレハイムが、再び石に腰かけ、手をリュナの開けた結界の穴の方へと伸ばした。
「…あのー…エレハイム…さんー」
「まだ、ナニカ?」
エレハイムのジェスチャーが、「どうぞ、お帰り下さい」や「さっさと立ち去れ」を意味している。そんなことは薄々察せられるというか、重々承知であったが、公太郎は無視して会話を強行することにした。
我慢ならなかったからだ。
「どうして、半分しか着てないんですかー?」
エレハイムのワンピースは、肩ひものあるスタンダードな白のワンピースであった。フリルなどの飾り気はないが、シンプルさが逆に奥ゆかしさを想起させる、清楚な仕上がりとなっている。
…前半分は。
「背中や、お尻が出てますけどー!!」
エレハイムのワンピースは、肩ひものあるスタンダードな白のワンピースであるが、フリルなどの飾り気どころか、後ろ半分が無かった。
この「無い」というのは言葉通りで、早い話がエレハイムの体の前面にワンピースのテクスチャーを貼っただけのようになっている。
つまり、後ろ半分は丸出しだった。
「髪で服を作るなんて、スゴイことができるのにー!!どうして、ちゃんと作らないんですかー!!」
「ムダ、だからデス。服は、いつか破れてしまうものデスカラ」
「無駄とかじゃなーいー!!」
美しい姿勢で、淡々と、飄々と言ってのけるエレハイムに、公太郎はキャラに似合わず声を大きくした。
我慢ならなかったからだ。
やればできるだろうに、ちゃんとした服が作れるだろうに、なんでそんな中途半端な、とりあえずの体裁だけ繕うような…繕えてないけど、手を抜くようなマネをするのか。
そういう、もどかしさに対する憤りもあるにはあったが、それ以上に…
「それじゃ、裸エプロンでしょー!!!」
エレハイムが、卑猥だったのだ。
TIPS:エレハイムは透明感のある女の子だが、出るとこは出てるナイスバディ。裸エプロン、世間一般の認識とは異なり、3次元だと意外にどうということはない。あれは2次元でこそ輝くもの。2次元では戦闘力が跳ね上がる。ナイスバディと裸エプロン、今、その2つの火は合わさり、炎となる。




