謎の女 4
習近平は今度、北の将軍に会いに行くらしい。
でもそんなとこ行くより
日本旅行に切り替えたほうがいいのではなかろうか。
「急降下して雲を抜ける!つかまってなさい!!」
リュナが指示を出すと同時に飛竜が頭の角度を急激に下げた。飛竜は斜め下方向に向けて一度大きく羽ばたくと、猛禽類が獲物を狩る時のように翼をぴたりときれいに折りたたむ。
「うっー…!」
ジェットコースターが山を下りはじめる直前の、下腹部にふわっとした嫌な浮遊感を覚え、公太郎は来たる恐怖に背筋を震わせた。瞬間、ほとんど地面へ垂直降下するように飛竜が急加速する。目尻から勝手に涙が吹き出ていく、とんでもないスピードだ。
「んんんんんんんー!!」
本当に恐ろしい時、人は叫び声など出ない。公太郎は食いしばった歯の間からにじみ出るような悲鳴を漏らしつつ、リュナの細い腰に必死でしがみついた。座席に体を固定する革帯は備わっているが、そうしてないと吹き飛ばされそうだったからだ。
突入した雲の中は、予想通りの激しさだった。あれほど明るく晴天だった上空からは想像できないほど陰鬱で暗い。
危惧していた雷は視界のそこかしこで迸っていたが、それよりも相対速度の関係で勢いを増した吹きつける風と雨が厳しい。レインコートの上から叩きつける雨粒は散弾のようで、ビシビシとむき出しの頬にあたるとかなり痛む。あらかじめ顔にも風魔法LV1で防護を張っておいたが、高速の水の礫の前では気休めにもならず、目などとても開けてられそうにない。
ドゴギャィィィンッッ!!
間近で偶然発生した雷が公太郎の展開した雷魔法と接触し、轟音と共に軌道を変えて屈折する。衝撃も凄まじい。座席が地震のように揺れ、公太郎の尻が宙に浮く。それでも当初の思惑通り、雷をそらして捌くことに成功したようだ。だがこんな状況に「ほら、何とかなっただろう?」などとドヤ顔をする余裕など公太郎には欠片も無く、ただ身体を固くしてすくみあがるしかできない。
「雲が切れるわ!!」
叫んだリュナが手綱を捌き、飛竜が半円を描いて水平飛行へと移る。無事、雲海を突破できたようだ。
「ふー…俺、ジェットコースターが苦手だったのを思い出したよー」
公太郎は安堵から誰にともなくひとりごちた。ビビっているのを見せるのはカッコが悪いので、努めて平静を装ったつもりだが、自分でもわかるほど声は裏返り、心臓は腕が振動するほどバクバク鼓動している。とはいえ、とりあえずは一山乗り切った気分だ。相変わらずザアザアと音を立てる雨風は強いし、ギザギザの稲光がいくつか地に落ちてるが、公太郎は張りつめていた緊張が解けはじめるのを感じた。
────つ…疲れたな。
ふうっとため息のような息が自然と漏れる。雷雲の中にいたのは時間にして数秒もなかっただろう。だがその間、全身に目いっぱい力を入れ、呼吸も止めてたので、ドッと来るような疲労感が肩を重くしている。
「雨…強いわね。ここからは速度を落として飛ぶわ。エレハイムを見落としたらいけないし」
リュナが肩越しに振り返り、公太郎の無事を様子見た。
しかし。
「なんだ、ありゃー?」
公太郎はリュナにろくすっぽ応えることもなく、視線の先の違和感に気を取られていた。
嵐のような雨の中、薄暗い世界の中で、雷光とは別種の光がきらめいている。輝度はそれほどというか、かなり弱光だが、透明なボウルを伏せたような半球のドーム状を形成しており、せわしないほど絶えず瞬いていた。こちらからはまだ距離があるというのに、はっきりと形がわかることから、結構な大きさのようだ。
「エレハイムだ。…あの光の中心にいる」
「グリちゃんー…」
公太郎たちの後方にぴたりと付けていたグリが真横へとやってきて、光の半球を指さす。
「ハムタロ、リュナよ。グリは先に行く」
真面目な声色で言うと、グリは激しい雨をものともせず、水煙を上げてあっという間に加速していった。
「…どうしたんだ、グリちゃんはー?」
「アタシたちも行きましょ。なんだか妙な感じだわ」
「ああー」
公太郎とリュナはレインコートのフードを改めて目深に被り、グリの後を追って速度を上げていく。妙な感じというリュナの印象に公太郎も異論はない。予感がするのだ。心臓を他者に指で押されるような、わずかな不快感が胸にある。根拠や出所のはっきりしない焦燥感に背中がそばだてられていた。
昨日からグリはどうもエレハイムになんらかの思い入れ…負い目というか、思い詰めているフシを感じさせる。
もっとも、エレハイムと何か因縁があるにせよ、それは先代グリモアの記憶が由来だ。生後数日、今を生きるグリに実際の係りなどあろうはずもない。
とはいえ、くだんのエレハイムと対した時、グリは一体どうするつもりなのか。考えてみても公太郎にわかるはずもないが、せめて手の届く範囲にいてやりたい。
しかし、みるみる間に小さくなったグリは相当な速度で、追いつくにはなかなか難儀しそうだ。…と思った矢先、グリが光の前で飛竜を急停止させ、こちらを振り返った。
「ハムタロ、リュナ!!それ以上…近づくな!!攻撃を受ける!!」
「うッ!?」
グリの警告にリュナが手綱を引き、飛竜に制動をかける。
だが。
先を行くグリの飛竜には慣性がかかっており、わずかに静止が間に合わなかった。
パキッ!!
枯れ木の折れるような軽い音を立て、光に触れたグリの飛竜の片翼が半分ほど吹き飛ぶ。
「グリちゃんッッ!!」
揚力を失って落下するグリへ向け、リュナが必死に再加速をかける。しかし、速度をほとんどゼロにしてからの再加速、おまけにグリとの距離は目算で数百メートルだ。間に合うわけがない。
「ハムタロッ!!なんとかしてッッ!!」
「わかってるー!!水魔法LV1ー!!」
リュナの叫びに公太郎が手を伸ばし、グリの落下地点に向けて魔法を発動する。水球を形成し、墜落の衝撃を吸収させるのだ。…というイメージはあっても、現実は貧弱なLV1魔法でグリと飛竜の質量を受け止められるはずもない。が、不幸中の幸いでこの雨だ。
────かき集めれば!!
公太郎は地面すれすれに魔法を薄く引き伸ばし、巨大な水のマットを展開させる。途端、腕にズシっと重たい手ごたえが来た。天から降る雨はもちろん、地に流れる膨大な雨水も、水分子の引き合う張力によって魔法と一体化し、巨大な水量となった証拠だ。
「固まれーっ!!」
公太郎が拳をぎゅっと握りこむと、水が波打ちながら本をたたむようにひと塊へと集約されていく。
瞬間。
ドボボボンッ!!!!!!!
グリと飛竜が派手な音を立てて水球へ落下した。
「グリちゃんッ!!無事!?」
「…ぐへっ。…グ、グリは無事だ。ちょっと卵に水が入ったが…」
着陸した飛竜から公太郎とリュナが駆け寄ると、水球からグリが転げ出るところであった。
「い…痛いとこはないか、グリちゃんー?下が水でもかなりの衝撃だったろうー?」
墜落の瞬間を見ていた公太郎が恐る恐るグリの様子をケガがないかと確かめる。プールに飛び込んだ経験のある者ならわかるだろうが、柔らかい水にでも落ち方によっては超痛い。聞いた話では3階から…およそ9メートルの高さから水面に着地すると、コンクリートにぶつかったのと同等となるそうだ。
そして、グリが落ちたのは、言うまでもなく3階からどころの話ではない。
「大丈夫だ。助かったぞハムタロ、礼を言う」
しかしグリは「何でもない」と手を上げながらすぐに立ち上がると、水球に体ごと腕を突っ込み、同じく落下した飛竜を力任せに引っ張りだした。
「ギャーース!!」
「…すまん、グリが迂闊であった。貴様の翼、痛かったであろう。…許せ」
激痛に背を丸める飛竜へ、グリがそっと手を添えながら頭を下げる。
「ハムタロ、飛竜に回復魔法をかけてやってくれないか」
「ああー、もちろんだー」
公太郎が回復を施すと、出血はすぐに止まり、飛竜の顔から険が取れていく。
「ちぎれた翼の先はどこだー?あれが無いと…」
LV1回復魔法では切断された翼の再生まではできない。人間で言うなら肘から先が吹き飛んだようなものだ。だがそれでも切れた先があれば、くっつけることはできるかもしれない。
「ダメよ、ハムタロ。不用意に近づかないで」
地面に落ちたはずの翼を探そうとした公太郎の腕をリュナがつかんだ。
「その光、今より広がるかもしれない。危険だわ。アタシの後ろにいなさい」
「リュナー…。だけどこのままだと飛竜がー」
「残念だけど、翼は粉みじんになってた。こんな風に」
リュナは足元に転がった石を拾うと無造作に投げた。刹那、パキッ!!と小さな音とともに光に触れた石が切り刻まれ、砂粒になって中空に消えてしまう。
「ひぇっー。こ…こええー…」
まるで原子まで分解するような凶暴な光に公太郎が腰砕けになりそうになった。
「エレハイムの結界だ。まさかこれほどとはな」
一方、グリは恐怖などどこ吹く風で、すれすれまで近づき、観察をはじめる。
「ハムタロ、見ろ。光の内側を。異様であろう」
「内側ー?」
グリの指摘に、改めて公太郎が光へと目をやると、なにが異様なのかはすぐに理解できた。
────濡れてないぞ、この地面…
雷鳴とどろく嵐の中、公太郎たちの足元はぬかるんで水たまりがちょっとした川のようになってるのに、光の内側はカラッと乾いている。
一つのおかしさに気がつくと、次に公太郎は先ほどから顔に霧吹きで絶え間なく水をかけられているような感触が気になった。強い雨がレインコートに弾けて、かかってきているものだと思っていたが、どうもそうではない。それに、さっきから小さな音がする。パパパパっという雨とは別のなにかの音が。
「…この音…なんの音だろうー?」
「結界が雨を弾く音だ。この光は結界が光ってるのではない。結界に弾かれた水が、雷を反射しているのだ」
「…なるほど、そういうことかー」
グリの説明に、考えてみればそりゃそうだと公太郎は納得した。石を瞬時に細切れにする結界なら雨だって弾くだろう。言わばこれは大きな屋根なのだ。
「この結界があればこそ、エレハイムはああして魔界でのん気に座っていることができる。辺りの魔物など、結界に触れてしまえば肉片も残らんだろうからな。見るがいい、グリたちのことなど目にも入らないといった風ではないか」
「えっ!?エレハイムさんがいるのー?」
言いながら公太郎が目を凝らすと、結界の弾く水煙で判然としないが、確かに光の先に誰かがいることはすぐにわかった。グリの言う通り、人と思われるシルエットが大きな石に腰かけている。普通に考えればそれが件のエレハイムなのだろうが、天候のせいで暗いのと、ここからだと50メートルくらいの距離はあるため顔まではわからない。
「よく見えないが、あれがエレハイムさんかー。これだけの結界魔法となると、やっぱ相当な魔法使いってことだなんだろうなー。あそこでなにしてるかは知らんがー」
「…魔法?ハムタロ、そうではない。この結界は魔法などではないぞ」
「んー?どういうことー?」
結界が魔法でないならなんだというのか。グリの言う意味がわからず聞き返した公太郎に、しかし応えたのはリュナであった。
「こういうことよ。おいで、戦斧!!」
リュナが中空から愛用の戦斧を喚び出し、軽々と肩に担いだまま結界の前に立つ。そこからしばらくの間、リュナは機をうかがうように黙って微動だにしなかった。
「………フゥッ!!」
吐きだした短い息とともにリュナが雷光を超える速度で腕を横薙ぎに一閃する。公太郎は瞬間、斬りかかった戦斧と結界の衝突で凄まじい反発が起こるのではと身構えた。飛竜の翼や投げられた石がそうなったように、あるいは戦斧が切り刻まれるのではないか、というように。
だが、戦斧の刃は意外なほどあっさりと、ほとんど音もなく、結界の光をを素通りした。リュナもまた事も無げに戦斧を片手で回転させ、刃を上向きにして公太郎へ差しだす。
「ハムタロにも見えるかしら。これが結界の正体なんだけど」
「正体ー…」
リュナの口ぶりから察するに、戦斧になにかが付着しているらしい。
「…なんだ、なんか付いてるのかー?うーん、暗いしよくわからないなー…」
「なんなら指で触れてみてもいいけど、髪の毛よ」
「かみのけー?」
注意深くまじまじと見つめると、なるほどたしかに刃に細いものが数本巻き付いている。言われなければおよそわからない、絹糸を極限までほどいたような繊細な繊維だ。
「……ちょ、ちょっと待ってくれー。これ…髪の毛なのかー?この細いのがー?…一応、聞くけど…誰のー?」
「エレハイム。彼女、髪の毛を自分の周りに張り巡らして、近づくものをぶった斬ってるんだわ」
「ま、まじかー」
公太郎は絶句した。髪の毛が結界の正体だとか、髪の毛で雨すら斬り落としてるとか、髪の毛だから魔法でなく物理現象なのかとか、髪の毛を操ってるならやっぱ魔法だろとか、いろいろ思うところはあるが、そういう事柄の前に、まずその長さに。くどいようだが、エレハイムまでここからどう見ても50メートルはある。しかも結界は半球に覆われてるのだから、直線距離で測れるものじゃない。
エレハイムはただの人間ではないとはグリの弁だったが、なるほど只者ではなさそうだ。
「さあハムタロ、行きましょ」
思考に固まってしまった公太郎をリュナが促した。
「アタシが切ったとこは、髪がないからもう安全よ。ご自慢の結界が破られた顔、存分に拝んであげましょう」
TIPS:グリは空から墜落したとて卵の防御力で無傷であったろうが、飛竜は間違いなく無事では済まなかった。ゆえにグリの「助かった」は飛竜の命のことを指している。




