謎の女 3
まだ5月なのにすでに暑い。
1か月後にはいよいよ習近平も心待ちにしている、サッカーW杯がはじまる。
本当にやるの?という世界情勢ではあるものの、毎日サッカーが観られるのは楽しみだ。
…テレビでやるよね?
「うおおおおー」
眼下に広がる一面の白い世界に公太郎は歓声を上げた。
「雨の日に飛ぶのもわるくないでしょう?」
前に座って飛竜を操るリュナが肩越しに片目をつぶってみせる。てっきり雨の中を進むのだと思っていたが、リュナが華麗に手綱を捌くと、二人を乗せた飛竜は離陸と共に一気に加速し、分厚い雲を突き抜け、上空へと舞い上がっていた。
「こんな景色、紅の豚でしか見たことないー」
「…紅の、なんですって?」
公太郎から出た感想に、リュナが少々怪訝な顔をする。だがリュナには悪いが、この時の公太郎は名作映画のあらましを説明する気にはなれなかった。目の前の光景に、心をわしづかみにされていたからだ。
空は晴れて明るく、どこまでも透き通るような青さで、雲一つない。当たり前だ、雲なら下にあるのだから。地上から見上げた鈍重な灰色の雨雲は、上空では一転、新雪のように日の光にきらめいている。そんな白い雲の絨毯が、見渡すばかり、まるで降りて歩けそうなほど、どこまでも続いていた。
青と白の透明感のある二色で彩られた単純な世界は、どこか存在感が希薄で、時間すら静止してるようだ。空気を切って進んでいるはずなのに、飛竜が翼をはためかす音や、顔にあたる風が無ければ、その場に浮遊しているみたいな感覚さえする。
とはいっても空なら地球にだって存在するわけで…公太郎自身は経験が無いが、別に異世界でなくとも飛行機に乗る人であれば、同じ景色を目にしたことがあるだろう。だが、飛竜にまたがり、むき出しの生身で体感する世界は、飛行機の窓ごしに見るそれとは押し寄せる雄大さが比べものにならない。
「あっ…とー。リュナ、すまないー」
無意識のうちに公太郎は、リュナの腰に回した手に必要以上の力が入っていることに気がついた。神秘的で神聖さすら思わせる空の広さであったが、それゆえに自分の存在がちっぽけで頼りなく感じられ、知らず知らずの内に寄る辺を求めてしがみついていたらしい。
「いいのよ、そのままで」
公太郎の離れる気配を察し、リュナが前を向いたまま応える。
「でもー」
「この高度だと、さすがにアタシも寒いわ。だからもっとくっついて温めて。アタシが凍えてしまわないように」
たしかに、こんなに明るく日が差していても、防風のために風魔法で全身を包んでいても、上空の気温は吐く息が白くなるほど低く、寒い。それはリュナも同じのようで、時折、震えるように身じろいだりしている。…まあ彼女の場合は服が服なので、さもありなんというところかもしれないが。
しかしながら、リュナの背中に胸をつける公太郎は、存外、凍えるというほどではなかった。もちろん空気は氷水のように冷たいのだが、腕の中にあるリュナの体がとても温かく、その温度差がむしろ心地よい。
「…なんか寝ちゃいそうかもー…」
「空気が薄いからかしら。いいわ、寝てなさい。着いたら起こしてあげる」
「わるいー…」
やってきた睡魔の要因は、上空の酸素濃度の低さゆえではなく、リュナの体温の気持ちよさのおかげだ。だが眠気はどうにも抗いがたく、公太郎は言葉に甘えてリュナの背中に身を預けることにした。
────…なにやってんの、あれ。
まぶたが落ちる寸前、公太郎の視界に入ったのは、こちらと並走して飛行するもう1体の飛竜…の上で一人サーフインをするようなポーズをとっているグリだった。どうやってるのかはわからないが、グリは手綱などには目もくれず、飛竜を意のままに自在に操ってみせている。
出発直前にもたらされたガレラの不調に際し、急遽イリスは同行を取りやめた。しかし現在、魔王イリス陣営には飛竜を操れるのがイリスとリュナの二人しかいない。よって、操者不在のため1体の飛竜に全員で…という話になりかけたが、グリが強硬に「大丈夫」と言いはったのがおよそ10分前。若干の不安が無かったわけではないが、グリは言いだした通り見事に乗りこなしてみせていた。
それどころかグリは飛竜の上であぐらをかいたり、体育座りをしてみたり、バレリーナのように回転したり、逆立ちしたり、横になってくつろいでみたりとせわしなく、それでいて公太郎たちに高度や速度をぴったり同期させるという、離れ業すら披露している。
別に本人はふざけているつもりなどではなく、単に自分なりの操縦位置、車でいう運転席のドライビングポジション的な何かがしっくりこないだけなのだろうが、未だ飛竜の操縦がちっとも上達しないイリスが見たら卒倒しそうな余裕っぷりだ。天賦の才と言ってもいい。
…まあ、考えてみればグリは竜なわけで、なるほど、種族に連なる飛竜の扱いなど、お茶の子さいさいということだろう。
────イリスには黙っとこ。
そう心に決めて、公太郎は穏やかな眠りについた。
「…ムタロ、…ハムタロ」
「ん…んんー」
リュナの呼び声が公太郎を眠りの底から引き戻す。
なんだか寝たと思ったらすぐに起こされた気がする。体感時間は5分程度しかない。
────もう…着いたのか…?
公太郎は重たいまぶたを何とか開けて周囲を見た。景色は寝る前と変わらぬ一面の雲の上、まだ上空である。
だが同じ上空といっても、様相はそれなりの変化があった。吹き抜ける風がかなり強くなって雲はところどころ山のように高く盛り上がり、内側よりゴロゴロと不穏な音が聞こえてくる。傍目の色は眠る前と変わらず雪のように真っ白なのに、これが雷雲であるならば下の天気はかなり悪化してることだろう。
どうやら、自分としては通勤電車を2駅くらい居眠りした感覚だが、それなりの時間は経っているみたいだ。東の空に見えていた太陽の角度がずいぶんと高い。よほどリュナの背中が心地よく、熟睡してたようだ。
「めっちゃ寝てたみたいだー。すまない、重かっただろうー?」
「いいえ、きっと疲れてたのね。なんだか起こすのが、かわいそうになるくらいよく寝てたわ」
「そんなにかー」
公太郎はあられもない姿であったであろう自分が恥ずかしく、なんとなく指で鼻の頭をかいた。この世界に来てからというもの、夜は早々に寝るという健康的な生活を送っているが、毎日が充実してる分、疲労は溜まっているのは間違いない。
「それより、ここなのー?雲で地上が全然見えないけどー」
「場所はこのあたりよ。エレハイムが移動してなければ近くにいるはず。でも、こんな雷雨の中で同じところに留まってるかしら?」
「どうだろうー…」
もっともすぎるリュナの意見に公太郎は顎を撫でつけた。エレハイムは全裸の若い人間の女性らしいので、正直かなり興味深いというか心の浮き立つ部分がある。が、もしも本当にいるとすれば、魔界で裸で雷雨の下に座ってるわけで、ちょっとしたホラーのような気がしなくもない。
「ハムタロ、大変だ!!」
「グリちゃんー?」
アメコミのヒーローのごとく腰に手をあて大股で立ち、全然大変でなさそうなグリが飛竜を寄せてきた。
「飛竜がグリの言うことをまったく聞かん。反抗期になってしまったようだ」
「…??ちゃんと操れてるように見えるけどー」
「そうでもない。さっきからグリが雲の中に進めと言っても、かたくなに拒否をする。見ておれ」
指を雲に向けグリが「さあ、行け」と命じるも、飛竜は慄くように嘶いただけで、その場に滞空している。
「この通りだ」
グリはお手上げとばかりに飛竜の背中へ腰を下ろし、足を投げ出す。
「うーんー?」
公太郎はそんなグリの飛竜が、何かを訴えかけるような涙目になってることに気がついた。
「心なしか…飛竜が怖がってるように見えるんだがー」
「雷を怖がってるのよ。この雷雲に入ったら、上下左右…どこから雷が飛んでくるかわかったもんじゃない。飛竜たちも本能でわかってるんだわ」
「雷かー」
リュナの話に公太郎はなるほどとうなずいた。そりゃあ、誰だって好き好んで雷雲に突っ込みたくはない。地球の歴史を振り返ってみても、落雷で飛行機が事故を起こしたケースはあるわけで、雷雲の中を行くってのは、かなりの危険性があるってことだ。……ってか、今からやるの?それ?
「雷など我慢できんのか?グリはできるぞ?この程度の雷、勇者ナユタの轟雷撃に比べれば大したことあるまい」
もどかしそうにグリが飛竜の頭をぺしぺしするも、飛竜は「クエーッ!!」と高く鳴いて拒絶を表明する。
「…ダメそうだな。見かけによらず繊細なやつだ」
「そりゃそうだろー。無理強いは良くないー」
「無論だ。グリは寛大だから、今日のところはそれでよかろう。だが、できないことをいつまでもそのままにするつもりはない。仮にも竜を名に冠する者が雷など恐れてどうする。飛竜は帰ったら特訓だ!!」
高らかなグリの宣言に、公太郎たちの方の飛竜までもが悲し気な声をあげた。
「…だけど困ったわね」
「リュナー?」
グリと飛竜のやり取りを気に留めず、リュナが難しい顔でつぶやく。
「この雲、しばらく晴れそうにないわ。飛竜だってずっと飛び続けられるわけじゃないし」
リュナは手綱をさばいて辺りを旋回してみるも、付近に雲の切れ間は見当たらない。
「どうする、ハムタロ?せっかく来たんだし、このまま行くなら、雷はアタシがなんとかしてあげる。飛竜は嫌がるだろうけど、アンタはアタシが必ず守るわ。…もちろん、引き返してもいいけれど」
「なんとかって…雷を、どうするんだー?」
「叩き落とすのよ。アタシの戦斧で」
何もない中空にかざした手から、リュナは大型の戦斧を取り出し、こともなげに言い放つ。
「うーむー…」
唸りながら公太郎は額を押さえた。
雷を叩き落とす…文字列で見ると普通なら意味不明だが、それ自体はリュナならまあ可能なんだろう。事実、勇者ナユタとの戦いでもやってたし。
ただその場合であっても、グリの方までは手が回らないはずだ。より正確には手が回らないというか、飛行中の飛竜は翼を広げてるわけで、衝突しないように飛ぶ二頭の距離は物理的に手が届く範囲にはない。
そうなるとやはり、グリの方はノーガードとなるわけで、落雷した際、グリは耐えられるにしても、飛竜はかなり厳しいはずだ。少なくとも、まともに飛んではいられないだろう。
いかな竜のグリであっても、さすがにこの高度から落下すれば無事というわけには……グリだし、もしかしたら、いうわけにいくのかもしれないが、いかんせん飛竜がかわいそうだ。
…などと考えていたら、涙目の飛竜と目が合った。どうやら、飛竜は人語を解するらしい。…となると、なおさら気が引ける。
「心配するなー、無茶なことはしないさー」
公太郎は飛竜に向けて、安心するようにと手を上げた。
だが。
────なんか…できること、対策があるような気がするんだよな…
具体的なものが頭にあるわけではないが、何かができそうな、不確かだが予感がある。
それに…リュナの言う通り、ここで引き返すのも、至極まっとうな手ではあるが、「ここまで来て」という気持ちがやはりある。単に帰ってしまえば、空を飛びながらリュナの背中で寝ただけの一日だ。せめてエレハイムがいるかどうかだけでも確認したい。
────雷、雷、雷、雷…
雷というキーワードをもとに公太郎の頭に浮かんだのは、やはり勇者ナユタとの戦闘の記憶だった。
────ナユタの轟雷撃には散々苦しめられたなぁ…
傷ついたイリスを思うと、苦い記憶だ。あの時は即席の避雷針で雷を地面に流して捌いたが、こんな空の上では同じ手は使えない。避雷針を作っても、雷を逃がす先がないからだ。
それでも、自分の「何かできそう」という予感の種は、この辺りの思い出に根を張ってる気がする。
────あの時…避雷針は、どうやって作った?変哲のない鉄剣を召喚して、地面に刺して、プラスの電荷を………電荷………電……?
「電荷だー!!」
突如、指を鳴らした公太郎に、リュナとグリがあっけにとられた。
「デン…カ……って、急に…何?何のこと?」
「電荷は電気の種類のことだよー。電気ってのはプラスとマイナスの二種類があって、違うもの同士が磁石みたいに引き合う性質を…」
「…電気に、種類?」
「あ、いやー…そのー」
閃いた名案にテンションが上がった公太郎だったが、リュナのきょとんとした顔にすぐさま冷静さを取り戻す。魔法が幅を利かすこの世界では、科学は相対的に発展していない。もっと伝わるように言わなければ。
でも。
────…えーと、えーと…どうしよう…
子供にもわかるよう、1から説明したほうがいいだろうか。…当の自分もせいぜい高校レベルの科学しか知らないのに。そんなザマで、聞きかじっただけのニワカ知識を、上から偉そうにご高説賜ってよいものだろうか。よくある現代知識で無双しますなんて、自分にはとてもできそうにはない。なんだかこの世界の人々を「お前たちは未開人だ」とでも小馬鹿にするみたいで、ひどく薄っぺらくて恥ずかしくなってくる。
単純に、文明の発達する方向が違うだけなのだ。未開だなんてとんでもない。だってイリスが扱う転移魔法ひとつとっても、地球じゃおそらく100年先だって同じことをできやしないのだから。
だが。
「ふーん、電気に種類なんかあるんだ。イリスも前に言ってたけど、ハムタロはいろんなことを知ってるのね」
公太郎の複雑な思いとはよそに、リュナは特に気にする様子もなく、素直に感心してくれた。
「お、俺の世界は、魔法を使える人がいないからー、代わりにそういったことを調べて力にしてるんだよー。つっても、正直…俺自身は詳しくないんだがー…」
「…それで、そのデンカでどうするの?何か思いついたんでしょ?」
「あ、ああー。雷魔法を使おうと思うー」
公太郎は立てた指先に雷魔法LV1を展開する。ぱちぱちッと弾けるような音を立てて、小さな雷球が生まれた。
「雷球は、雲の中の雷と同じ種類の電気で作った、言わばちっちゃな雷の塊さー。この魔法で皆を包めば、安全に進めるようになるんだー」
言うや否や、公太郎は雷球を薄く広げ、飛竜まで含めた全員を内へと包み込む。
────理論上は、いけるはずだ。…理論上は。
そう己に言い聞かせつつ、公太郎は知らずと唇を舐めた。
落雷はマイナス電荷の雷がプラスの方向へ流れる現象だ。ならば自分自身が雷となってしまえば起こりえないことになる。もっとも、ナユタの轟雷撃のような、殺意と指向性を帯びた超高電圧には無意味だろうが、自然現象の無作為な雷であれば、LV1雷魔法でも十分凌げるだろう。
……たぶん。
…まあ最悪、失敗したら…やっぱりリュナに叩き落としてもらえばいいや。
TIPS:倒れたガレラにはイリスとラピルとゼナで対応している。




