謎の女 2
GWが終わってしまう。
ここから7月まで祝日がないわけだが、やはりそれは少し寂しくないだろうか。
そこでひとつ提案がある。
6月15日を祝日とするのはどうだろう。
何の日か…などとは言うまでもない。
習近平の誕生日である。
翌朝は雨だった。
夜半に降り出したことは、寝床で夢現だった公太郎も音でわかっていたが、日が昇って各人がそれぞれの仕事に就く時間となってもしとしとと降り続き、あたりを薄暗い灰色に染めている。
それほど強くはない。が、空を覆った雲の厚さからすれば、しばらく止む気配はなさそうだ。
「気流の速さから計算すると、明日には晴でございましょう」
団地から徒歩で3分ほどの何もない場所で、メイド姿のラピルが、差した傘に公太郎を入れながら、天気の行く末を教えてくれる。
「雨が降る…なんて、そういえば考えもしなかったよー。こんな日でも飛竜って飛べるんだろうかー?」
言いながら、バカみたいな質問だと公太郎は思った。少し離れた先では雨避けのフードをかぶったイリスとリュナが飛竜の飛行準備を進めてくれている。飛べないのであれば、そんなことをする必要もない。
「おすすめはいたしかねます」
ラピルが律義に答えながら、右の手の平を傘の外にそっと差しだす。いつもであれば白のレースの手袋をしているが、今日は雨のためか外してあり、素肌に水滴がはじけた。
「雨足は強くありませんが、粒がしっかりとして重量がございます。飛竜の速度でこれにあたるとなると、かなりの痛みを伴うでしょう。わたくしども魔族であれば、体の強度が高いため問題もございませんが、ハムタロ様は人の身ですから」
「目は開けてられそうにないなー」
飛竜の速度は体感の時速でおよそ100キロ前後。グリモアの塒へ向かった時と同様、LV1風魔法で頭を保護するつもりではあるが、相対速度の上がった雨粒の衝撃を防げるだろうか。バイクのフルフェイスメットでも欲しいところだ。
もしくは、いっそグリのように卵の殻に包まれるとか。まあ、あれはあれで卵の中に水が入って溜まったら大変そうではあるけれど。
…そういえば一緒に行くと言っていたはずのグリは、まだこの場に姿を見せていない。
「────心配しなくてもいいわ。アタシが前で盾になって守るから」
公太郎が空模様を見上げていると、飛竜の準備を終えたリュナが、会話を聞きつけてやってきた。雨除けのフードをかぶる関係で、リュナはいつものツインテールではなく、うなじから三つ編みでひとまとめにしている。
「…何?」
公太郎の視線を感じ、リュナが落ち着かない様子で自分の前髪をつまんだ。
「いや、いつもと髪型が違うなーと思っただけー」
「…雨だからよ。イヤだわ、雨って。髪は湿気って重たくなるし、前髪も全然キマらないから。恥ずかしいし、あまり見ないで」
リュナはわずかにうつむいて、フードで顔を隠そうとした。とはいえ、全体的な髪型はともかく、彼女の前髪は公太郎からすれば普段とどこが違うのかまったくわからないのだが、その辺に独自の謎めいたこだわりがあるのはどこの世界でも同じらしい。
「リュナはいつだってキレイだよー」
────だって昨日と何がどう違うかわからないし。
…などという心の声は表に出さず、公太郎はとりあえずフォローした。
「ハムタロ様のおっしゃる通りでございます」
すかさずラピルも同調する。が、全てを数字で把握するラピルも、具体的な違いには言及を避けた。もしかしたら彼女にすらわからなかったのかもしれない。
「…なんか、気を使わせてしまったみたいね。ありがとう、二人とも。それにラピル、アンタの作ってくれたこのコート、いい感じね。アタシの期待通りのデキだわ」
「まぁ…恐れ入ります」
バサッというやや重たげな音を立ててリュナがコートを満足げに広げてみせると、ラピルが楚々と頭を下げる。
「リュナのレインコート、ラピルさんが作ったんだー…」
「左様でございます。本日は雨模様ですから、昨晩に」
「ひ、一晩でー?はは…そりゃすげーやー」
リュナが頭からすっぽりかぶったコートはフードまで含めて肉厚の皮製だ。たしかに水をよく弾く良品だが、とても明日が雨だから作ろうなんて気軽な代物には見えない。
しかし、それよりも。
「なんか…妙に大きくないー?」
別にラピルが夜なべして作ってくれたであろう逸品に文句などないし、チャチャをはさむつもりもない。けれど単純な疑問として、リュナのコートは公太郎にはどうもオーバーサイズに見えた。それは遠くでまだ飛竜の準備に奔走しているイリスのものと比べてもかなり大きく、丈が長い。
「二人で入るからよ。アタシがそうしてって頼んだの。ほら、背中の覆いの下に穴が開いてるでしょ?ここからハムタロが頭を通せるように」
「特注品でございます」
どうやら、早い話が二人羽織にして使うコートのようだ。
「雨の日の空は寒いから、くっつかないと凍えてしまうわ。…心配しなくても、今日はアタシ、生地の多い服だから呪熱だって平気よ」
リュナがコートの前を開くと、ところどころ金糸で花の刺繍の入った、シルクの赤いドレスに包まれた肢体が現れた。刹那、公太郎の息が止まる。
────なんてかっこうしてんだ…
公太郎は途端に目のやり場に困り、あわてて視線をそらした。
リュナのそれは、ドレスといっても横にスリットのあるチャイナドレスのようなシルエットだ。それはたしかに言う通り、なるほど、日ごろのビキニアーマーやスリングショットに比べれば、布面積はかなり常識的だった。
だがチャイナドレスのような…といっても、胸元はこれ見よがしに大胆に開いており、谷間は惜しげもなく丸見えで、むしろ豊満さと柔らかさは強調され、雄弁に主張している。
下半身にしても、腰あたりまで危険なほど切れ込んだスリットからちらちらとのぞかせる太ももが、あるいは直垂に鼠径部の落とした陰影が、おそらく歴史上、数々の芸術家や名工たちが、それを表現するためにどれほど悩み、苦心しただろうかという妖艶でたおやかな曲線を、いともあっさりと描いていた。
…だが、むしろ公太郎がヤバいと思ったのは、見えてるものよりも、見えてないものだ。スリットは腰まで来ているのに、素肌は見え隠れしてるのに、そこに当然あるはずの下着のラインの気配がない。
────履いてないんじゃあないか…
脳内に導き出された下品な答えを、公太郎は頭を振って追い出そうとした。
しかしながら、かといって、リュナの恰好はなにも奔放だけ…というわけではない。喉の詰襟、袖のしぼり、腰に巻かれた止め布は、キチッと締まって秩序があり、このままフォーマルな場に出てもギリギリ許されるような「正式さ」を印象付ける。
この相反する要素を内包した、矛盾に満ちた装いが、互いの個性をより鋭敏にしており、性的でありつつ上品でもあり、なんというか…もう、腰にくる。
「ねぇ、ラピル。この服、やっぱりちょっと地味じゃないかしら?」
公太郎の反応を横目で見ながら、リュナは腰に手をやると、怪訝そうに尋ねた。
「まぁ…。とてもお似合いでございます」
「…そうかしら。ハムタロはあまり気に入らないようだけど」
「わたくしの計算によりますと、ハムタロ様は照れておられるのです。決してご不満などではございません。むしろ、リュナ様の美しさを前に、どうしていいのかわからないのかと」
「そうなの?」
リュナとラピルの探るような視線が自分へと向けられ、公太郎は一層恥ずかしくなり、黙り込む。
次の瞬間、バサリと音がしたかと思うと、公太郎の視界が真っ暗になった。
「お、おいー!?」
頭や肩に感じる布状の重さに、リュナにコートをかけられたことはすぐに気がついた。鼻腔をくすぐる甘い香りは、昨晩、床に就いた時に包まれたものと同じだ。
「ほら、ここに頭を通して。ここよ。…そう」
幼児が服を着せられるように、もがく公太郎が声に導かれてコートの穴に首を通すと、至近距離でリュナと目が合った。同じコートを羽織れば顔が近くなるなど、考えてみれば当たり前のことなのだが、これほどとはリュナも思っていなかったらしく、両者ともに期せずして顔を伏せてしまう。
「…アタシやっぱり、雨の日が好きかも。アンタとこうしていられるから」
まつ毛を揺らし、頬を主に染めたリュナが、少々ぎこちない手つきで公太郎の頭にフードをかける。普段の強気な彼女が見せる儚げな仕草に、公太郎は心臓がはねつつも、たまらなく照れ臭くなってしまった。
「コ…コートは飛竜に乗ってからでいいよー。歩きにくいだろー?」
「ダメよ。濡れたら風邪をひくわ」
だが、公太郎の無粋な照れ隠しなど、この状況ではなんの意味も持たない。間近で、どこかいたずらっぽく笑うリュナの瞳は熱に濡れ、公太郎は自分でも驚くほど自然に、彼女の括れた腰を抱き寄せていた。
────ダメだ。呪熱が…
頭の奥で警告が鳴り響いているのは気がついている。だというのに、公太郎は吸い寄せられるようにリュナの艶めく唇へと────
「────ええっ!!?」
響いた驚きの声に、ハッとした公太郎とリュナが、すんでのところで動きを止める。イリスの声だ。公太郎が弾かれるように振り向くと、いつの間にだろう、グリがやってきており、イリスとなにやら深刻そうに話しこんでいる。
「ここからではよく見えませんが、イリス様のお口の動きから計算しますと…」
普段の、静かな湖面にたたえるような微笑を消し去ったラピルが、目を細めながら真面目な声でつぶやいた。
「ガレラ様が…ドンズ様の奥様が、倒れられたご様子です」
TIPS:実はグリモアの資産をもってすれば、公太郎は召喚魔法によって地球へ帰ることができる。そこに彼自身も内心では気づいているが、帰るつもりはない。




