第34話 げっとのハンカチ
あまり頻繁に書くのは不自然だ。それに、おばあちゃんの話にしようと思ったものの、私、それほどおばあちゃんに詳しくない。下手なことを書くとお父さんは怪しむに違いない。キャラが増えるとその関係性が論理破綻する確率も増えると、どこかの素人作家が言っていた。となると私の記憶にある思い出。そうだ。あれを書いてみよう。
§ タツ
天国でもね、運動しないと太っちゃうって言って、せっせと走ってる人がいるのよ。そんな訳ないと思うんだけど、その人はね、運動会でもないと張り合いがなくて続かないとか嘆いているの。今のところ、誰も賛成しないんだけどね。それで思い出したの。倉良の運動会。小学二年生だっけ、洗濯もの干し競争に出たのは。私、あれで倉良が真っ直ぐに育ってくれてるって判って、嬉しかったのよ。ゴールの時のこと、今でも思い出すと涙が出ちゃう…
§
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約十年前のこと、酒向倉良は小学校の秋の大運動会で二年一組代表として洗濯もの干し競争に出場していた。世間では聞かないマイナーな競技だ。スタートして少し走ると、借り物競争のように折り畳んだ紙が置いてある。そこに書かれたモノを、その先にある洗濯物カゴから探し出し、ゴールの手前の物干し竿に干すと言うものだ。洗濯ものを干したことのない子どもには不利なのだが、競技を通して家事も覚えて欲しいとの狙いがあった。
倉良は緊張しながらスタート地点で構える。この日に備えて家で洗濯ものを干す練習を重ねたのだが、果たして同じように出来るだろうか。
「よーい パーン!」
号砲が鳴った。8歳児四人がわちゃわちゃ走って、ますは紙を拾う。倉良が手にした紙には『ハンカチ』と書いてあった。
よかった、知ってるやつで…
確かにキャミソールだのトランクスだの言われても判らない子どもはいるだろう。倉良はほっとして、洗濯カゴに取りついた。既に二人がカゴの中の大量の洗濯ものを引っ搔き回している。
ハンカチ、ハンカチ…。倉良もカゴに手を突っ込んで探す。どれもが白い色なので区別がつきにくかった。
「パンツみっけ~」
知らない子が手に取ったものを高く翳す。
「それ、ちがうよー」
「あれー なんだぁー」
隣の子に囃され、知らない子は手に取ったものを放り投げた。
あ! それ、ハンカチ!
倉良は目ざとく識別し、地面に放り投げられた洗濯ものに駈け寄った。
その時である。一陣の風が校庭を吹き抜け、そのハンカチをひらりと飛ばした。倉良はハンカチを追いかける。風に舞った白いハンカチは児童たちの席の方へ飛んで行った。五年生の席である。まだ二年生の倉良は少しビビったが、しかし、
「すみません。ハンカチ取らしてください」
と礼儀正しく言って五年生の席に分け入ろうとした。五年生の反応は様々だった。
「じゃまー、前が見えんやろうが」
「ハンカチ、どっかに飛んで行ったぞ」
「ここには来とらん。もっと後ろやろ」
男子は小さな二年生女子を鬱陶しがる。女子の反応は少し違った。
「どこに落ちたか判らんからこれ、代わりに持って行き!」
「そうそう、誰も判らんよ!」
「えっと、でも…」
倉良は五年生女子に差し出されたハンカチを断れず、手に握りながら、椅子の下を覗き込んで懸命に白いハンカチを探した。物干し台では他の子たちがそれぞれの洗濯ものを干し始めている。
あった!
最後列の一つ前、誰も座っていない椅子の座面に白いハンカチは引っ掛かっていた。
「すみません」
席の間に入ろうとした倉良を見かねて、一人の女子がそのハンカチを拾って渡してくれた。
「ありがとうございました」
倉良は先に手渡されたハンカチを返し、律儀に頭を下げて、物干し台に向かって走る。他の児童は既にゴールに向かって駈けている。倉良は白いハンカチを懸命に物干し台のピンチに挟んだ。涙が出た。
手で目を擦りながら、もう誰もいないコースを走って倉良は最後にゴールした。
「げっとやん」 注)最下位の意味
倉良のクラスの男子は囃し立てた。倉良は涙を拭きながら、何も言わず、四番目の列に立ち尽くした。
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倉良は今でもその各シーンを鮮明に覚えている。そして運動会の帰り道にお母さんがお父さんに話した言葉。
「倉良って名前の通りやったね。げっとでもなーんつかえん(全然構わない)。私が名前を付けただけのこと、あるでしょ?」
そして倉良の手をぎゅっと握ってくれたのだ。今も蘇るその感触。そうか。あまり深く考えなかった名前の意味だったが桜子の言った通りだったんだ。真っ直ぐな心を持つように。そんな願いを込めて、お母さんがくれた名前だった。キラネームなんかじゃなかった。
§
タツ、たぶん、倉良はこのまま大きくなるよ。ブレたりしない。名前の通り、きれいな心を持ってくれる。それで、いつか富山に帰って来てくれたら嬉しいな。このインク色の故郷へ。このインク、素敵な色でしょ。高校の頃の色と一番よく似た色を天国で選んでみたらこれだった。“ゆきあかり”って名前なんだよ。立山の雪の色だから。じゃ、また書くね。愛してる ♡
§
倉良は自分の思いを母の言葉に託して書いた。 お母さん、私、富山に帰りたい。 隠れていたその思いを、”ゆきあかり”がそっと照らしてくれたのだった。




