第2話 魔界の入口
地下鉄を二本乗継いで、いつもの駅で降り、馴染みの路地を歩いて母娘は新しい住まいに到着した。母にとっては実家。しかし綴にとっては魔界の入口。綴は二階建ての日本家屋を前に深呼吸をした。
「ただーいまー」
引き戸を開ける母の言葉がおかしくなっている。これまでおばあちゃんちに来た時はそんな事なかったのに、いよいよここに住まうとなったからなのか、関西イントネーションだ。これもきっと魔界のなせる業なのだろう。
真似できない…
綴は唇を噛んだ。でもそれは仕方ない。だってあたしは浜っ子なんだもん。いきなり京娘には変身出来ないよ。
「こんにちはー、よろしくお願いしまーす」
綴は普段通りに声を出した。暫くして奥の方からごそごそと音がして、
「おかえり。今日は『ただいま』やろ?『こんにちは』やあらしまへんで。綴はん、おおきぃなったなぁ」
祖母が出て来た。ここ、京都市の東山に店を構える『文房具 百花苑』の主人でもある。確か、もう80歳を超えていると言うのに腰はしゃきっとしているし、頭脳も明晰。京都特有と言われる本音が隠れた『お褒めの言葉』もさらっと出る。
だってお正月に会った所なんだから、急に身長が伸びて見える筈はない。これはおばあちゃんの単なる社交辞令だな。
「うん、おばあちゃんも若返ってるよ」
綴は社交辞令を返した。すると祖母・西條 硯の頬が緩み、綴を見上げる。
「綴はん、きばってはるなぁ。そないに気ぃ遣わんでもよろしおすえ。今日から自分の家族やさかいに」
駄目だ、勝ち目ないや。おばあちゃんは創業120年のお店を仕切ってる経営者でもあるのだ。人生経験値がメガほど違う。
「美筆、二階のあんたの部屋、綴はんの部屋にしぃや。勉強の部屋はいるさかいにな」
「うん。でも私も練習する場所が欲しいわ」
「ほならお父さんの部屋、使い。ずうっと放りっぱなしで、掃除もしてへんけどな」
「おおきに、掃除は自分でやるよってに、まずは荷物を解くわ」
「せやな。ほんでその後でご近所さんに挨拶しときぃや。只の出戻りや思われるのも嫌やろ」
母は唇を尖らせる。
「出戻りには違いないねんけどな。旦那が浮気して…とか言われへんもんな。慰謝料幾らもろてはんねやろとか思われんのも嫌やし、こっちで教室やりますねんとか言うとこか」
「もっかい勉強しますとか言うといたらどうや。嘘やないやろ、学校へも行くんやさかい」
「せやな。あっちにはええ学校ありませんねんって言うとこ」
綴の耳はダンボ状態だ。友桐高校の友人たちから散々言われてきた魔界、いや奥深い京都女子のやりとり。生きた教材がここにある。そうか、お父さんの浮気と離婚は禁句なんだ。さすがはおばあちゃん、切り抜け方が巧妙だ。見習わねば。
綴は緊張しながら店の二階にある自宅へ、キャリーケースを運び上げた。




