第27話 雪明
「おいでやす。ええお天気どすな」
店先から硯の声が聞こえた。入って来たのは滝岡さんだ。
「ほんに写生には、ええ塩梅や思うてな。ちっさいスケッチブック、見に来ましてん」
「ちっさいスケッチブックゆうたらA5サイズくらいのでっしゃろか」
「せやせや、折らんでもリュックに入る大きさがよろしねん」
滝岡さんは、案内する硯が後ろ手に持っている小さなパッケージに目を細める。
「それ、なんですのん? 手ぇに持ってはる、ちっさい箱」
硯は振り返って自分の手を見る。
「ああ、これな、万年筆のインクカートリッジですわ。綴が空色ないんかて、難かしことゆうてな、今探してるとこですねん」
「空色て、またかいらしこと言うねんな。ほら、あの何やらゆうシリーズありますやろ。顔彩みたいにいろんな色のある」
硯はポンと手を打った。
「せやせや。あれ、セーラーやな。万年筆て滅多に出ぇへんさかい、忘れてましたわ。おおきに、さすがは滝岡はんやな。まだ残っとったかいな」
硯はいそいそとペンの替芯ショーケースの下の戸棚を物色する。二人の声を聞いて綴も寄って行く。
「いらっしゃいませ、滝岡さん」
「はい、ごきげんさん。綴はん、学校で万年筆使うてはるの?」
「いえ、友だちに頼まれたんです。お母さんの形見の古い万年筆のインクがないから探してって」
「ほう。えらい切ない注文やな。そら応えんわけにはいかしませんな」
戸棚に頭を突っ込んでいる硯からも声が上がった。
「そないな大事な話は先にしよし。気合の入れ方が変わりまっしゃろ!」
滝岡さんが笑った。
「ババアの気合は馬鹿にしたらあかんえ。硯はんは気合入ったら修羅にならはるよってに」
しゅ、修羅って…。でもそれ位じゃなきゃ、おばあちゃん、百花苑を守って来れなかったんだろうな、きっと。
しばらくゴソゴソしていた硯は小さな箱を戸棚から引っ張り出した。
「あったけど、大丈夫やろか。3年前のやさかい、書いてみんと判らへんな。色が変わってしまうことあるよってにな」
言いながら硯が開けた箱には、ぎっしりとインクカートリッジが詰め込まれていた。綴は目を瞠った。
「うわーたくさんある! 宝箱みたい。これなら空色もありそうだー」
滝岡さんも興味津々だ。
「色の名前が凝ってはるなあ。夕燕や蒼天やら書いたるわ」
確かに抽象的な名前ではっきりと色が判らない。顔彩と同じくパッケージの色見本が頼りである。綴はその中の一つを取り出した。
『雪明』
その名前は白銀の世界で遊ぶ、幼い倉良を思い起こさせた。暗くなっても帰って来ない倉良を迎えに行くお母さん。やがて、手を引かれて、後ろを振り返り振り返り嫌々帰る倉良。その視線の先には半月にぼんやり照らされた小さな雪だるまが見えている。その雪粒の一つ一つは月の光をはね返し、きらきらと光っているのだが、遠ざかるにつれ倉良の目には一枚の幻燈のように映ったことだろう。お母さんの手の温もりの記憶のように、ぼんやりと。
その日、綴は綴った。
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倉良用のインクが見つかった。滝岡さんとおばあちゃんのお陰。色は青とか赤じゃなくてカッコいい和風の名前がついている。さすがは京都!(関係ないか) 倉良が欲しがっていた空色に一番近そうなのは、なんと雪明。まずはこれを倉良に届けたい。富山出身の倉良にぴったりの気がするから。でも倉良はお母さんに成りすまして、交換日記を書くって言ってる。自信あるっぽいけど、なーんかすぐに見抜かれそうだなー。だって絶対二人だけしか知らない秘密ってか、暗号みたいなの、ある筈だから。お父さんも騙されたフリしてラブラブの返事書いたりしたら、倉良はどうするのだろう。あやや、なんか恥ずかし。
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