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あなたのためです〜自由は、失って初めてわかる〜  作者: カトーSOS


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第8話 従順

挿絵(By みてみん)


第8話 従順


 翌朝。


 幸子は、

 目を覚ますと同時に理解していた。


 怒ってはいけない。


 感情を出してはいけない。


 帰りたいと強く言ってはいけない。


 そうすると、

 自由が減る。


 昨日、

 それを学んだ。


 白い天井を見ながら、

 幸子は静かに息を吐く。


 施設にはルールがある。


 そのルールの中で、

 “問題のある利用者”

 になると、

 管理が強くなる。


 昨夜、

 自分は縛られた。


 優しい声で。


 笑顔で。


 安全のために。


 だからもう、

 怒ってはいけない。


 ガチャ。


 扉が開く。


「おはようございます、西山さん」


 真帆だった。


 幸子は、

 ゆっくり笑った。


「おはよう」


 真帆が少し驚く。


「今日は顔色いいですね」


「昨日はごめんなさいね」


「え?」


「大きな声出しちゃって」


 真帆は安心したように笑った。


「いえいえ」


「誰でも不安になりますから」


「そうよねぇ」


 幸子は柔らかく言う。


「私もちょっと混乱してたみたい」


 真帆はほっとした顔をした。


 幸子はそれを見て、

 確信する。


 職員は、

 “従順な利用者”

 を求めている。


 穏やかで、

 静かで、

 管理しやすい老人。


 だから、

 そう振る舞えばいい。


 朝食。


 幸子は笑顔で席へ座った。


「今日はお魚ですねぇ」


 真帆が言う。


「鮭好きなの」


「そうなんですか!」


「昔、浩介のお弁当にもよく入れてたのよ」


「優しいお母さんですねぇ」


 幸子は笑う。


 内心では、

 何も笑っていなかった。


 食堂を観察する。


 職員配置。


 玄関方向。


 鍵。


 ナースステーション。


 誰がいつ動くか。


 昨日までは見えていなかったものが、

 急に見えるようになる。


 朝九時、

 夜勤職員が帰る。


 十時、

 入浴介助。


 十一時、

 薬。


 十二時、

 昼食。


 玄関付近に職員が少ない時間。


 自動ドアの解除タイミング。


 全部、

 頭へ入れていく。


 幸子は、

 自分でも驚いていた。


 まるで、

 脱獄を考えているみたいだった。


 午前中。


 レクリエーション室。


「今日はみんなで歌を歌いましょう!」


 若い職員が手を叩く。


 童謡のCD。


 歌詞カード。


 利用者たちが笑う。


 幸子も笑った。


「西山さんも歌いましょう!」


「そうねぇ」


 幸子は歌う。


「うみは ひろいな

 おおきいな――」


 周囲の老人たちは、

 本当に楽しそうだった。


 笑っている。


 手拍子している。


 幸子はその顔を見ながら、

 ふと思う。


 もしかしたら、

 ここで穏やかに暮らすのも、

 一つの幸せなのかもしれない。


 食事も出る。


 転ばない。


 一人じゃない。


 安全。


 安心。


 それでも。


 幸子の胸の奥には、

 消えない感覚があった。


 私は、

 自分で選んでいない。


 それだった。


 昼食後。


 幸子は廊下をゆっくり歩く。


 壁には、

 利用者たちの折り紙が飾られていた。


 チューリップ。


 鶴。


 桜。


 その横に、

 今月の予定表が貼られている。


 幸子は足を止める。


『春のお花見会』


 来週。


 施設外周散歩。


 職員付き添い。


 幸子はその文字を見つめた。


 外へ出る。


 久しぶりに。


 胸が少しだけ高鳴る。


「西山さん?」


 中村主任だった。


「どうされました?」


「お花見会って、外へ行くの?」


「はい」


「施設の前の桜並木を歩く予定です」


「そう」


 幸子は笑った。


「楽しみねぇ」


 中村も笑う。


「今年は綺麗ですよ」


「そうねぇ」


 幸子は穏やかに頷いた。


 中村は安心した顔をする。


 昨日までの幸子とは違う。


 怒鳴らない。


 反抗しない。


 従順。


 良い利用者。


 中村はそれを歓迎していた。


 幸子は、

 その表情を見逃さなかった。


 部屋へ戻る。


 扉を閉める。


 静か。


 幸子はベッドへ座る。


 そして、

 ゆっくり呟いた。


「……怒ったら負け」


 誰にも聞こえない声だった。


 窓の外では、

 桜が揺れている。


 幸子は、

 静かに考える。


 外へ出る方法。


 連絡する方法。


 助けを求める方法。


 スマホはない。


 現金もない。


 カードもない。


 でも、

 まだ自分には頭がある。


 考えられる。


 覚えていられる。


 それが、

 今の唯一の武器だった。


 廊下の向こうから、

 職員たちの笑い声が聞こえる。


「西山さん、

今日は落ち着いてますね」


「安心しました」


 幸子は目を閉じた。


 そう。


 安心させるのだ。


 自分は従順だと。


 問題ないと。


 ここに馴染んだと。


 そう思わせる。


 そのためなら、

 笑う。


 歌う。


 折り紙も折る。


 お礼だって言う。


 幸子は、

 静かに窓の外を見た。


 春の光が、

 ガラスへ反射していた。


 その向こうには、

 まだ世界がある。


そして、そのまま一年が過ぎた…

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