第7話 折り紙
第7話 折り紙
朝、
目を覚ました時、
幸子は自分がどこにいるのかわからなかった。
白い天井。
消毒液の匂い。
静かな空気。
それから、
両手の違和感に気づく。
包帯。
ベッド柵。
拘束。
昨夜の記憶が戻る。
幸子は目を閉じた。
ひどく疲れていた。
怒鳴った。
器具を投げた。
帰りたいと言った。
その結果、
縛られた。
ただ、
帰りたいと言っただけなのに。
ガチャ。
部屋の扉が開く。
真帆だった。
いつもの笑顔は、
少しだけ弱かった。
「おはようございます、西山さん」
幸子は返事をしない。
真帆はベッドへ近づく。
「昨夜は眠れましたか?」
「……」
「今から拘束外しますね」
拘束。
真帆は、
その言葉を普通に使った。
まるで、
点滴を外すみたいに。
包帯がほどかれる。
手首に赤い跡が残っていた。
幸子は、
自分の手をじっと見つめる。
「すみませんでした」
真帆が小さく言った。
「安全のためとはいえ、嫌ですよね」
幸子は顔を上げる。
真帆は本当に申し訳なさそうだった。
悪人じゃない。
それが一番苦しい。
「……私は危険?」
幸子が聞く。
真帆は困った顔になる。
「そういうわけじゃ」
「でも縛った」
「転倒すると大変なので」
「転んでないわ」
「興奮されていましたから」
興奮。
危険。
転倒。
全部、
管理側の言葉だった。
幸子は何も言わなかった。
朝食は部屋食だった。
トレー。
ご飯。
味噌汁。
卵焼き。
漬物。
ちゃんとしている。
施設は、
本当にちゃんとしていた。
だから、
幸子は自分がおかしいような気がしてくる。
食後、
中村主任が部屋へ来た。
「西山さん」
「……はい」
「昨夜は驚かせてしまって申し訳ありませんでした」
中村は静かに頭を下げる。
「ですが、安全のために必要な対応でした」
必要。
その言葉が重かった。
「今日からまた通常に戻りますので」
「通常……」
「はい」
「レクリエーションもありますから」
幸子は小さく笑った。
乾いた笑いだった。
「昨日縛られた人間が、
今日は折り紙?」
中村は少し黙った。
「気分転換にもなりますので」
「……」
「皆さん楽しみにされています」
皆さん。
またその言葉。
中村は続ける。
「西山さん、ここでは穏やかに過ごしていただくことが大切なんです」
穏やか。
従順。
静か。
そういう老人が、
“良い利用者”。
幸子は、
なんとなく理解し始めていた。
午後。
幸子はレクリエーション室へ連れて行かれた。
長机。
色紙。
折り紙。
童謡のCD。
窓から入る春の光。
まるで幼稚園みたいだった。
「今日はチューリップを作りまーす!」
若い職員が明るく言う。
他の利用者たちが拍手する。
「わぁ」
「かわいいねぇ」
幸子は黙って座っていた。
隣の老婆が、
ニコニコしながら折り紙を折っている。
「西山さんもどうぞ」
色紙を渡される。
赤。
黄色。
ピンク。
幸子はそれを見つめる。
昔、
息子が小さい頃、
一緒に折ったことがあった。
鶴。
兜。
紙飛行機。
その頃の自分は、
“教える側”だった。
なのに今は。
「ここを折るんですよー」
職員が、
まるで子供へ説明するように言う。
「できましたかー?」
幸子は、
胸の奥が痛くなった。
自分は、
長く働いてきた。
電車で通勤して、
上司に頭を下げて、
書類を作って、
税金を払って、
家事をして、
子供を育てて、
夫を看取った。
その人生の最後が、
これなのか。
「西山さん?」
真帆が声をかける。
「折らないんですか?」
「……できるわよ」
「え?」
「折り紙くらい」
幸子は、
静かにチューリップを折り始める。
手は覚えていた。
紙を折る。
角を合わせる。
指で線をつける。
簡単だった。
あっという間に完成する。
「わぁ、上手ですね!」
真帆が笑う。
幸子は答えない。
その時、
隣の老婆が言った。
「昔、小学校の先生だったのよぉ」
「そうなんですか!」
職員が驚く。
「すごいですねぇ!」
老婆は笑う。
「もう忘れちゃったけどねぇ」
幸子は、
その顔を見る。
穏やかだった。
怒りも、
屈辱もない。
ただ静かに、
折り紙を折っている。
幸子は急に怖くなった。
自分も、
こうなるのだろうか。
怒ることをやめて。
帰りたいと言わなくなって。
折り紙を折って。
童謡を歌って。
穏やかな老人になっていくのだろうか。
CDから、
「ふるさと」が流れる。
他の利用者たちが歌い始める。
「うさぎ おいし
かのやま――」
幸子は歌わなかった。
窓の外を見る。
桜が揺れている。
外には、
普通の世界がある。
コンビニ。
信号。
ファミレス。
スマホ。
自由。
全部、
ガラスの向こう。
幸子は、
自分の作った折り紙を見る。
綺麗なチューリップだった。
職員が拍手する。
「西山さん、上手ですねぇ!」
幸子は小さく笑った。
笑うしかなかった。
そうしないと、
また縛られる気がした。




