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あなたのためです〜自由は、失って初めてわかる〜  作者: カトーSOS


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第2話 規則

挿絵(By みてみん)


第2話

規則


 退院の日は、

 よく晴れていた。


 病院の玄関を出ると、

 少し冷たい風が頬に当たる。


 幸子は小さく息を吐いた。


 外の空気だった。


 たった一ヶ月ほど病院にいただけなのに、

 ずいぶん久しぶりな気がした。


「寒くない?」


 由美が聞く。


「大丈夫」


 幸子は答える。


 車椅子を押しているのは、

 浩介だった。


 病院前のロータリーでは、

 タクシーが行き交い、

 救急車の赤色灯が遠くで回っている。


 普通の街の音。


 幸子は、

 それを少し懐かしく感じた。


「桜、もう咲いてるね」


 由美が言った。


 病院の脇にある桜並木が、

 薄く色づき始めていた。


「今年は早いわねぇ」


 幸子は空を見上げる。


 春。


 本当なら、

 そろそろ近所のスーパーで、

 いちごが安くなる頃だ。


 帰ったら、

 冷蔵庫の中を整理しないと。


 そんなことを考えた。


「じゃあ、行こうか」


 浩介が言う。


 幸子は頷いた。


 車に乗せられる。


 シートベルト。


 窓の外。


 見慣れた名古屋の街。


 コンビニ。

 ドラッグストア。

 ガソリンスタンド。

 赤信号。


 幸子は、

 なんとなく安心していた。


 帰れる。


 少しだけ施設へ行って、

 リハビリをして、

 また帰ってくる。


 そういう話だった。


 車はしばらく走り、

 住宅街の中へ入った。


 やがて、

 三階建てほどの白い建物の前で止まる。


「ひだまり苑」


 看板が見えた。


 幸子は、

 小さくその名前を読む。


「ここ?」


「うん」


 浩介が答える。


「そんな大きいところじゃないから、安心して」


 由美も笑った。


「職員さんも優しいみたいですよ」


 幸子は建物を見る。


 白い壁。

 大きな窓。

 自動ドア。


 病院ほどではない。


 だが、

 どこか似ていた。


 消毒液の匂い。


 静かな空気。


 玄関脇には、

 色紙で作られた桜の飾りが貼ってある。


「春まつり開催!」


 と書かれていた。


 車椅子を押され、

 幸子は施設の中へ入る。


浩介が呼び鈴を押す。

「はい」


「西山です」


「今開けます」


 自動ドアが開く。


 受付の奥から、

 女性が笑顔で近づいてきた。


「西山さんですね。お待ちしておりました」


 四十代くらいだろうか。


 髪を後ろでまとめ、

 落ち着いた声をしている。


「主任の中村です」


「西山幸子です。よろしくお願いします」


 幸子は頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 中村は柔らかく笑う。


 その後ろから、

 二十代くらいの若い女性も出てきた。


「介護士の真帆です」


「よろしくお願いします」


 真帆は明るく頭を下げる。


 感じの良い子だった。


 幸子は少し安心する。


「では、お部屋へご案内しますね」


 施設の廊下は静かだった。


 白い床。


 壁には、

 利用者が作ったらしい折り紙が飾られている。


 鶴。

 花。

 色紙。


 遠くから、

 テレビの音が聞こえた。


 誰かが童謡を歌っている。


 幸子は、

 なんとなく落ち着かない気持ちになる。


「こちらです」


 案内された部屋は、

 個室だった。


 ベッド。

 小さな棚。

 テレビ。

 カーテン。


 思ったより悪くない。


「綺麗なお部屋ですねぇ」


 幸子が言うと、

 真帆は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます」


 由美が、

 持ってきた荷物を棚へ入れ始める。


 浩介は書類を書いていた。


 中村が、

 クリアファイルを開く。


「それでは、簡単に施設のご説明をさせていただきますね」


「はい」


「まず、お薬は施設管理になります」


「はい」


「飲み忘れがないように、

 こちらで確認します」


「助かります」


 幸子は素直に頷いた。


 薬の管理は、

 少し面倒に感じていた。


 病院でも何度も説明されていたし、

 自分で全部覚えるのは不安だった。


 そこは、

 任せられるならありがたい。


 中村は続けた。


「それから現金なんですが、

 盗難防止のため、

 お持ち込みはご遠慮いただいています」


「そうなの」


「はい。

 必要なものはご家族を通して

 ご購入いただく形になります」


 幸子は少し驚く。


「少しくらい持っていても駄目ですか?」


「申し訳ありません。規則なんです」


 中村は丁寧に言う。


「安全管理上ですね」


「そう……」


 幸子は、

 膝の上の手を見た。


 財布。


 病院へ入った時から、

 由美に預けていた。


 退院したら戻してもらうつもりだった。


 それが、

 ここでも持てないらしい。


「お金が必要な時は?」


「職員へお声がけください」


「買い物は?」


「ご家族様にお願いするか、

 施設で必要なものを確認して手配します」


「そう」


 幸子は頷いた。


 たしかに、

 施設で財布をなくしたら大変だ。


 盗難と間違われても困る。


 中村の言うことは、

 わからないわけではなかった。


「それから、

 スマートフォンなんですが」


 中村が言葉を続ける。


「こちらも一旦お預かりになります」


「え?」


 幸子は思わず顔を上げた。


「スマホも?」


「はい。

 紛失やトラブル防止のためです」


「でも、私……」


「必要な時は職員へお声がけください」


 中村は柔らかく笑う。


「ご家族への連絡などは、

 こちらで対応しますので」


 幸子は、

 少しだけ嫌な感じがした。


 スマホ。


 電話。


 LINE。


 Amazon。


 YouTube。


 天気予報。


 ニュース。


 全部そこに入っている。


「私、普通に使えるんですけど」


「はい、伺っています」


 中村は頷く。


「ですが、

 皆さん同じ決まりなんです」


「そう……」


 浩介が横から言った。


「お母さん、少しだけだから」


 少しだけ。


 またその言葉。


 幸子は黙る。


 少しだけなら。


 リハビリの間だけなら。


 そう思うしかなかった。


「それから外出なんですが」


 中村が続ける。


「安全のため、

 お一人ではご遠慮いただいています」


「外に出られないの?」


「職員かご家族の付き添いがあれば大丈夫ですよ」


「そう」


「転倒すると危ないですからね」


 中村は優しい声で言った。


「西山さんのためです」


 幸子は曖昧に笑った。


 西山さんのためです。


 その言葉が、

 なぜか少しだけ胸に引っかかった。


「面会についても、

 事前予約をお願いしています」


「予約?」


「はい。

 感染症対策や、

 利用者様の生活リズムもありますので」


「息子が来る時も?」


「はい。

 基本的には事前にご連絡いただいています」


「そうなの」


「急なご面会も、

 できる限り対応しますけどね」


 中村は笑う。


 きちんとした施設なのだろう。


 そう思った。


 ただ、

 きちんとしているということは、

 何をするにも手続きがいるということでもあった。


「お食事は、

 朝七時半、

 昼十二時、

 夕方六時です」


「はい」


「入浴は週に二回です」


「はい」


「夜間は見守りのため、

 職員が巡回します」


「巡回?」


「はい。

 転倒や体調不良がないか確認します」


「部屋に入るんですか?」


「お声がけしてからになります」


「そう」


 幸子は頷いた。


 病院と同じようなものだ。


 そう思おうとした。


 だが、

 ここは病院ではない。


 自分はもう退院したはずだった。


 真帆が明るく言う。


「今日はゆっくり休んでくださいね」


「ありがとうございます」


「夕飯は六時です」


「はい」


 由美が立ち上がる。


「じゃあ、お義母さん」


「うん」


「また来ますから」


 浩介も立ち上がった。


「何かあったら職員さんに言うんだよ」


「わかってるわよ」


 幸子は笑う。


「子供じゃないんだから」


 その場の全員が、

 少し笑った。


 だが、

 幸子だけは、

 なぜかその言葉が妙に耳に残った。


 子供じゃない。


 そのはずだった。


 浩介たちが帰る。


 部屋の扉が閉まる。


 急に静かになる。


 幸子は、

 一人でベッドへ座った。


 棚の上には、

 由美が持ってきたティッシュ箱。


 眼鏡ケース。


 小さなポーチ。


 それだけ。


 スマホはもうない。


 財布もない。


 カードもない。


 幸子は、

 なんとなく落ち着かず、

 手元を探った。


 いつもの癖で、

 スマホを探してしまう。


 ない。


 そうだった。


 預けたのだ。


 職員に。


 規則だから。


 安全管理のため。


 幸子は小さく息を吐いた。


 廊下の向こうから、

 童謡が聞こえていた。


「さくら さくら

 やよいのそらは――」


 幸子は、

 静かな天井を見上げた。


 白い天井だった。

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