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あなたのためです〜自由は、失って初めてわかる〜  作者: カトーSOS


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17/19

第17話 迎え

挿絵(By みてみん)


第17話 迎え


 数日後。


 その日は、

 朝から妙に静かだった。


 食堂。


 テレビでは、

 情報番組が流れている。


 司会者が笑っていた。


 利用者たちは、

 いつものように味噌汁を飲み、

 焼き魚をほぐし、

 ゆっくり食事をしている。


 幸子も、

 いつも通り座っていた。


 だが、

 胸の奥だけが落ち着かなかった。


 山口たちは、

 あれから何も言ってこなかった。


 施設も変わらない。


 職員も優しい。


 拘束もない。


 監視も増えていない。


 何も変わらない。


 だから逆に、

 不安だった。


 やはり、

 駄目だったのだろうか。


 現実的に考えれば、

 一人暮らしは危険だ。


 自分でもわかっている。


 また転ぶかもしれない。


 また骨を折るかもしれない。


 死ぬかもしれない。


 だったら、

 施設の方が安全なのかもしれない。


 最近、

 そんな考えが、

 頭に入り込むことが増えていた。


 幸子は、

 箸を置く。


 窓の外を見る。


 桜は、

 もうほとんど散っていた。


────────────────


 昼過ぎ。


 部屋へ戻った時だった。


 コンコン。


 扉が鳴る。


「西山さん」


 真帆だった。


 その後ろに、

 中村主任もいる。


「少しいいですか?」


「はい」


 幸子は立ち上がる。


 真帆が、

 どこか緊張した顔をしていた。


 中村が言う。


「西山さん、

 お迎えです」


 幸子は、

 一瞬意味がわからなかった。


「……え?」


「退所のお話がまとまりました」


 幸子は、

 その言葉を理解するまで、

 少し時間がかかった。


「退所……?」


「はい」


 中村は穏やかに言う。


「お帰りの準備をしましょう」


 幸子は、

 何も言えなかった。


 ただ、

 胸の奥が、

 静かに震え始める。


 帰れる。


 本当に。


 帰れる。


────────────────


 真帆が、

 クローゼットから袋を取り出した。


「入所の時のお洋服、

 こちらです」


 幸子は、

 その袋を見る。


 見覚えのある、

 紺色のカーディガン。


 薄いベージュのズボン。


 自分の服だった。


 施設へ来てから、

 ずっと施設用の服を着ていた。


 洗濯された、

 似たような服。


 柔らかい、

 安全な服。


 でも、

 自分の服ではなかった。


 幸子は、

 ゆっくり施設服を脱ぐ。


 白い布。


 軽い。


 その服を脱いだ瞬間、

 急に、

 身体が寒く感じた。


 真帆が言う。


「西山さん、

 袖こちらです」


「ありがとう」


 幸子は、

 カーディガンへ腕を通す。


 少し懐かしい匂いがした。


 柔軟剤。


 自分の家の匂い。


 それだけで、

 涙が出そうになる。


 真帆が、

 小さな声で言う。


「……退所されるんですね」


「はい」


「よかったですね」


 真帆は笑った。


 でも、

 少しだけ目が赤かった。


「寂しくなります」


 幸子は、

 返事ができなかった。


 この子は、

 本当に優しかった。


 折り紙の時も。


 食事の時も。


 眠れなかった夜も。


 ずっと普通に接してくれた。


 ただ、

 施設の規則を守っていただけなのだ。


 幸子は思う。


 誰も、

 悪人ではなかった。


 それが、

 一番苦しかった。


────────────────


 待合室。


 白いソファ。


 自動販売機。


 観葉植物。


 そこに、

 山口と佐藤がいた。


「こんにちは」


 山口が立ち上がる。


 幸子は、

 深く頭を下げた。


「このたびは、

 本当にありがとうございました」


「いえ」


 山口は静かに言う。


「今後については、

 地域包括支援センターとも連携していきます」


「すぐに全部一人で、

 というわけにはいかないと思いますので」


「はい」


 幸子は頷く。


 わかっていた。


 もう若くない。


 完全に元通りにはならない。


 支援も必要だろう。


 それでも。


 自分で選びたい。


 それだけだった。


 佐藤が、

 事務的な口調で言う。


「ご自宅までは、

 こちらで確認いたします」


「はい」


────────────────


 その時。


 中村主任が、

 小さな封筒を持って来た。


「西山さん」


 幸子は顔を上げる。


「こちら、

 お預かりしていたものです」


 封筒の中から、

 鍵が出てくる。


 自宅の鍵。


 銀色。


 少し擦れている。


 幸子は、

 震える手で受け取った。


 重かった。


 たった一本の鍵なのに。


 中村が続ける。


「こちらも」


 今度はスマホと財布だった。


ピンク色のスマホ。


電源を押しても起動しない。


充電が切れてしまっているのだろう。


 茶色の財布。


 角が少し剥げている。


 何年も使った財布。


 幸子は、

 ゆっくり開く。


 現金。


 キャッシュカード。


 診察券。


 ポイントカード。


 全部入っていた。


 幸子は、

 財布を両手で握る。


 その重さが、

 胸へ落ちてくる。


 これは金じゃない。


 人生だった。


────────────────


 真帆が言う。


「西山さん」


「はい」


「お身体、

 気をつけてくださいね」


「ありがとう」


「また転んだら危ないですから」


 幸子は、

 少しだけ笑う。


「はい」


 その言葉は、

 たぶん本当に正しい。


 施設は、

 間違ったことだけをしていたわけじゃない。


 危険も、

 本当にあった。


 だから、

 この話は簡単じゃない。


────────────────


 玄関。


 自動ドアの前。


 以前、

 ここで止められた。


『西山さん、

 ここがお家ですよ』


 あの言葉を、

 幸子は今でも覚えている。


 職員たちが並ぶ。


 中村。


 真帆。


 他の介護士たち。


「西山さん、

 お元気で」


「お大事にしてくださいね」


「また何かあったら、

 相談してください」


 幸子は、

 深く頭を下げた。


「皆さん、

 これまでありがとうございました」


 その声は、

 自然に出た。


 嘘ではなかった。


 本当に、

 世話になった部分もある。


 助けられた部分もある。


 ただ。


 ここは、

 幸子の人生を選ぶ場所ではなかった。


────────────────


 自動ドアが開く。


 外の風が入ってくる。


 春の匂い。


 少し冷たい空気。


 幸子は、

 一歩外へ出た。


 その瞬間。


 何かが、

 身体から抜けていく気がした。


 施設の中では、

 いつも誰かの許可が必要だった。


 電話も。


 外出も。


 買い物も。


 全部。


 でも今、

 目の前の道には、

 誰の許可もなかった。


 タクシーが停まっている。


 山口が言う。


「タクシー、

 呼んであります」


「ありがとうございます」


 幸子は、

 財布を握る。


 鍵を握る。


 そして、

 ゆっくりタクシーへ向かった。

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