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あなたのためです〜自由は、失って初めてわかる〜  作者: カトーSOS


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第15話 マクドナルド

挿絵(By みてみん)


第15話 マクドナルド


 面談室には、

 静かな空気が流れていた。


 山口はメモを閉じる。


 佐藤もペンを置いた。


 幸子は、

 膝の上で手を握っていた。


 言うべきことは、

 もう話した。


 これ以上話せば、

 感情的になる気がした。


 山口が、

 静かに言う。


「西山さん」


「はい」


「本日のお話は、

 こちらでも確認を進めます」


「はい」


「ただ、

 施設側への確認や、

 ご家族への聞き取りも必要になります」


 幸子は、

 一瞬だけ目を閉じた。


 やはり、

 そこは避けられない。


 山口は続ける。


「ですが、

 できる限り、

 西山さんのご希望には配慮します」


 幸子は、

 ゆっくり頭を下げた。


「お願いします」


「息子には、

 まだ連絡を取らないでください」


 山口が顔を上げる。


「施設にも、

 今日のことは言わないでください」


「今日は、

 現状確認ということにしてください」


 山口は、

 幸子を見ていた。


 幸子は続ける。


「監視が厳しくなります」


「少ない自由が、

 なくなります」


「お願いします」


 山口は、

 すぐには答えなかった。


 行政として、

 完全な秘匿はできない。


 施設への確認も必要。

 家族への連絡も必要。


 だが、

 この目の前の女性は、

 状況を理解している。


 混乱しているわけではない。


 自分が何を恐れているか、

 論理的に説明している。


「……わかっています」


 山口は静かに言った。


「できる限り配慮します」


 幸子は、

 小さく息を吐いた。


 少しだけ、

 肩の力が抜ける。


 山口が、

 改めて聞く。


「西山さん」


「はい」


「これから、

 どうされたいですか」


 幸子は、

 すぐには答えなかった。


 どうしたいか。


 そんなことを、

 ずっと考えないようにしてきた。


 考えると苦しくなるから。


「外に出たいです」


 山口が聞き返す。


「外に」


「はい」


「家に帰りたいです」


 沈黙。


 廊下の向こうで、

 車椅子のブレーキ音がした。


 誰かの笑い声。


 職員の優しい声。


『危ないですからね』


『ゆっくりで大丈夫ですよ』


 いつもの施設の音だった。


 幸子は、

 少し迷った。


 本当は、

 もっと色々言いたかった。


 スマホを返してほしい。


 財布を持ちたい。


 自分で買い物したい。


 コンビニへ行きたい。


 YouTubeを見たい。


 洗剤を選びたい。


 でも、

 その全部を、

 うまく言葉にできなかった。


 代わりに、

 口から出たのは、

 別の言葉だった。


「……マクドナルドがたべたいです」


 山口が、

 一瞬だけ目を瞬かせる。


「マクドナルド?」


「はい」


 幸子は、

 少し恥ずかしそうに笑った。


「変ですよね」


「でも、

 ずっと食べていないんです」


「ポテトとか」


「ビッグマックとか」


 佐藤が、

 メモを取る手を止める。


 幸子は続けた。


「自分で注文して」


「自分でお金を払って」


「席に座って」


「食べたいんです」


 静かな声だった。


 わがままを言っている声ではない。


 何かを思い出すような声だった。


「施設のご飯が嫌いなわけじゃありません」


「ちゃんと食べています」


「職員さんも、

 よくしてくださいます」


「でも……」


 幸子は、

 そこで言葉を探した。


「私は、

 選べないんです」


 山口が、

 静かに聞く。


「選べない」


「はい」


「何を食べるかも」


「どこへ行くかも」


「誰に電話するかも」


「全部、

 自分では決められません」


 部屋が静かになる。


 幸子は、

 自分の手を見た。


 少し皺の増えた手。


 昔は、

 毎日この手で働いていた。


 スーパーで買い物をして、

 電車に乗って、

 銀行へ行って、

 スマホを操作して、

 Amazonで洗剤を注文していた。


 普通の生活だった。


 誰にも許可なんか取らなかった。


「この前、

 桜を見に外へ出た時」


 幸子は、

 ぽつりと言った。


「車の窓から、

 マクドナルドが見えたんです」


 山口は黙って聞いている。


「高校生の子が、

 ポテトを食べていました」


「親子連れもいました」


「普通に、

 出入りしていました」


 幸子は、

 そこで少し笑った。


「当たり前ですよね」


「マクドナルドなんて、

 誰でも行ける場所ですから」


 沈黙。


「でも、

 私は行けませんでした」


「たぶん、

 お願いしても、

 駄目だったと思います」


「危ないですからって」


 山口は、

 その言葉を聞きながら、

 初めて目の前の女性を、

 “高齢者案件”としてではなく、

 一人の人間として見ていた。


 認知症疑い。


 帰宅願望。


 施設トラブル。


 そういう分類ではなく。


 ただ、

 自分の人生を、

 自分で選びたいと思っている人間。


 その当たり前の願い。


 佐藤が、

 静かに口を開く。


「西山さん」


「はい」


「もし、

 ご自宅へ戻られた場合、

 生活支援などは必要になると思います」


「はい」


「また転倒する危険もあります」


「はい」


「それでも、

 帰りたいですか」


 幸子は、

 少しだけ考えた。


 そして頷く。


「怖いです」


「また転ぶかもしれません」


「でも……」


 幸子は、

 ゆっくり言った。


「それは、

 私の人生ですから」


 佐藤は、

 何も言わなかった。


 山口も黙っていた。


 しばらくして、

 山口が静かに立ち上がる。


「本日はありがとうございました」


 幸子も立ち上がった。


 少し足が震えていた。


「こちらこそ」


 深く頭を下げる。


 山口と佐藤も、

 頭を下げた。


 面談室のドアが開く。


 廊下の白い光が差し込む。


 外では、

 いつもの施設の日常が続いていた。


 テレビ。


 笑い声。


 消毒液の匂い。


 童謡。


 折り紙。


 真帆の声が遠くで聞こえる。


『西山さん、あとでお茶にしましょうね』


 幸子は、

 一瞬だけ立ち止まった。


 そして思った。


 ここは、

 悪い場所ではない。


 でも、

 私はここで、

 少しずつ消えていく。


 そう思った。

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