エピソード1-8
「お前、よく声をかけられるだろ。これはその予防みたいなもんだ」
蓮の説明に、美桜は少し驚いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべながら、その手を握った。
駅へ向かう道すがら、蓮にはさっきと同じように多くの人が挨拶をしてきた。だが、美桜に声をかけてくる者は一人もいない。
(……どうやら、蓮と手を繋いでると本当に予防になるらしい)
その事実に気づいた美桜は、無意識のうちに蓮の手を少し強く握った。
その温もりが、冷えていた美桜の心にじわじわと染み込んでいくようだった。
◇◇◇◇◇
駅の改札口に着くと、美桜はようやく蓮の手を離した。
その瞬間、ほんの少しだけ喪失感が胸をかすめた。
「ここで大丈夫か?」
蓮が尋ねる。
美桜は胸に渦巻く感情を振り払うように、顔を上げた。
「うん。蓮さん、ありがとう」
笑顔を浮かべてそう答える。
「あぁ、気をつけて帰れよ」
「うん」
「じゃあな」
蓮は手をひらひらと振った。その動きが、楽しかった時間の終わりを告げているように見えた。
その仕草を見つめながら、美桜の胸には小さな寂しさが芽生える。楽しかった時間の終わりには、いつだってそういう感情がつきまとう。
それでも、美桜の笑顔が崩れることはなかった。
(……私なんかが楽しい時間を過ごしちゃいけない。これ以上、楽しいって感じちゃいけないんだ)
自分にそう言い聞かせながら、改札口に向かい歩き出す。
その時、背後から蓮の声が美桜を呼び止めた。
「美桜」
名前を呼ばれ、美桜は反射的に振り返る。
「明日、ヒマか?」
戸惑いながらも、小さく頷いた。
「う……うん」
「明日十三時にここで待ってる。また一緒に遊ぼうぜ」
思いがけない誘いだった。
(……この誘いは流石に断った方がいい。ううん、断らなきゃいけない)
頭の中で警告が響く。
けれど、美桜の口から出た言葉は、その意志に反していた。
「……うん、分かった」
自分の返事に、美桜は戸惑う。
(……だめ。断らなきゃ)
必死に理由を探すが、蓮の満足そうな笑顔を見てしまったその瞬間、もう答えを訂正することはできなくなっていた。
「もう電車が来るぞ」
蓮の声に促され、美桜は仕方なく改札口へ向かう。
「う……うん」
そう呟き、小さく手を振って歩き出す。
その足取りは、心とは裏腹にどこか軽やかだった。




