エピソード1-4
「おい! それはダメだ」
彼は手早く美桜の手元からそれを取り上げた。
美桜は不満げに首を傾ける。
「は? なんで?」
「なんでって……お前、中学生だろ?」
至極まっとうな指摘だった。美桜も、それを理解している。未成年がそういったものに手を出すのは、本来許されないことだ。
だが、蓮の慌てた様子が面白くて、悪戯心が芽を出す。
「なんでダメなの?」
「なんでって……法律か?」
「……蓮さん、なんで疑問形なの?」
美桜が尋ねると、蓮は神妙な顔でしばらく考え込んだ。
「なんでだろうな……まぁ、俺が法律を語っても説得力ないけど。……てか、なんで俺の名前知ってんだ?」
「うん? さっきの人がそう呼んでた」
「あぁ、そうか」
蓮は納得したように頷き、美桜の手から取り上げたものを自分で吸い始めた。
「……あの……」
「うん?」
「えっ、それ、私のなんだけど……」
「ああ、わかってる」
蓮は飄々と答えた。
『知っている』と言いながらも、彼は平然と美桜のそれを吸い続けている。
(……どうやら、奪ったくせに返す気はないらしい)
美桜はそう察し、なんとなくおもしろくない気分になった。
「……蓮さんだって吸うじゃん……」
「俺は、二十歳を過ぎてるからな」
苦し紛れに口にした悪態は、楽しそうな笑いと共に軽く受け流された。
「何歳なの?」
美桜が尋ねると、蓮は一瞬目を細めたあと、さらりと答えた。
「ん? 二十三」
「ふ~ん」
(……確かに、二十歳は過ぎてる)
美桜は言い返す言葉を見つけられず、そっと口を閉じた。
「てか、お前は家に帰らなくていいのか? 親が心配すんぞ」
蓮の問いに、美桜は遠くの人波を見つめたまま答える。
「大丈夫……親はいないから」
その声は、風にかき消されそうなほど小さかった。
「……そうか」
蓮はそれ以上、親について深く聞こうとはしなかった。その短い沈黙には、夏の夜風のような優しさが漂っている。
「学校は?」
「今は夏休み。……普段からあんまり行ってないけど」
「夏休みか、羨ましいな」
蓮はふと腕時計に目を落とし、時間を確認してから尋ねる。
「まだ帰らないのか?」
美桜は小さく頷いた。
「そうか。……もう、晩飯は食ったか?」
「ううん」
美桜は首を横に振る。その仕草はどこかあどけなく、儚げだった。
「腹、減らねぇのか?」
「ん? そう言えば、ちょっとだけ……」
その言葉が空気に溶けていくと、夜の街の雑音が再び二人を包み込む。ネオンの光が、彼らの影を静かに揺らしていた。
「よし、それなら、飯でも食いに行くか?」
蓮の提案に、美桜は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、やがて小さく頷いた。
「……うん」
その言葉を口にした瞬間、美桜自身がいちばん驚いていた。まさか蓮の誘いに乗るなんて、自分でも思っていなかったからだ。
けれど、心の奥には確かに――もう少し彼と一緒にいたい、そんな想いが芽生えていた。
その気持ちを察したかのように、心の奥からもう一人の自分が警告を発する。
(……ダメ。踏み込んじゃ……心なんて、もう誰にも預けちゃいけない)
頭の中で静かに警報が鳴る。それでも、美桜はその声に気づかないフリをした。




