エピソード6-4
しばらく歩き、野次馬の気配が完全に消えた頃――ケンが不意に足を止めた。
さっきの記憶が脳裏によみがえり、美桜の身体がわずかに強ばる。
(まさか……また狂暴化スイッチが入ったんじゃ……)
思わず周囲を見回すが、怪しい人影も声もない。
「……ケンさん?」
おそるおそる声をかけると、ケンが振り返った。
「……美桜ちん……」
「は、はい……?」
「……ごめんね。びっくりさせちゃって」
大きな身体を深く折りたたんで頭を下げるケンの姿に、美桜の胸がきゅっと締めつけられた。
「ケンさん……謝らないでください」
(ケンさんは、私を守ってくれた。悪くなんてない)
ありがとう、と言葉を口にしかけた、そのとき――。
「甘やかすな、美桜」
蓮の低く鋭い声が、美桜の思考を断ち切った。
「えっ?」
視線をケンに移した蓮は、深いため息を吐いてから言う。
「そもそも、てめぇはキレすぎなんだよ」
「……」
「美桜がどれだけ我慢してたと思ってんだ?」
「……」
「その我慢を、台無しにしやがって。ああいう奴らに、毎回キレるつもりか?」
「……それは……」
「そのたびに、迷惑を被る奴が出る。いい加減、考えろよ」
「……はい……」
「少しは頭使え。この猿が」
「……」
(猿……言われてみれば、ケンさんって少しお猿っぽいかも……)
一方的に蓮に叱られ、ケンの大きな背中が目に見えて縮こまっていく。
(……かわいそう……)
そう感じた美桜は、ケンに向かってそっと頭を下げた。
「ケンさん、ありがとうございました」
「……美桜ち〜ん‼ ……うぐっ……」
感激した様子で抱きつこうとするケンの動きを、蓮の無情な蹴りが断ち切る。
「調子に乗んな。行くぞ、美桜」
そう言って、蓮は美桜の肩を抱き、再び歩き出した。
「……ま……待って……置いて……行かないで……くれ……」
腹を押さえて蹲るケンのかすれた声に、美桜は思わず振り返りかけた。
「放っておけ」
「……でも……」
「すぐに追いついてくる」
「えっ?」
その数十秒後、蓮の言葉通りにケンが笑顔で追いついてきた。その屈託ない表情に、美桜は目を見張る。
(……この人、本当に二重人格なんじゃないかな……)
さっきまで鬼のようだった顔が、まるで何事もなかったかのように綻んでいる。そのギャップに、美桜は内心でそっと呟いた。
(たぶん、ケンさんだけじゃなくて――蓮さんも。ふたりとも、いくつものスイッチを持っている。私の知らない顔が、まだたくさんあるんだろうな。……すべてを知るのは、正直ちょっと怖い)
それでも――。
(それでも私は、もっと蓮さんのことを知りたいって思ってる)
他人にこれほど強く興味を抱くのは、美桜にとって生まれて初めてのことだった。
彼女は、確かに蓮に惹かれていた。




