エピソード5-2
◇◇◇◇◇
「やっと終わったか」
メイク道具をポーチにしまう美桜に、蓮が疲れたような声を投げかける。
(……ちょっと待って。それを言うなら私のほうが疲れているんですけど⁉ 眠いのを我慢して頑張ったのに……)
美桜は心の中で反論しつつも、蓮には逆らえないとわかっているから、なにも言わずに溜め息を吐いた。
「化粧なんかしなくてもいいんじゃねぇの?」
蓮が唐突に美桜の顔を覗き込みながら言う。
「……は? 無理」
「なにが無理なんだ?」
蓮は不思議そうに眉を上げた。
「スッピンで外なんて出られない」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
蓮は束の間黙ったあと、真顔で言った。
「昨日、お前はタヌキだったじゃねぇか。それよりはスッピンのほうがマシだと思うけど?」
「……っ‼」
美桜の頭に、昨夜の「タヌキ事件」が鮮明に蘇る。
(あの事件は忘れかけていたのに……もう‼)
一瞬顔を赤くした美桜だが、冷静を装いながら反論する。
「確かに、蓮さんの言うことにも一理ある。でも、私にとってメイクは洋服と同じなの! スッピンで出掛けるなんて絶対にありえない」
「お前は、化粧なんかしなくても充分可愛い」
蓮は美桜の頭を優しく撫でながら囁いた。
「……え?」
(なに、この唐突な甘い言葉……蓮さん、絶対私のことをからかっているよね?)
そう疑いながら蓮の表情を伺った美桜だったが、そこに浮かぶのは意外にも穏やかな微笑みだった。
(……やばい、顔が熱い)
「ほんとうに可愛いな、お前は」
蓮の低く甘い声が耳元をくすぐる。
美桜は視界が揺れるような眩暈を覚えた。
◇◇◇◇◇
マンションを出ると、昼の眩しい日差しが美桜の目を刺すようだった。
「……眩しい……」
小さく呟いた声を、蓮は逃さなかった。
「お前が昼間ずっと寝てばかりだからだ」
そう言いながら、蓮は美桜の肩を抱き寄せる。
美桜は恥ずかしさを隠すように俯いたが、その仕草を見逃さない蓮の優しげな横顔が、いつまでも心に残った。
「……自分はサングラスをしているくせに……」
美桜は頭の上にある蓮を睨むように見上げた。
「ほしいなら買ってやる」
あっさりと微笑みながら返され、言い返す余地もない。
(……嫌味がまったく通じないなんて……)
蓮に肩を抱かれた美桜は、ふわりと鼻腔をくすぐる蓮の香りに気づく。
「蓮さんの香水って、なに?」
「ん? EGOISTEのPLATINUM」
「……エゴイストのプラチナム?」
「あぁ」
(エゴイストって、あの高級ブランドの香水)
美桜は雑誌で見た記憶を思い出していた。
(……こんな香りなんだ)
「ほしいなら買うか?」
蓮がちらりと美桜の顔を覗き込む。
「ううん。蓮さんの香りがなんの香水か気になっただけ。香水の選び方とかよくわかんないし、自分に合う香りもわかんないし……」
蓮は美桜の言葉に軽く鼻で笑った。
(……どうせまた、私を〝ガキ〟だと思っているんでしょ……全然気にしないし……いや、ちょっとだけへこむけど)
美桜はそっぽを向きながら、射し込む夏の陽光に目を細めた。
繁華街はいつものように賑わい、人の波であふれていた。
その光景に美桜のテンションは急降下。
「……蓮さん、帰ってもいい?」
「帰る? なぜ?」
「……人が多いから……」
「却下」
蓮はきっぱりと言い放つ。
(……だって、あんなに人がいるんだよ? 歩けるわけないじゃん。蓮さんは背が高いからいいけど、私は小さいし、人混みは息がしにくくて苦しいんだから!)
文句を飲み込みつつも、美桜は小さくため息を吐いた。
そのような彼女を気にする様子もなく、蓮は人混みに向かって歩き始める。




