エピソード4-7
「ごめんなさい、蓮さんのタバコ……勝手に吸っちゃって……」
だが、蓮の返答は意外なものだった。
「いや、タバコくらい、好きに吸えよ」
それでも、蓮の目から驚きは消えきっていなかった。
「……えっ?」
美桜は彼の意図が分からず、戸惑いを浮かべた。
「美桜、お前、俺の話……ちゃんと聞いてたか?」
(話? ……えっと、なんの話?)
美桜は少し前の記憶を辿るように頭を巡らせる。
「話って……蓮さんが、極道だっていう話?」
その返答に、蓮の表情はさらに驚きで染まった。
(え、なに? 私、変なこと言った……?)
首を傾げる美桜に、蓮がぽつりと尋ねた。
「……お前、俺のこと、怖くないのか?」
「怖い? 蓮さんを? ……なんで?」
「なんで、って……俺が極道で、背中に墨が入ってるから?」
「どうして疑問形なの?」
「……お前、指摘するポイントも反応もズレてるぞ」
蓮のもっともな指摘に、美桜はどこか気まずそうに小さく溜め息を吐いた。
(……なんだろう、この敗北感……)
けれど、美桜は気を取り直して穏やかに言葉を重ねる。
「別に、怖くないよ」
「……あ?」
「私は、極道がどんなことをするのか詳しくは知らないけど……でも、蓮さんは蓮さんだから」
「……それはそうだけど……」
蓮の声には、いつもの力強さが欠けていた。
「それなら、私は蓮さんのこと、怖いなんて思わない」
「でも……」
「なに?」
「さっき墨を見たとき、固まってたじゃねぇか」
「ん? ……あぁ、あれは怖くて固まってたんじゃなくて――見惚れてたの」
美桜のその一言に、蓮の瞳が驚きに瞬く。
美桜は先ほど感じた違和感を思い返していた。蓮の低く冷たい声、鋭く威圧的な瞳、そして昨日の繁華街で、彼に頭を下げていた人々の表情。
(……そう、私はもう薄々気づいていた。蓮さんが普通の人じゃないって)
そして、それを確信に変えたのは、バスルームで見た彼の背中だった。
あの背中に刻まれていたのは、ただのタトゥーではない――威厳と覚悟の象徴だった。
「ねえ……もう一回、見せて」
「ああ」
蓮は迷いなく、美桜に背を向けた。
美桜は、目の前に広がる鮮やかな刺青に、思わず息を呑んだ。
力強くとぐろを巻く一匹の龍――その金色の瞳が命を宿しているかのように燃え、美桜を射抜くように睨みつけている。鱗の一枚一枚が精緻に彫り込まれ、光を受けるたび微かに煌めいていた。
その龍を取り囲むように咲き誇るのは、満開の桜。薄紅の花びらが風に誘われるように舞い散ち、まるで静かな旋律を奏でているかのようだった。花の儚さが龍の荒々しい力強さを際立たせ、相反する美が絶妙に調和している。
蓮の背に刻まれたその刺青は、ただの装飾ではない。生き物のように脈打ち、生命と死、力と哀しみが交錯する――一幅の絵巻だった。
美桜はその背中に、時間を忘れて見入っていた。鮮烈な美しさが心の奥深くを揺さぶり、ただ静かに息を呑むことしかできなかった。
「……綺麗……」
無意識に零れたその言葉は、まっすぐに蓮の耳へ届く。
「そうか」
蓮はゆっくりと振り返り、美桜を見つめた。その瞳は、まるで背中に宿る物語を静かに語るように深く、穏やかだった。
そして小さく笑い、どこか安堵の色を帯びた表情を浮かべる。




