エピソード4-6
「それは、どうしてだ?」
「……私は施設にいる。勝手に外泊したら、大問題になるし……蓮さんに迷惑かけたくない」
すると、蓮はふっと口元を緩めた。
「ああ、その件なら心配いらねぇ。ちゃんと手は打ってある。あとは……お前の覚悟次第だ」
(手を打ってある? ……どういう意味?)
困惑を隠せずにいる美桜に、蓮はどこか得意げに肩をすくめる。
「余計なことは考えなくていい。俺が……全部、面倒見るから」
その言葉は、美桜の中にあった不安をゆっくりと溶かしていく。
「で、どうする?」
「……え?」
「俺と一緒にいるのか、いねぇのか。どっちなんだよ」
二択を迫るその声は、冷たくも優しい。心の奥が静かに揺れる。
だけど、美桜の中には――もう答えがあった。
蓮のまっすぐな瞳。そこに嘘は一つもなかった。
(……この人のそばにいたい。逃げる理由なんて、もうどこにもない)
「……一緒にいる……」
小さな声で呟くと、蓮は満足そうに笑みを浮かべた。
「それでいい」
その笑顔が、美桜の胸をそっと軽くする。
◇◇◇◇◇
美桜は全身に心地よい疲労を感じながら、昨日の断片的な記憶を反芻していた。初めての海、久しぶりの大泣き──最後に覚えているのは、蓮が背中をさすりつつ囁いた言葉だった。
「美桜、また一緒に海に行こうな」
美桜が返事をしたかどうか、覚えていない。その言葉の後、記憶は深い闇へ沈んだからだ。
いつの間にか彼女は、広いベッドに包まれていた。柔らかなシーツに包まれ、ほのかな大人びた香りが漂う。目を閉じれば、そこに誰かがいたことを強く感じる余韻が残っていた。
(──ここ、蓮さんの部屋だ……)
ゆっくりと身体を起こす。大きなベッドが室内の中心にあり、観葉植物や間接照明が並ぶモダンな空間だ。サイドテーブルの時計は午前十時を指していた。
だが、蓮はいない。ふらつきながらベッドを降り、ドアを開けると、話をしたはずのリビングへと続いていた。──それでも彼の姿はなく、部屋は静まり返っていた。
そんな中、廊下奥からかすかな物音が聞こえてくる。
(……バスルームかな?)
普段の彼女なら決して扉を開けないだろう。けれど、ぼんやりした頭ではその判断も鈍っていた。
思い切ってドアを押し開けると、そこには背中を向けてタオルで髪を拭う蓮の姿があった。
「……蓮さん?」
驚いた声が漏れると、彼は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「目が覚めたか、美桜」
濡れた黒髪が闇夜の空のように艶やかで、その佇まいはどこか妖艶だった。
「お前も、シャワー浴びるか?」
その問いに、美桜はすぐには答えられなかった。胸の奥に広がる得体の知れない感覚に戸惑い、視線は自然と彼の背中へと吸い寄せられていた。
「……美桜?」
蓮が不思議そうに名を呼ぶ。
「……蓮さん……背中……」
その一言で、蓮の表情がわずかに凍りついた。美桜の視線が、自分の背中にあるものを捉えたと悟った彼は、大きく息を吐き、ゆっくりとバスルームを出た。
リビングへ戻ると、蓮は美桜をソファに座らせ、自身も隣に腰を下ろした。
テーブルの上に手を伸ばし、一本のタバコを取り咥えると、静かに火を点けた。紫煙がたゆたうように部屋に広がり、甘く苦い香りが漂う。
「……話そうと思ってた」
蓮は重く口を開いた。
「隠してたわけじゃねぇ。ただ……言うタイミングを失ってただけだ」
その声音には、過去を静かに振り返るような重みがあった。
「俺は――極道だ」
その言葉に、美桜はしばし言葉を失い、蓮の横顔を見つめ続けた。そしてふいに、テーブルに置かれたタバコに手を伸ばし、一本取り上げ、唇に咥える。
蓮が無言でジッポを差し出し、火を点けた。
立ちのぼる煙の中、美桜の胸には不思議な静けさが広がっていた。
(……このタバコ、思ったより美味しいかも……)
メンソールしか知らなかった彼女にとって、その苦みは初めての味だった。
ふと感じる視線。美桜はそちらを向き、息を呑む。
蓮の表情は驚きで固まっていた。
「……えっ?」
(なに? そんなに驚くようなこと……私が勝手に吸ったから?)
ようやくその理由に気づいた美桜は、慌てて言葉を継ぐ。




