エピソード3-1
美桜と蓮が待ち合わせた繁華街の駅に着いたのは、二十時を少し過ぎたころだった。
海からの帰り道、蓮はオシャレなショップで、大人っぽい雰囲気のワンピースを選び、買ってくれた。
「買わなくていい」
断る美桜に、蓮は軽く眉を寄せる。
「早く選べ」
可愛いワンピースを手に「自分で買う」と言うと、蓮はため息交じりに呟いた。
「ガキは素直に甘えてればいいんだよ」
そうして、自分の分も含めて、ふたり分の会計は蓮に任された。
「試着室で着替えて来い」
素直に従い、試着室を出ると――蓮が耳元で茶目っ気たっぷりに囁いた。
「やっぱり中学生には見えないな」
そのまま、蓮が選んだレストランで晩ごはん。
今回も美桜が食べきれないほど料理を頼んでおいて、にんじんは昼間の作戦が功を奏したらしく、蓮が全部平らげてくれた。
美桜はその事実に気づき、テーブルの下でそっとガッツポーズを作った。
◇◇◇◇◇
晩ごはんを終え、繁華街の駅に車を停めた蓮。
美桜は慎ましくシートベルトを外し、軽く頭を下げた。
「どうもありがとう」
蓮は前を向いたまま「おう」とだけ返事をした。しかし、その声にはいつもより、どこか含みを感じた。
慌ててドアに手をかけた美桜だが――、
「……なぁ、美桜」
いつもより低い声が、彼女の動きを静かに止めた。
「な……なに?」
顔だけを振り返り、平静を装う美桜。しかしその手は微かに震えていた。
胸の奥で、自分の鼓動が耳にまで響いている。
「やっぱり、施設の近くまで送って行く」
そう言いながら、蓮はサイドブレーキに手をかけた。
その瞬間――美桜は驚くほど素早く、蓮の手を抑えていた。
「……大丈夫だから……」
わずかに震える声で呟く美桜。
蓮はその行動に驚くこともなく、静かに彼女を見つめ続ける。
俯いたままの美桜に向かって降り注ぐその視線は、鋭く、それでいて痛いほど静かだった。
「……まだ早いから……時間を潰して帰る……いつもの場所で……」
その声は、消え入りそうに小さかった。
「……やっぱりな」
蓮は深くため息を吐いた。その声には、失望とも苛立ちともつかない感情が滲んでいた。
「お前は、この辺りの治安が悪いことを知ってるよな?」
その低く冷たい声に、美桜は小さく頷いた。
美桜にとっての唯一の居場所。
しかし蓮はそれを「治安が悪い」と断じた。決して誇張ではない。
彼女自身、あの場所でガラの悪い連中が殴り合い、ドラッグの売買、若い女性が無理やり車に押し込まれる場面を何度も目撃していたからだ。
「今までお前になにもなかったのは奇跡だ。だけどな、奇跡は何度も起きねぇ。怖い思いをしてから後悔しても遅ぇんだよ」
蓮の言葉は静かで淡々としていたが、それだけに胸に深く突き刺さった。
「この街は、こんな時間に中学生が来るような場所じゃない」
その一言が、美桜の心を深く抉る。
初めて聞く蓮の冷たい声――怒りと失望が入り混じり、何かを強く訴えていた。
「……分かってる……」
掠れた声は、自分でもかろうじて聞き取れるほど小さかった。
刺さるような視線が痛く、車内に息苦しさをまとわせるほどの重い沈黙が続いた。
「……でも……ひとりで部屋にいるよりは……全然……」
彼女の言葉は途切れ、詰まった感情と共に崩れ落ちる。
「……全然マシだもん‼」
絞り出すようなその声に、美桜の瞳から涙がぽろりと零れた。
(……泣いちゃダメ。耐えなきゃ……)
けれど、頬を伝う雫は止まらなかった。
押し寄せる感情に耐えきれず、静かに肩を震わせる。慣れない涙をこらえながら、美桜は声を押し殺していた。
(泣いている姿なんて見られたくない。感情的になってる私を知られたくない……)
そう思うたびに、喉の奥が詰まりそうになる。
ふと、蓮がそっとタオルを差し出してきた。




