エピソード2-7
◇◇◇◇◇
ふたりは、日が暮れるまで砂浜で遊び続けた。
途中、トイレに立った蓮を待っていると、不意に見知らぬ少年が声をかけてきた。
「ねえ、一緒に遊ぼう!」
突然の誘いに、美桜は戸惑い、身体が硬直する。
返答に困っていると、背後から低く不機嫌そうな声が響いた。
「帰れ」
その鋭さに少年は一瞬で怯み、水着姿のまま荷物を抱えてそそくさと立ち去っていった。
「……ここにもナンパ男がいたじゃねぇか」
蓮が呆れたように言う。
その言葉でようやく、美桜は少年がナンパ目的だったと気づいた。
不満げな蓮の表情に、美桜は何も言い返せなかった。
それ以降、蓮はずっと美桜の手を離そうとしなかった。
そんな蓮も、周囲の女の子たちから注目を集めていた。
「あの人、かっこよくない?」
「一緒に遊びたい!」
すれ違った後に、わざわざ振り返る子もいた。
けれど蓮は気づいていないのか、まったくの無反応で、いつも通りだった。
美桜は彼と繋がれた手をそっと放そうとした――けれど。
「……なんで、放そうとしてんだ?」
蓮に鋭く睨まれ、思わず動きを止める。
心の中で、声をかけてきた女の子たちに小さく謝りながら、美桜はもう一度、蓮の手をぎゅっと握り直した。
◇◇◇◇◇
日はすでに傾き、砂浜は柔らかな黄金色に染まっていた。
波打ち際に寄せる波は、茜色の光を抱き込みながら静かに揺れ、まるで時間そのものが穏やかにほどけていくようだった。
空には、紫とオレンジのグラデーションが静かに広がり、遥か彼方の水平線では、光と闇が溶け合う一瞬の儚さを描いていた。
潮風が頬を撫で、どこか懐かしくて切ない香りを運んでくる。
人影のまばらになった砂浜では、波の音だけが世界を包んでいた。
砂に残された無数の足跡が、さっきまでここにあった笑い声や、小さな思い出の余韻を語りかけてくるようだった。
美桜は手にしたタバコから立ち上る細い煙越しに、ゆらめく茜色の海を見つめていた。
それは、今日という特別な時間を静かに包み込むような、優しくてあたたかな景色だった。
「海は、どうだった?」
蓮の声が、夕風の中でふわりと響く。
「……とても楽しかった」
「それなら、よかった」
「……ありがとう」
感謝の言葉に、蓮はすこし照れたように笑った。
「そろそろ帰るか」
立ち上がる蓮に続いて、美桜も腰を上げる。
そして今度は、美桜が先に蓮の手を握った。
二人は手を繋いだまま、駐車場へと続く階段を登っていく。
途中、美桜はふと足を止めて振り返った。
夕暮れに染まる、静かな海。
(……きっと、この景色も、今日のすべても、一生忘れない)
「どうした? 忘れ物か?」
蓮に問いかけられ、美桜は首を横に振る。
「……ほんとうに、楽しかった」
小さく呟いた彼女の頭に、蓮がそっと手を置いた。
その手の温もりは、沈みゆく夕陽のようにやさしくて、少しだけ切なかった。
「……なら、よかった」
蓮の笑顔に、美桜も自然と微笑み返す。
二人の間に流れる静かな空気が、夕暮れの浜辺をいっそう心地よいものに変えていった。
遠くでは波が穏やかに岸を叩き、空には一番星がひとつ、静かに瞬いていた。
美桜は足元の砂を見つめながら、そっと心の中で小さな決意を立てる。
(……こんな幸せな時間が、ずっと続けばいいのに)
けれど、その奥に微かに残る不安もまだ消えてはいない。
(——こんな幸福を、私が受け取っていいのだろうか)
けれど、蓮の横顔を見るたびに、その不安は少しずつ、すこしずつ溶けていくような気がする。
彼の隣にいると、胸の奥があたたかくなって――これまで知らなかった安心感が、そっと芽生えていくのだった。
長く伸びた影が、夕暮れの砂浜に重なる。
(……この瞬間が、ずっと続けばいいのに……)
美桜はそう心に誓いながら、もう一度空を見上げた。空には、彼女たちを見守るように、茜色から群青色へと移ろう世界が静かに広がっていた。




