エピソード2-4
◇◇◇◇◇
建物の入り口に着くと、蓮がドアを開けてくれる。
「いらっしゃいませ!」
店員の笑顔に迎えられ、窓際の席に案内される。メニューとグラスが置かれ、店内は中途半端な時間帯のせいか静かで、穏やかな雰囲気が漂っていた。
メニューを手にした美桜は、またしても悩み始める。
その様子に、蓮は笑いを堪えているようだった。
「どうして笑うの?」
美桜が不満そうに尋ねると、蓮は目尻を下げて答える。
「いや、相変わらず悩んでるなと思って」
それでも、彼の表情には自然な笑みが浮かんでいる。
「それで、何にする?」
蓮が咳払いしながら改めて尋ねる。
「なににしようかな……」
美桜は視線をメニューの文字に行ったり来たりさせる。
「肉食え、肉」
「……お肉……」
蓮の提案に美桜が呟く。
「嫌いなのか?」
蓮が尋ねると、美桜は首を横に振った。
「嫌いじゃないけど、特別好きでもない」
「そうか。他になにか食えないものはあるか?」
その問いに、美桜は小さな声で答えた。
「……にんじん……」
「にんじん?」
「うん」
その答えを聞いた蓮は、一瞬目を丸くしたあと、声を上げて笑い出した。
「……えっ⁉」
(……なんで笑うの?)
美桜は困惑しながら、蓮に視線を向けた。
「やっぱりガキだな」
からかうようなその言葉に、美桜はショックを受けるどころか、蓮の笑顔に目を奪われていた。
顔が熱を帯びていくのを感じ、思わず俯いてしまう。
その時、店員が近づく足音が聞こえた。
蓮と店員の注文のやりとりが耳に入りながらも、美桜はひたすら顔の火照りが引くことを祈っていた。
注文が終わり、店員が去るころには、ようやく熱は落ち着いていた。
美桜はそっと顔を上げ、蓮の横顔を見つめた。
彼の視線はまっすぐこちらを向いていて、その目には相変わらず優しさが宿っていた。
その穏やかな表情を見ていると、待ち合わせのときに見た冷たい雰囲気の蓮は、ただの錯覚だったようにも思えてくる。
美桜は手元のグラスに口をつけ、何気なく窓の外へと視線を移した。
そこには、青く広がる海と白い砂浜が広がっている。
水着姿で楽しげに海水浴をする人々――その中で、美桜の視線は一組の家族に留まった。
若い父親と母親、そして幼い子ども。
波打ち際で父親が両手を広げ、笑顔で子どもを呼んでいる。そのすぐ後ろでは、母親が小さな背中を見守るように手を伸ばしていた。
やがて子どもが父親の胸にたどり着くと、父親はその小さな体を抱き上げ、母親も微笑みながらそっと背を撫でる。
(……幸せそう……)
美桜は、その光景から目を離せなかった。
「海に行きたいのか?」
不意に蓮の声が響いた。
「……えっ?」
美桜は窓の外から蓮の方へ、ゆっくりと顔を向ける。
「海に行ってみるか?」
蓮の提案に、美桜は戸惑ったように首を横に振った。
「ん? 海は嫌いか?」
「ううん」
「じゃあ、なんで?」
興味深そうに尋ねてくる蓮に、美桜は少しだけ声を潜めて答えた。
「……海に入ったことがないから……」
その言葉を聞いた瞬間、蓮の目がほんの一瞬だけ揺れたように見えた。悲しげな色が滲んだ気がしたが、美桜にはそれが本当に見えたものなのか、それとも自分の思い込みなのか判断がつかなかった。
「したことがねぇなら、してみようぜ」
蓮の声はあくまで穏やかで、その響きは美桜の心にゆっくりと染み込んでいった。
「で……でも、なんの準備もしてないし……」
「心配すんな。タオルは車にあるし、服が汚れたら帰りに買えばいいだけだ」
理屈ではなく、その言葉の中にある信頼に、美桜はもう断る理由を見つけられなかった。
(……海に入ってみたい……)
胸の奥から自然と湧き出るその思いに、美桜は大きく頷いた。
その反応を見た蓮は、まるで少年のような笑みを浮かべた。
「飯を食い終わったら行こうぜ」
「うん!」
その笑顔につられて、美桜の心も軽やかに弾んでいった。




