宮口卯花の場合
No.38。それが彼女の名前だった。何の日にか、世界を覆う飽和と憎悪の象徴世界の欠落。それを発見し次第迅速に対応すべく、『導きの巫女』となるためだけに在る五十人の少女たち。No.38は、最も優秀な被験体だった。
語学、数学、物理学、化学、生物学、地学、地理学、史学、倫理学、人心掌握術、演技。
No.38はそのうち語学、地理学、人心掌握術と演技の最優等を必ず冠し、総合成績においても定期試験で首位を飾っていた。
だからこそか、No.38は無感情の人形と化していた。
* * *
世界の欠落は、人間の感情の凝縮体だという。貧困と互いの相違点による恐怖、そこからまねかれる憎悪。溢れかえるほどの富と平和から生み出してしまった贅沢な飽和。人間が、世界に向けた撤廃されるべき感情。
古くからの優秀な学者たちが挙って予言し、先進科学による検証も可能となった時、出現地域候補筆頭が東京都だとわかったときに政府は恐れた。世界有数の国際都市で、得体の知れない黒い実体を持たない円盤が現れたら、確実に混乱に陥るだろうと。政治、金融、貿易……では、混乱に陥り国際政治が泥沼化する前にできることはなにか。簡単なことだ。わかりやすい正義の味方を生み出すこと、だ。
僕の顔をお食べと告げるアンパン、五人揃った戦隊ヒーロー、仮面をつけたバイクライダー、非科学的な能力で悪しき敵を浄化する魔法少女。休日午前の主人公たちを、知らない日本人はいないと言っても過言ではない。そのくらい、この国にはあからさまな正義の味方が根付いている。
だから政府は創ることにした。わかりやすい正義の味方を。世界の欠落出現に怯える民衆の味方を。
僥倖にも研究を進めるうちに世界の欠落からは異形の化け物の出現率が非常に高いことが判明した。では尚のこと都合がいい。正義の味方には、異形の化け物を倒す救世の英雄になってもらおう。
わかりやすい方程式だ。しかし追い詰められた政府にはそのくらいしか策がなかった。仕方ないのだ、この国を円滑に回すためだったから。己が利益でなく、国益を守るためならば、彼らはなにをも厭わなかった。
No.38は卯の花色の髪をした、冷めた目をしたニンギョウだった。世界の欠落出現時に救世の英雄を集めるために、脳内関与機能を搭載した生身のニンギョウ。感情を知らない三十八番目。
政府は五十人の被験体にこう告げた。
君たちは案内人である。
君たちは救世の英雄をサポートする導きの巫女である。
君たちは救世の英雄に誰よりも信頼されなければならない。
No.38はそのリクエストに見事優秀に応えた。自然な笑みの浮かべ方、信頼されやすい喋り方、安心しやすい話の順序。心遣い。思い遣り。
もはや自然的な少女ではないほどに、No.38は完璧だった。
No.38が導きの巫女として合格したから、救世の英雄の決定権はNo.38にあった。『より人間として優れた人』『英雄に相応しい人格の持ち主』。政府からは様々リクエストがあったが、No.38は密かに憧れていることがあったから、それを満たしている人を、六人呼ぶことにした。
『ただどうしようもなく、それがないと生きられない人』
『運命を、信じていない人』
No.38にとってそれがなんであれ困らなかった。愛でもいいし、なにか趣味でもいい、友人や師でもいい。依存ではなく生きるための必須要素。そのことが明確な人ならば、挫けないだろうと踏んだのだ。それよりも、No.38がそこまで突き詰められる想いへの憧憬も、少なからずあった。No.38は若干の嫌悪感を政府にもよおしていたが、未だ見ぬ救世の英雄には同情すら感じていた。しかしながらNo.38はその気持ちを自覚したことはなかった。
No.38は運命を信じていなかったから、運命を信じている人を仲間にすべきではないと判断した。できるだけ円滑なコミュニケーションを図るためには、共通項は多い方がいい。
ところでNo.38は卯花と名付けられた。卯の花色の髪の色からとったという。この類の色合いの髪はなかなか見られるものではなく、No.38は自分の名前を気に入り、一人称を名前で喋るようになった。卯花には当然名字はなかった。彼女は五十人の捨て子の少女の内の一人で、卯花になる前は番号でしかなかったから、名字はおろか誕生も知らなかった。年齢は、全員同い年と言われていたが。だから、後に人為的に救世の英雄と呼ばれる人たちを前に、なんと名乗るべきか戸惑った。彼女が取った方策は、38から決めることだった。
宮口卯花にとって、ほとんどのデータはどうでもいいものだった。
* * *
「僕の娘、たぶん君に喚ばれるよ」
そうなったら、よろしくね。
明日葉黄昏は、年齢を感じさせない不思議な人間だった。卯花にとって解明されないことは彼に関わることだけだったし、そういう風に卯花が思える相手は彼だけだった。
光の度合いによって様々に変わる黄昏色の髪も瞳も、この世界においては非常に珍しいことだ。
だがそれよりも、なぜ彼の娘が英雄として選出されるか知っているのか、わからないままだった。
「はくむっていうんだ。琥珀色の夢、で、珀夢」
「猫目でね、父親思いの優しい子で」
「人より多少警戒心が強いけど、ほんとにそれすら猫みたいで可愛くて」
「珀夢の世界は透明でね」
「だからあの子は世界を愛せなかった」
「……わかるかい? No.38」
「醜い人間が数多いることを、あんなきれいな子が知ってしまって」
「世界を愛せるわけないじゃないか」
「卯花さんも、世界を愛せないところとかよく似てるから」
「珀夢がなにかやっても」
「仲良くしてあげてよ」
親馬鹿というのが正しいのだろうか。卯花はそう思索したが、それよりも
『どうしようもなく、慈しんでいる』
だから娘の将来を嘆いている。
卯花の瞳にはそう映った。
「わかりました。黄昏博士」
彼のような性格を、『優しい』というのだと。卯花はそう認識した。




