不破虹音の場合
コウネ。この国でもっとも流行っている名前の一つ。珍しい響きにも関わらず、同じ名前でかぶることは珍しくない。さすがにあたしと同じ漢字は、当てられないみたいだけど。今や「キラキラネーム」とか「しぶしぶネーム」とかいうブームを投げ飛ばす、破竹の勢いで増加している女の子の名前。あたしの名前。
不思議なものだ、たまたま卯花ちゃんの声が聞こえただけで、スーパースター、ううん、まさしく救世の英雄になるなんて。到底、考えてもみないことだった。
* * *
明日葉珀夢の話をしよう。彼女は聖女みたいな人間だ。あたしは卯花ちゃんのことがとっても好きで、とっても大事に思っているけど、導きの巫女っていう言葉は珀夢にこそ似合うと思っている。
巫女って聞いて何を思い浮かべるかな。あたしは、前衛にも後衛にもなれるオールラウンダーさと、圧倒的カリスマ力とを持ち合わせた天才のことを言うと思う。世間一般では前線に出ずに無事を祈る無力な少女のことを指すのかもしれないけど、そんなんなら今の世の中ほとんど全員の女の子がそうだ。響楽少女コウネになって、そんなものはまがいものだと気がついた。祈るだけの無力な人は、仲間とは呼ばない。
だからあたしは明日葉珀夢が聖女であり巫女であるべきだと思う。双剣を携えて誰よりも先を行き、長く綺麗な指で風を編み込んだ魔法を放つ、彼女が。
決定打は特にない。それでも、どうしても憧れてやまない人というのはいて。あたしにとってはそれが明日葉珀夢だっただけのこと。明日葉珀夢になりたいのではなく、なんだかもう陶酔しているようで。きっとこれほど慕うことは異常なことなんだろうとわかっていても、それでも彼女を尊んでいる。これは果たして罪だろうか。
明日葉珀夢は優しい。スサノオのメンバーがやることなら大凡許してくれるし、叱られたことは二、三度あっても怒られたことは一度もない。
口数はあたしほど多くないけど、あの琥珀色の瞳はなによりも雄弁に言葉を語るし、白群色の髪だって彼女の気ままな性格を表しているようであたしは好きだ。
戦闘の時の凜とした姿も好きだ。白銀の刃の双剣を構えて、寸分の狂いもなく魔物の急所を的確に狙う。一度後衛にまわれば、魔法に風を編み込んで威力を増幅させ、味方の死角をカバーする。冷静な判断と戦闘力。頼もしいその背中が、あたしは好きだ。
笑顔が素敵だ。あたしや空に向ける優しい笑顔も、焔士に向ける素のままの笑顔も、綾芽や浅葱に向ける誇らしげな笑顔も。目を細くしたり、口端の角度も、頬の上がり方も、珀夢の笑顔は無数にあって、あたしはそれだけの笑顔を持てる珀夢が好きだ。
大好きなのだ。
* * *
出会ったのは当然、卯花ちゃんの声が聞こえたその日だった。
あたしたちは卯花ちゃんの声に誘われるままに特務戦闘機関スサノオの本館に集まっていて、みんなどこか落ち着きが欠けていたように思う。当然のことだ。あのときあたしと空は十二歳、焔士と珀夢は十四歳、浅葱と綾芽は十八歳。全員が十代で、お世辞にも世界を救えるとは思わなかった。
真っ白な円卓を囲むように席に着いていたあたしたちと、招集されたのが全員十代だということに困惑を隠しきれない大人たち。たしか、政府のお役人さん。
卯花ちゃんが来るまでには時間があって、それでもあたしたちは戸惑っていた。ここはどこ、どうしてあたしを呼んだの、ねぇ、なんで、って。そんな戸惑いを大人たちに真っ直ぐに尋ねたのは、珀夢だった。柔らかな琥珀色の瞳が、見惚れるほどに冷たく、真っ直ぐ、大人たちを眺めていた。
「ここがどこだか、聞いても?」
珀夢がいきなり口を開いたことに大人たちは焦って、なんだかその様子がひどく愚かだった。
「私……たち、誰かの声に誘われてここにやってきたんです。ここに貴方方がいらっしゃる限りは、貴方方がその関係者であることは明白でしょう? 目的はまだ尋ねません。けれどもう一度伺います。
ここがどこだか、聞いても?」
不安だったの、後で珀夢は笑った。だから威圧してしまったという。それはそうだ。あたしたちを呼び出した声の主は現れなかったし、本館の前まで来たらなにも言われずいきなり案内された。あたしたちが自力で来なかったら誘拐と言っても過言じゃなかったと思う。
大人たちが狼狽えている間に、ようやくあたしたちを呼び出した張本人がやってきた。世界に二人といない、卯の花色の髪をした女の子。あたしや空とあまり歳が違わないように見える、やわらかい笑顔の持ち主。今も昔も変わらない真っ白なワンピースを身につけて、卯花ちゃんは部屋の扉を開けた。
卯花ちゃんが来ると大人たちの空気は和らいで、でも珀夢はより一層不信感を露わにした。警戒心が人一倍あるんだ、と焔士は言った。なにか言葉を続けようとして押し込めたのが妙に気になった。
「まぁ、まぁ。遅れてしまいましたね。申し訳ありません」
あたしたちの顔を眺め回してから卯花ちゃんは言った。卯花ちゃんの声には当然聞き覚えがあって、それはあたしたちをここに連れてきた声だった。それがわかったのか珀夢はわずかながら躊躇して、それでも告げることはやめない。
「私たち、貴女に呼ばれたという自信があるんだけど、それにしてはあんまりな招待じゃない? 威圧感の塊の中に放置する? 普通」
「えぇ、合っていますよ。確かに卯花がみなさんをお呼びしました。
上役は丁重にもてなすと言ったので、それは申し訳ありません」
丁寧な卯花ちゃんの対応に珀夢は不思議そうに頷いた。
「初めましてみなさん、卯花と申します。名字は……そうですね、みや、宮口。宮口卯花と申します」
確認したわけじゃないけどこのときばかりはあたしたち全員、名字を今考えたような卯花ちゃんの言い方に引っかかったと思う。だって眠たそうに、まるで興味がなかったような彼が口を開いたんだから。
「今の、名字つくったみたいな言い方なに? あ、僕は浅葱。情野浅葱」
淡い青緑色ーー彼の名の通り浅葱色と云うらしい。髪や瞳の色で名付けることは珍しくないーーの髪と、どこかを見つめる誰よりも冷めた翡翠の瞳。第一印象は、少し、怖い。
浅葱はなにを考えているのかさっぱりわからない顔をして、まっすぐに卯花ちゃんを見詰める。この時からずっと、浅葱は『恐怖』という感情を知らないようで、とても不思議で、恐ろしい。
浅葱の問いかけに、卯花ちゃんは困ったように笑って答える。
「そうなんです。卯花は名字がないんです」
長くなるから。卯花ちゃんはそう告げて、あたしたちと同室にいた大人たちに飲み物を持ってくるよう命じて、白い円卓の残りの一席に着席した。
大人たちが七人分麦茶を持って置き、退出すると卯花ちゃんは話し始めた。
「常套句ですが、一体どこから話したものですかね……。卯花がみなさんをお呼びしたこと、それから世界の欠落、あと浅葱さんの質問に答えるためには、卯花の生い立ちが必要でしょうか」
揺れる麦茶の水面を眺めながら、卯花ちゃんは丁寧に話し始めた。




