七十二人目
『潰れろォ! クソ人間共!』
メトゥスは巨大な尾を振り上げ、下界の人間に叩き付けた。
空が落ちてくるような衝撃。
大地が割れるような恐怖。
それを前にしても、誰一人として臆することはなかった。
「『ソリトゥス』」
絶望的な衝撃を受け止めたのは、小さな少女。
メトゥスが起こした災厄で全てを失い、声すら上げずに泣いていた少女。
その弱い少女が、自身の能力で壁を展開し、メトゥスの一撃を防いでいる。
『ッ…何故…』
思わず、口走る。
十年前の時には、このような強さはなかった。
アングイスと一緒にいた時には、このようなことが出来る人間じゃなかった。
「人間がいつまでも成長しない物だと思ってんのかよ」
『ッ!』
動揺するメトゥスの顔の前にムースが浮かんでいた。
空中でムースの右手が振るわれると同時に、メトゥスの顔に衝撃が走る。
揺れる頭を堪え、薙ぎ払うように首を振った。
この力も今までのムースでは出来なかったこと。
これが人の成長。
これが心の進化。
『…ぐ、ああああああ!』
受け止められたメトゥスの尾が、光の爪に切り裂かれる。
ひび割れ、崩れゆく身体を見て、メトゥスは自ら頭部を切り離した。
地上へ落ちながら、頭部は形を変えていく。
黒き青年の姿。
メトゥスの、始まりの姿へと。
「最後の勝負だァ!」
「シィィィ!」
落下すると同時にメトゥスは黒き棘を無数に放った。
触れた者に苦痛と麻痺を与えるサボテンの棘。
フェレスの片手だけでは防ぎ切れない物量。
だが、
「マエスティティア!」
フェレスの隣に立つレプスが叫ぶ。
それだけで冷気が周囲を包み、棘の雨を凍結した。
それを見ても、メトゥスの顔に焦りは見えない。
「それぐらいは予想している、ゴミがァ!」
叫びながら、メトゥスは地面を殴りつける。
予期せぬ行動に思考が止まる隙をつき、レプスの影が蠢いた。
「なっ…!」
死角より飛び出した一匹の蛇。
それは矢よりも早く、レプスの心臓へ放たれる。
一瞬のことでレプスは思わず、足を止めてしまう。
蛇の矢が、レプスの胸を貫く。
「タブラ=ラーサの爪!」
その瞬間に、蛇の胴体はバラバラに四散した。
矢よりも早い速度で放たれた光の爪。
光に触れた影の蛇は、初めから存在しなかったように消滅した。
それを確認し、フェレスはレプスへ目を向ける。
「隙あり」
短い声と共に、衝撃が走る。
衝撃は、フェレスの胸から。
フェレスの胸にメトゥスの右腕が突き刺さっていた。
「が…ふっ…」
「フェレス!」
フェレスの口から血が零れ、レプスの悲痛な声が響き渡る。
その声に込められた感情に、メトゥスは笑みを浮かべた。
右手でフェレスの身体を貫いたまま、レプスを見る。
「愛しい愛しいフェレス君はくたばっちまったなァ。これで元通り。孤独な日々の再開だ」
「あ…あ…」
絶望して声も出ないレプスを見て、メトゥスは更に笑みを深める。
これだ。
これこそが、メトゥスの本懐。
怪物は人に恐れられてこそ、存在できる。
森の番人?
秘密の友人?
あの頃の自分はどうかしていた。
夜を恐れる人の心がメトゥスを作った。
人々が恐怖を忘れないことこそが、メトゥスが存在している証明。
メトゥスは脆弱な心の中にしかいない被害妄想ではない。
「今、ここに! 俺は存在しているのだァ!」
勝ち誇るようにメトゥスは叫んだ。
フェレスは死んだ。
これで結束は崩れ、連中は恐怖を覚える。
人の心の何と脆いことか。
嘲笑いながら、メトゥスは右手を引き抜こうとした。
「…引き抜け、ない……? コイツ、まだ…!」
メトゥスの右手を握り締める手。
確かに致命傷を与えたフェレスの手が、緩まない。
今にも死にそうなフェレスの目から光が消えない。
「…メトゥス。君の存在も、正体も、目的も、興味はない」
「ぐ、くそっ! 放せ、放せェェェ!」
「………ただ」
フェレスは右手でメトゥスの手を掴み、左手を大きく振り上げる。
左手には、巨大な光の爪が形成されていた。
「これ以上、レプスを苦しめるな!」
左手が振り下ろされた。
光の爪は黒き青年の身体を切り裂き、その身を焼き焦がした。
バラバラになった黒き身体は煙のように風に乗り、跡形もなく消えてしまった。




